第10話 習志野村で
ユキコとハルは海岸の廃屋で夕食を摂っていた。
河川沿いの道にたどり着いてからは、どこかしらに鉄筋コンクリートのビル跡があり、夜営の危険は激減した。
ギュスターに貰った地図のおかげもあり、狼に襲われた一件を除けば旅は順調に進んでいる。
「うまい! ユキコって料理上手なんだね」
ユキコはカスミに手軽でおいしい野外料理の作り方を教わり、仮想空間で特訓していた。
今日のメニューは、アジのたたきとわらびのしょうゆ漬け、たけのこの木の芽和えにお吸い物をつけた。
余ったアジは燻製にして明日のお弁当に入れる。
空腹は最上のソースというが、日中の強行軍でお腹を空かした二人には最高のご馳走だった。
飯盒の飯もあっという間に空になる。
「あー食った食った。こんなうまい飯、食べた事無いよ。
ユキコって料理の天才だったんだ」
ハルは些か大げさにユキコの料理を褒め称える。
カスミの特訓の件は、ハルには教えていない。
「ハルってまったく調子がいいんだから」
初日の夜はどん底まで落ち込んでいたハルだが、二日目は勇気を振り絞って旅を続ける覚悟を決めた。
三日目になりようやくいつものハルに戻ってきた。
「いよいよ明日は習志野村か。
逃げ出さなくて良かったよ。ありがとう、ユキコ」
素直な感想を述べるハルに、ユキコは微笑する。
二人はその後もいろいろと話し込んだ。
昼間見かけた猪の親子のこと。
昨晩食べた菜の花のおひたしのこと。
夕方のサビキ釣りのこと。
すべてを自分達の手でやらなければいけない生活は二人にとって初めての経験だった。
食料の確保から料理、洗濯まで……。
火を熾す事一つとっても、マッチの無いこの世界では結構大変である。
「ふぁー」
気が緩んだせいもあり、ユキコは欠伸をした。
「明日も早いんだ。そろそろ寝よう」
ハルの言葉にユキコも同意し、寝袋へと潜り込む。
(ハルは私と二人っきりで眠る事を意識したりしないのかしら?)
『勇気の出るおまじない』の話は、あれ以降、二人とも口にしていない。
意識されても困るのだが、何も無いというのも女として少し面白くない。
ハルは寝袋に入るや否や眠りについてしまった。
「おやすみなさい……ハル」
ギュスターのおかげで、習志野村についての詳細な情報を事前に入手できた。
人口は三千人足らずの村で、農業・漁業・手工業をバランスよく営んでいる。
村人はほとんどがカソリック教徒らしい。
地球に残った人達の中で、カソリック教徒はおよそ三割を占める。
歴史と伝統を重んじるローマ法王が宇宙に行く事を拒絶した為、信者の多くもこれに倣ったそうだ。
五百年前は二百人足らずの小さな村だったらしいが、信仰心の篤い村人は難民や災害に困窮する近隣の村人に暖かい支援の手を差し伸べた。
その精神に共感した人々が集まり、村は次第に大きくなっていった。
村長の村越真央はギュスターの友人だと言う話だったので、紹介状を貰ってきた。
村人に馴染み易い様に、東京にはユキコが家族の墓参りのために帰ってきたとだけ書かれている。
ユキコとハルは村長のマオを訪ね、客間に案内されていた。
マオは温厚で落ち着きがあり、そして気さくな人物だった。
「いくら御家族の慰霊のためとはいえ、こんな所まで徒歩で旅をして来るなど困ったお嬢さんだ。
川崎へ行く船が出るのは十日後だ。
それまではこの村でゆっくりすればいい。
――この村での生活については、我々に出来る範囲で便宜を図ろう。
但し、ここにいる間はこの村の規則に従って戴く。
働かざるもの食うべからず。当然仕事も手伝ってもらう。それで問題は無いかね?」
「ありがとうございます」
ユキコとハルはマオの暖かい提案に礼を述べた。
「今日は旅の疲れもあるだろう。ゆっくり休まれるといい。
私の家族も紹介しておこう。
――真一、真二、理恵」
ほどなく三人が客間に姿を現す。
私達はお互いに挨拶と自己紹介をした。
シンイチは村役場の仕事をしているインテリタイプの青年で、先月二十歳になったそうだ。
シンジは十七歳、中学卒業後は家業の畑仕事を手伝っているらしい。
身長は二メートル近く見るからに腕力がありそうだ。
リエは十三歳、中学に入ったばかりの初々しい少女だ。
