境界
柿本くんの冷たい手に導かれてたどり着いたのは、ついさっき後にしたばかりの学校だった。
まだ五時半くらいのはずなのに随分と静まり返っている。
職員用の駐車スペースには、たくさんあったはずの自動車が一台もなくなっている。
こんなことって、あるの?
わたしは校門を入ったところで足を止めた。
「どうしたの?」
柿本くんが立ち止まって、振り返る。
「柿本くん、なにかおかしくない?」
結局、柿本くんと会ってからここに来るまでのあいだ、他の人をひとりも見かけていない。学校の様子も、絶対におかしい。
「なにかって、なにが?」
「なにがって、だから……誰にも会わないこととか……」
「おかしくないよ。だって、ここはそういう場所だから。ここは、僕たちの世界と隣り合わせの場所。不思議な住人や、僕らの目には見えない住人はたくさんいるけれど、普通の人間はほとんどいないんだ」
「え……?」
世界なんていう仰々しい言葉が出てきて、わたしは驚いた。
ちょっと待って。
パニックを起こしそうな頭をなんとか落ち着かせる。
柿本くんの説明によると、ここはわたしたちの住んでいるところとは違う場所だってことになる。
でもなんで?
わたしはただ道を歩いていただけなのに、どうしてこんなことになったの?
「そっくりだけど、でも絶対的に違う。たまに、こちら側に迷いこんでしまう人間がいる。僕も最初はそうだった。でも、たいていそういう人たちはすぐにもとの場所に帰って行くんだ。帰りたいと思いさえすれば帰れる仕組みになっているはずなんだよ。あちらに気になることのひとつでもあれば、問題ない。こちらに踏み込んだ次の瞬間にはもとの場所に戻っていることだってある。その移動はあまりにあっけないものだから、すぐに戻れた場合なんかは、境界を越えたことに気づかないことも多いんじゃないかな」
「境界を越えたときって……自分以外の人が誰もいなくなったように感じたりする?」
「こちらには人間がほとんどいないから、そういう印象になるね。境界を越えるときは風が吹くから、それを知っていれば気づきやすいかもしれないけれど」
「ああ、そういえば」
さっきも、一瞬だったけれど風が吹いたことを思い出した。あれが境界を越えた瞬間だったんだ。
「さあ、中に入ろう。こちらの住人たちは癖のあるやつらばかりだけれど、つきあい方に気をつければ大丈夫。それに、彼らには覗き見をする趣味があるから、もしかしたら沢崎さんを助けてくれるかもしれない」
「覗き見?」
それがどうわたしを助けてくれるんだろう、と首を捻っていると、柿本くんがひとつ小さくうなずいて口を開いた。
「そう。こちらから、あちらをね。彼らなら、沢崎さんの靴の行方を知っているかもしれないよ」
わたしは目を瞠った。
柿本くんは気づいていたんだ。わたしが上靴のままだってことに。
わたしがいじめられているということは、クラスでは周知の事実で、もちろん柿本くんも知っているわけで、今更隠しようもないことだけれど、それでも情けなくて、恥ずかしくて、かあっと顔が熱くなる。
思わずうつむくわたしの肩に、ぽん、と優しく触れる手があった。
「そんな風に考える必要はないよ。さあ、行こう」
柿本くんの声が、柔らかい鳥の羽のように、わたしの上にふわりと降ってきた。




