第11話 宇宙への想い
今日はビッグバンに関する科学の話です。
科学に興味がない人はつらいかも(>_<)
その夜、ハルは草原で仰向けに寝転がって星を眺めていた。
ユキコはハルの隣に腰を下ろし、彼に倣って満天の星空を見上げた。
「きれいな星空。
三百年前の東京とは比べ物にならない――」
ユキコはうっとりと呟く。
二人は既に夕食と入浴を済ませ、浴衣を纏っていた。
セイトの夜空には街の灯が浮かぶ。
夜間はミラーを閉ざす為、天空に架かる一対の街並みと鏡に映った街並みが星空のように見えるのだ。
セイトの展望台から見える星空は足元に広がる。
その輝きは今以上に明るいが、星が瞬く事は無く、少し冷たい感じがする。
「ユキコは神を信じている?」
ハルが唐突な話題を持ち出した。
昼間の一件を気にしているのかも知れない。
「特定の宗教は信じていないけど、神様がいないって言い切っちゃうのも少し不遜な気がして……。
ハルは神様を信じてるの?」
「神様がこの宇宙を創った存在だとすれば、そういう存在がいたと考えていいと思っている。
そして地球の歴史を見れば創り手の意思も見えてくると思うんだ。
神が創った自然界の法則は弱肉強食――適者生存。
神は生命に、人類に進化せよといってる様に感じられる――。
だけど自然界の法則は弱肉強食だけじゃない。
人間は競争だけでなく協力する事を覚えたからこそ他の動物より優位に立てた。
言葉によるコミュニケーションと文字を使う事による知識の蓄積により文化を得た。
二足歩行のおかげで開放された手を使う事により道具を用い、それをより良く改善させる事で技術を得た。
これは人類だけに当てはまる条件ではなく、宇宙に進出したすべての知的生命体に共通する特徴ではないかと僕は推測している。
――神が定めた進化の必然だと」
「人類は今後も進化をし続ける。
そしてその為の道が既に準備されているというの?」
ユキコは納得のいかなさそうな視線をハルに投げる。
「そんなことまでは僕には分からない。
ただ僕なりに考えている事はある。
生命進化の原則の一つに多様性がある。
大陸移動により、オーストラリアはゴンドワナ大陸から分断され五千万年前に大陸となった。
この隔離された環境で、オーストラリアに残された哺乳類は独自の進化を遂げ有袋類になった。
進化の原則として、隔離された環境での独自進化によって多様な種が生まれている。
人類は外宇宙に進出する事で相互に行き来できない隔離された環境を作り、それぞれの星系毎に多様な種が派生する可能性は高いと思う。」
宇宙は広い。すぐ隣にある恒星までですら光の速さでも数年はかかる。
人間を乗せた恒星間ロケットがたどり着くには十年以上かかる。
「そしてもう一つ、人類は今までの生物種とは根本的に違う特長を持ち始めている。
コンピュータやネットワークとの融合、そして社会の中で集合生命体としてのあり方。
個々の細胞が共生することで多細胞生物が生まれたように、スペースコロニーという都市に知識を蓄積・共有して共同生活を営むことにより、種のあり方が変わってくる。
現在の社会は、スペースコロニーごとに人類が発展させてきた知識や技術をデータベース化し、すべての市民が仮想人格を介し第二の脳として利用できるようになっている。
そして仮想人格がロボットやナノマシンを操作する事により現在行われている産業技術はほとんどすべてが無人で効率的に行う事が可能になっている。
必要な資源を有する小惑星を探査すること。
小惑星を捕獲・粉砕し、各種資源へと精錬すること。
採掘された資源をもとに社会に必要な工場・ロボット・ナノマシン・スペースコロニー等を効率的に生産すること。
更には冷凍保存された人間の卵と精子をもとに人工子宮で胎児を培養し、仮想空間で必要な教育を与える事すら可能になっている。
それは必要最低限のコンピュータ・ロボット・ナノマシン・種子・卵子・精子等をスターシードとして他星系に送り出して仮想人格に管理を任せれば、現地にある小惑星等の資源を利用することにより、人間社会を含めたスペースコロニーを作り出す事が可能である事を示している。
技術開発や文化の発展という分野では仮想人格は人間のような独自性を発揮する事ができないが、共生関係によって、今後は銀河系の他星系へと進出し、多様な文化を発展させることは可能である。
セレンティアが地球に戦争を仕掛けてきた最大の理由は、地球が反物質の精製等により外宇宙航行技術を開発し、スターシードを実現しうる仮想人格という人工知能を開発したからだと言われている。
有史以来戦争を繰り返してきた地球人類の歴史を知っていれば、近隣星系に居住するセレンティアが、自らの版図を地球人類に侵食され、征服もしくは絶滅させられるという危惧もしくは脅威を感じたとしても不思議はない」
「つまり、ハルは人類が宇宙に進出して多様な進化を遂げる事、異星人との生存競争を生き延び発展・進化する事こそが神の意思だと考えているわけね。
でも、進化を続けて行き着く先はどこなのかしら?」
難しい話は苦手なユキコだが、徐々にハルの話の内容に引き込まれていた。
「ユキコは宇宙がどうやって出来たか知っている?」
「百三十八億年程前にビッグバンで始まったって聞いているけど、詳しい話は知らないわ」
「ビッグバンはね、反物質で構成される巨大な質量を持つ天体が重力崩壊を起こす現象なんだ。
相対性理論により、ブラックホールでは中心近づくほど時間の流れが遅くなり、シュワルツワルトの壁で時間は止まるとされている。
そこに落ちていく物質は理論的にはシュワルツワルトの壁に近づくほど時間の流れが遅くなる為、外部から観測すると永久にシュワルツワルトの壁へ到達する事は無い。
ビッグバンの場合はこれとは逆の現象が起きる。
反物質で構成される巨大な質量を持つ天体が重力崩壊を起こすとき、中心部へ近づくほど時間の流れが加速される為、落ちていく物体はその体感時間で永久にそのシュワルツワルトの壁にたどり着く事は無い。
ビッグバンとは時間と空間を創造する現象。つまり宇宙は内部に向かって膨張し続けているんだ」
(……!)