「身の回りのことや仕事のことについてはシンジに聞いてください。
――シンイチ、このお二人の事については、おまえが責任を持ってお世話をしてくれ」
ユキコとハルはシンイチに村を案内してもらった。
村の中心街は教会を中心に様々な施設があった。
「ここが教会だ。この村はほとんどの人がカソリック教徒だから、日曜は礼拝に来る人で一杯になる。
教会前の広場では料理も振舞われ大いに賑わう。良ければ君達も参加してみればいい」
教会は村の中心に位置する一番立派な建物だった。
教会前の広場は様々な催し物に使われるらしい。
「ここは学校。この村では小学校と中学校が一緒になっている。各学年は一クラスづつで全生徒数はおよそ三百人」
授業はとっくに終了したのだろう。子供達が元気に校庭で遊んでいた。
村はのどかでありながらも活気に満ちていた。
電気もガスも無いそうだが、生活に必要な最低限の施設は揃っているようだ。
その後、図書館、診療所、公衆浴場、村営食堂、村営牧場、市場、港と案内される。
工場は、製材所や製紙所、製粉所等、風力、人力で運用される小規模なものだった。
蒸気や電気を使った機械もその気になれば造れるのだが、地球統合政府の検閲に引っかかると強制的に宇宙移民として地球を退去させられるらしい。
検閲は町や村の規模が大きくなるほど厳しくなるらしく、この村でも何百人もの人達が強制的に宇宙に移住させられたという。
地球統合政府の検閲は、廃棄物等を出し僅かでも環境を汚染すると摘発される。村は完全な循環型社会である事が要求されていた。
「宇宙に移住させられた人達がその後どんな暮らしをしているか分かりますか?」
ユキコはシンイチに質問した。
ここで生活している人達がスペース・コロニーに移住するという事は、ユキコが宇宙で生活するのと同様の困難がつきまとうのではないかと考えたからだ。
「ああ、勿論。宇宙に移住させられた人達の中には僕の友人もいたからね。
今でも時々手紙のやり取りをしているよ。
正直、うまく行っているとは言いがたいね。
仕事が無いんだよ。
地球の村とスペースコロニーでは教育水準がまるで違う。
この村の殆んどの人達はネットや仮想空間、仮想人格なんて言葉すら聞いた事がない連中だ。
仕事どころか、社会にとけ込む事すらできず、地球出身者同士、肩を寄せ合って細々と暮らしている」
(やっぱり……)
「地球退去者には補助金が支払われているから、生活に不自由はしていない。
むしろこちらでは考えられない程の便利で快適な生活だ。
しかし、自分の生き方に誇りが持てないらしい。
教会に通うか、仮想空間でネットゲームに入り浸るか……。
ほんの僅かだが、勉強に明け暮れるやつもいるらしい。
俺の親友だが、こっちに来いと誘われたよ。現実を直視するべきだと……。
教会が教えている事は教会にとって都合のいい事実だけだと彼は言っていた。
地球人類は五百億人に達し、地球に残っている人達は百万人に満たない。
教会は宇宙に住む人達を神の教えに背いたものと言っているが、彼はそうじゃないと言っていた。
進化論も大昔に十字軍が行った虐殺も魔女狩りもこの村の学校では教えられていない。
僕は図書館で三百年前の書物を調べ、いかに僕達の教えられてきた知識が偏っていたかを知った。
そして、村役場の仕事とギュスターの助手をする事になったんだ」
「ギュスターの助手?」
「ああ、地球の社会に関する統計調査や報告書の作成を手伝う代わりに、宇宙で起こっている出来事やスペースコロニーの話を教えてもらっている」
「それで、君はスペースコロニーに行くつもりなのか?」
「…………僕には涼子という婚約者がいる。
彼女は宇宙で暮らす事を頑なに拒んでいる。
もし、連れて行っても彼女はあそこでは幸せになれないと思う。
しかし、ここでの生活を選べば、僕の子供も、その子供も、豊かな自然と素朴な人間関係に恵まれつつも歪められた知識と苦しい生活の中で生きて行く事になる……」
シンイチには、まだ答えが出せないようだった。それはユキコも同じだ。
だからこそあれほどの危険を冒してまで地球に来たのだ。
「君達の宇宙での暮らしについて、今後いろいろ聞かせてもらえないか?
