消えた靴
わたしは下駄箱をのぞきこんで、小さく息を吐いた。
中は空っぽ。
そこに入っているはずの靴が、きれいさっぱり姿を消していた。
いつものことだから、平気。でも、今日はいったいどこにあるんだろう。
胸の前にぶらさがっているふたつのみつあみを背中へと払いのけて、わたしは周囲を見渡した。
昨日は中庭の池の中、一昨日は体育倉庫の裏、その前は掃除道具の入ったロッカーのバケツの中。
更にその前は……学校を休んだから、被害にはあわなかったんだっけ。
それ以前にも、すのこの下に押し込まれていたり、校門の陰に置かれていたり、わたしの靴は色々なところを旅している。
旅をさせられている。強制的に。悪意ある人の手によって。
――簡潔に言えば、わたしの靴は毎日のように隠される、ってこと。
「おい、どうかしたのか?」
突然かけられた声に驚きながら振り返ると、他学年のクラスを受け持っている教師が立っていた。わたしとはほとんど接点のない先生だ。
「え……っと、今、帰るところです」
正直に話してことが大きくなったら困る。わたしは視線を逸らしながら誤魔化した。
「誰かと待ち合わせか?」
きょろきょろしているところを見られていたらしい。
「先に行っちゃったみたいです。追いかけないと……。じゃあ、さようなら」
「ああ、気をつけてな」
わたしは教師に背を向けて歩き出した。上靴のままだけれど、仕方がない。
靴が見つからないときや、見つかったものの濡れたり汚れたりしているときは、上靴のまま帰ることにしている。
このくらい、たいした問題じゃない。
そう自分に言い聞かせる。
学校を出たら、何もかもが橙色に染まっていた。
秋の五時すぎは、太陽が今まさに沈もうとしている、そんな時間。
いつものように通学路を歩いて家に向かう。
またお母さんが哀しそうな顔をするだろうな、と考えると気が重い。
たいしたことないのに。わたしは大丈夫なのに。
犯人はわかってる。代々名士を輩出している家の子で、権力は充分。
田舎のこの町では、彼女にたてつくことがどれほど危険なことか、みんなよく知っている。
クラスの中心人物でもある彼女に狙われたら諦めるしかない。耐えていれば、気分屋の彼女の標的は移っていくんだから。
わたしたちのクラス――苗山中学校三年D組の生徒の中に、被害者はたくさんいる。
多かれ少なかれ、誰もが彼女の気まぐれに左右されているし、攻撃の標的にされることもある。
今回はその矛先がわたしに向いただけのこと。
これはきっと、今までそれを黙認してきた酬いで、罰なんだと思う。クラスメイトが標的にされているときになにもできなかったわたしが罰を受けるのは当然のこと――。
そこまで考えて、わたしは唇を噛んだ。
――そんなの嘘だ。
悔しいし、哀しい。胸が締めつけられるように苦しいし、わたしがいじめられていることでお母さんを哀しませてしまうことが辛い。
辛いよ……。
ふいに鼻の奥がつんとして、視界が歪んだ。
帰りたく、ないな――。
その時、一陣の風が吹き抜けた。
それはほんの一瞬だった。
目を閉じて顔をそむけていたわたしは、風がやむのを待って、目を開けると顔を戻した。
そしてふいに違和感を覚える。
いつもの通学路。いつもの時間。
見慣れた景色のはずなのに、なにかが違う気がする。
でも、いったいなにが――?
周囲を見回しつつ考えていたわたしは、やがてはっと気づいた。
車もバイクも通っていない夕方の幹線道路。自転車も歩行者の姿もない歩道。
周囲から、人の気配がきれいに消え去っていた。
わたし以外に、誰もいない? いったい、いつから?
考えごとをしながら歩いていたせいで、ちっとも気づかなかった。
でも、実はこういうことって、たまにある。
他の人だって、きっと同じような経験があると思う。
自分以外の人がこの世界からいなくなってしまったように思える、そんな瞬間が。
自分のそんな想像に苦笑しつつも、早く自分以外の人の姿を確認して安心したい――そんな風に感じる時が。
そして不思議な時間はいつも、なにごともなかったかのように現れる自動車や自転車の存在によって終わりを迎える。
ちょっとばかりの安堵や寂しさをもたらして。
だからわたしも、その違和感をそれほど気にしてはいなかった。
どこかから現れるだろう自分以外のなにかを待ちつつ、家へと向かってとぼとぼと歩き出す。
足を止めたのは、しばらく歩いてからだった。
いくら待っても、自動車も、自転車も、たったひとりの歩行者すらも現れなかったからだ。
わたしは、ふいに怖くなった。
鞄の中から、普段は電源を切りっぱなしの携帯電話を取り出す。
以前使っていた携帯電話は、いたずら電話やいたずらメールがあまりにも多くなったので、解約した。
これは、お母さんがわたしのことを心配して、家との連絡用にと新しく買ってくれたものだ。
電源を入れて、お母さんにもうすぐ家に着くと連絡しよう。
そう思ったのに、携帯の表示は――。
【圏外】
そんな馬鹿な……。
ここはいつも通る通学路で、携帯で話をしながら歩いたこともあるし、通っている時にメールを受信したことも何度だってある。
電波が入らないなんて、そんなことは今までになかったはずなのに――。
夕焼けに染まる空の下、わたしはひとり、道路に立ち尽くした。
いったい、どういうことなの――?