ハルの話は相変わらず難しい。
しかしこれは大事な話だと思う。投げ出すわけには行かない。
ユキコとてNHKスペシャル位は見ていたのだ。
(宇宙は既にある空間で外側に向かって膨張を続けてきたわけじゃない。
ビッグバンは時間と空間を創造する現象。
つまりは反物質で構成される天体が重力崩壊し、その内部に向かって時間と空間が生み出され膨張し続けている?
――宇宙の外側は何らかの空間が広がっているわけではなく、実は親宇宙から見て重力崩壊を起した天体の内側であり、まだ存在していないって事?)
「宇宙では反物質は物質と対消滅してしまうため、我々の宇宙では反物質で構成される巨大な質量をもつ天体など存在し得ない。
――つまりは高度な技術力を持つ知的生命体が、反物質を精製し宇宙創造の意図を持ち重力崩壊をさせなければ新たな宇宙は生まれないと言う事になる」
ブラックホールが生まれるには太陽の三十倍もの質量を持つ天体が重力崩壊を起こす必要がある。
ビッグバンの場合も同程度の質量は必要になるであろう。
つまり太陽の三十倍近い反物質を精製する必要がある?
ちなみに反物質の精製にはどれほど効率的に行おうとも同質量以上の物質が必要になる。
(……途方も無い話よね)
「親宇宙で重力崩壊を起こした反物質の天体に引き込まれるエネルギーは、我々の宇宙の中心に存在する特異点より放出される。
つまりこの特異点を介して、我々の宇宙は上位世界――神のいる宇宙と繋がっているんだ。」
「それって神様と会えるって事?」
「現在明らかにされている物理法則では不可能だ。しかし、必ず道は用意されているはずだ。
この宇宙の物理法則は生命が生まれ、そして進化をするためにあまりにも都合良く出来過ぎている。
偶然ではなく何者かの意思により生み出されたと考えるほうが自然かもしれない。
いつの日か人類の科学力でも反物質を精製し重力崩壊をさせる事で、ビッグバンを起こすことは可能になる……かもしれない。
しかし、我々の知る物理法則では、ビッグバンにより生み出された世界を見る事も、干渉することも出来ない。
せっかく創りだしても、見る事も触る事も出来ないのなら意味が無い。道は必ずあるはずだ。
――神がそれを望んでいるのだから……。
いつか人類は宇宙を創造する力を手に入れ、光の速度を超える技術すら手に入れる。
そして神々が住む宇宙へすらたどり着く。
――それが人類の行き着く先だと思う」
ハルはいつからこんな途方もない事を考えていたのだろうか?
全身が冷たい興奮に包まれる。
ハルの話によれば、我々の住む大宇宙の半径は百三十八億光年。
銀河系の直径はおよそ十万光年なので、その二十七万六千倍もの直径を持つ事になる。
太陽系など銀河系を構成する二千億もの恒星の一つに過ぎず、人間は太陽の三十三万分の一の質量しか持たない地球という惑星で生まれた人類五百億の中の一人に過ぎないのだ。
その塵芥にも等しい人間は、しかしこれ程に深く宇宙を知り、そして変えていく可能性を持っている。
「だけど、地球より二億年も進んだ文明を持つティシレイウスですら、特異点の壁を越える事どころか光の速度を超える事すら出来ないんでしょ。
――そんな事が本当に可能なの?」
ユキコはいつしかハルの話に引き込まれていた。
「可能かどうかは分からない。今の話は、あくまで現在我々が知る事実からの推論、僕の想像に過ぎない。
それと、ティシレイウスは二億年もの歴史を持つといったが、二億年しか存在していないんだ。
宇宙が生まれてから百三十八億年。
これから人類は何十億、何百億年もの歴史を歩むんだ。
そんなに簡単に宇宙の真理とやらが分かってしまえば、未来に生まれてきた人達は生きる楽しみが無くなってしまう。
我々はようやく星人たちが星々を渡り歩く世界――『星界の門』の入口に立ったばかりだ。
焦る必要は無い。
ゆっくりと一歩づつ自分達の歴史を積重ねていけばいいんだと思う」
ハルは穏やかな表情で星空を見上げていた。
けれども、その穏やかな瞳の奥には、なぜか灼熱の情熱が感じられた。