その代わり、こちらでの生活には出来る限りの協力をする」
「喜んで――」
ユキコとハルはシンイチの申し出をありがたく受けた。
ユキコは村に滞在する間、食堂の仕事を手伝う事になった。
初日は何かと手間取ったが、二日目以降は大きな失敗もなくこなしている。
しかし、問題は…………。
「いらっしゃいませ~!」
ユキコの明るい声が店内に響く。
「やあ、ユキコちゃん。こちらの仕事は慣れた?」
畑仕事を終えた三人の男達がテーブルに着く。
「ええ、おかげさまで……」
店内にいるのは、殆んど若い男ばかりで、その数は二十人近い。
午後二時をまわったこの時間にしては異様に多い。
ユキコは男性客の視線を一身に集めていた。
「ご注文は何になさいますか?」
「…………」
男達はユキコに見とれたまま、固まっている。
「さっさと注文しろ。ボッとしてんじゃね~!」
昼食を食べてから一時間以上も粘っているシンジが、自分のことを棚に上げて横から口を挟む。
「それじゃ~ナポリタンとビーフカレー、それとAランチをひとつづつ」
「かしこまりました」
ユキコは厨房にオーダーを通す。
その間も男達の視線はユキコを追い続ける。
(困ったな~。こんな格好させられるから……)
――そう。ユキコはメイド服で給仕をしていた。
ユキコの容姿は村では飛びぬけていた。
その彼女がメイド服など着ているものだから、女性に免疫の無い若い男達はたちまちのぼせてしまった。
メイド服はこの食堂の制服なのだが、ユキコが着るとまるで印象が異なる。
ユキコは村で、すっかり人気者になっていた。
周囲の男性の関心を惹くと女性の敵意を喚起す場合があるが、彼女の素直な性格と明るい笑顔は女性たちとも良好な関係をもたらした。時間のあるときは奥の厨房で料理を教わっている。この村に来てから、セイトに居た時のような劣等感に悩まされる事は無くなった。
ユキコが望めば村に留まる事も可能だろう。
(ハル……)
けれどもユキコの心は揺れていた。
「ふ~、ようやく作業が一段落したよ」
ハルが少し遅い昼食を摂りに現れた。
彼は牧場の仕事を手伝っていた。
「お疲れ様。ユキコ特製ランチを準備しておりますが、いかがでしょうか?」
ユキコの笑顔が一層明るく輝く。
「それじゃー、そいつをお願い」
「かしこまりました」
ユキコは優雅に会釈し、下ごしらえを終えていた料理を自分で作る為、厨房に消えた。
途端に周囲の男達が険しい視線をハルに向ける。
ユキコと特別に親しいハルに対して、周囲の男達の態度はあからさまに冷淡だ。
こんな時間に食事を取るのも、ハルに割り当てられる仕事は特に大変なものが多いからだ。
周囲の女性はそんなハルに好意的だが、それが男達の態度を益々硬化させる。
(……い、胃が痛い)
周囲の視線にハルは辟易する。
陰湿ないやがらせや陰口は無いが、この村の男達はハルに対し、極めて非友好的だった。
当然ハルも彼らに好意は持っていない。
そんな時、リエが食堂に姿を現す。
「ハル! やっと見つけた。明日の礼拝にハルとユキコも一緒に誘おうと思って」
リエは周囲の空気を完璧に無視し、底抜けに明るい声で話しかける。
宗教の話題は時として人間関係に大きな波紋を投げかける。
ここは大人らしく、適当に合槌を打つか受け流すべきだろう。
しかし、生真面目なハルには、真っ直ぐな瞳で話しかけてくる少女に対し、その場しのぎの対応など出来なかった。
「ごめんねリエちゃん。僕はカソリック教徒じゃないんだ」
ハルの対応に、周囲の険悪さが圧力を増す。
「信者じゃなくても神様の声に耳を傾ける意思があれば、神父様は分け隔てなく導いて下さるわ。
私、ハルにも神父様のお話を聞いて欲しいな」
リエの話はあくまでも純粋でひたむきだ。
「カソリックでの教えについて、概要は知っている。
しかし僕は、神が世界を七日で創ったとも、人間が知恵の実を食べた事で楽園を追放されたとも、隣人を愛せよと言ったとも信じる事は出来ないんだ……。
だから、教会には行けない……」
ハルの発言に忍耐のバロメータを振り切った男達が憤怒の形相で立ち上がる。
「神の教えを冒涜する気か?」
シンジがむき出しの怒気をハルに叩きつける。
「冒涜するつもりなど無い。
只、聖書に書かれている内容は、信者で無い僕には信じる事が出来ない。そう言っているだけだ。
君達だって、他の宗教――仏教やヒンドゥー教の経典に書かれている内容など信じていないはずだ」
「黙れ。聖書を愚弄する気か!」
劇昂したシンジはハルに殴りかかった。
ハルは軽々とシンジの拳をかわす。
シンジは次々と拳を繰り出すが、ハルにはかすりもしない。
仮想空間で格闘ゲームの達人であるハルは、冷静さを失いさえしなければ、現実空間でも相当に強い。
身体能力と格闘技術だけに限れば三百年前のK1優勝者ですら及ばないであろう。
「お兄ちゃん……。やめてよ、ハルは悪気があって言ったわけじゃないんだから……」
リエはシンジを止めようと言葉をかけるが、頭に血が上ったシンジは耳を貸さない。
「もうやめよう……。僕には君と争う理由が無い」
ハルもシンジを宥める。
多少動悸が激しいが、狼に襲われた時の様な恐怖は無い。
「貴様は喧嘩もできねえのか? 男の喧嘩の心意気ってのはな……」
ハルにはシンジの理屈に付き合う義理など無い。
しかし、憤るシンジの攻撃をかわすだけで相手にしない彼の態度は、ある意味嘲笑ととられても仕方が無い……。
「――!」
ハルは敢えて踏みとどまりシンジに殴られる。
殴られた頬が熱い。一瞬視界がぐにゃりと歪むが、踏みとどまってシンジの顔面を殴り返す。
驚いた顔のシンジがよろめきながらも、頭を振ってハルを睨みつける。
「上等じゃねーか。てめーらスペースノイドに、地球の男の心意気ってモノを見せてやる!」
シンジは勢いに乗ってハルを殴りつける。
ハルは敢然と受け止めシンジを殴り返す。
そんなやり取りが十数回繰り返される。
「ドサ――!」
シンジの一撃でハルが地面に倒れ伏す。
(くっそー、何だってこんな馬鹿馬鹿しい事に付き合わなければならないんだ!)
ハルは何とか起き上がろうとするが、膝に力が入らない。
頭はガンガンするし、視界も揺れている。
ハルはシンジに比べて体格がひとまわり小さい上に、現実世界で殴り合いをした経験がなく、打たれ弱かった。
その上、狼に襲われた時ほどではないが、アドレナリンの過剰放出による全身疲労にも陥っていた。
周りの男達が騒ぎ立てている。
リエがおろおろしている。
そして大勢の観衆の中、ユキコと目が合った。
「――!」
またしてもこんな醜態をユキコに見られた恥辱で全身が熱くなる。
辺りを見回すと、シンジが勝ち誇った顔でテーブルに腰をかけ、ハルを見下ろしていた。
やに下がった笑みを浮かべ、ユキコに手を振っている。
腹の底から湧きあがる怒りに眩暈がした。
ハルは幽鬼のごとき表情でゆらゆらと立ち上がった。
これまでは、仕方なくシンジの理屈に合わせるため殴り合いにつきあっていた。
――これまでずっと周囲にあわせ、当たり障りのない生き方をしてきた気がする。
(糞食らえだ!
――叩き潰す!)
ハルは血の混じったつばを吐き捨てると、渾身の力を込めた右拳でシンジを殴りつけた。
これまでとは段違いの衝撃に今度はシンジが吹き飛ぶ。
「…………」
部屋の隅に積み重ねられた椅子に突っ込み、脳震盪を起こしたらしくピクリとも動かない。
(ざまあーみろ。クソ餓鬼が!)
周りはすっかりお祭り騒ぎになっていた。
リエがシンジを介抱する声やハルの健闘を称える声も聞こえる。
この村ではこういうノリが好まれるようだ。
ハルは血のついた口元をぬぐうと、ユキコに振り返る。
ユキコの少し呆れた感じの微笑に、頭に上った血が勢いを失い、いきがっていた自分が恥ずかしくなる。
「ハルのバカ……」
ユキコは呆れながらも暖かい視線を送ってくれた。
次回は明日の21:00頃投稿予定です。




