第4話:言霊(ことだま)の毒
第一章:光らない画面
初夏の陽気が差し込む午後、私の元を訪れたのは、青白い顔をした若い女性・ミカさんでした。
彼女は人気のあるインフルエンサーだそうですが、ここ数週間、ある異常に悩まされていました。
「スマホの画面が、真っ暗なままなんです。修理に出しても『異常なし』。でも、私が手に持つと、画面の奥から……誰かが私を睨んでいるんです」
彼女が差し出したスマートフォンを手に取った瞬間、私の指先にピリリと刺すような痛みが走りました。
画面は確かに黒いままなのに、奥に“何か”が潜んでいる気配がある。
これは、死者の恨みではありません。
生きた人間の嫉妬、羨望、悪意が幾重にも積み重なった「生霊」の障りです。
「ミカさん、あなたは最近、誰かの心に深く突き刺さるような“言葉”を投げましたか? あるいは、投げられましたか?」
彼女はハッとして、震える手で顔を覆いました。
「……炎上したんです。私の投稿がきっかけで。悪気はなかったんですけど、誰かを傷つけたみたいで……。そのあと、DMやコメントで、すごい数の言葉が届いて……」
SNS上での些細な言い争い、そしてそれに群がる無数の匿名の人々。
その悪意が、デジタルの波に乗って彼女の「魂」を侵食し始めていたのです。
私はスマートフォンをそっと置き、深く息を吸いました。
画面の奥から、確かに“視線”がこちらを覗いている。
それは一人のものではなく、何十、何百という“言葉の主”たちの影でした。
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第二章:言葉を洗う儀式
その夜、私は彼女の部屋で、SNSという現代の「魔」を払うための特殊な御願を行いました。
部屋は白を基調としたシンプルな空間でしたが、空気はどこか淀んで重い。
言葉の毒は、目に見えない煙のように部屋全体に漂っていました。
用意したのは、真っ白な紙と、「イチミ(生身)」の汚れを落とすためのマブイグミの道具です。
「サリ、ウートートー。天の神、地の神。言葉は刃にもなれば、薬にもなる。行き場を失い、毒となった言葉を、どうぞ元の清らかな水へと返したまえ……」
私は彼女のスマートフォンの上に、十字に結んだサン(ススキの魔除け)を置き、泡盛を口に含んで勢いよく吹きかけました。
その瞬間、電源の入っていないはずの画面がパッと青白く発光しました。
続いて、画面の隙間から黒い泥のような液体が溢れ出してきたのです。
「ヒッ……!」
ミカさんが悲鳴を上げました。
その泥は、画面上で書き込まれた罵詈雑言が形を成したものでした。
よく見ると、泥の中に文字の断片が浮かんでは沈んでいく。
“消えろ”
“嘘つき”
“お前のせいだ”
私はすかさずヒラウコー(平線香)を焚き、その煙で泥を包み込みました。
煙が触れるたび、泥はジリジリと音を立てて縮んでいく。
「言葉を放った者たちへ、この毒を返してはいけません。それでは憎しみの連鎖が止まらない。私はこの毒を、私の数珠を通して大地へ流します」
そう言いながら、私は数珠を握りしめました。
すると、泥の中から細い腕のような影が伸び、私の手首に絡みつこうとします。
これは“言霊の残滓”。
人の悪意が形を持ち始めた、最も厄介なものです。
私はさらに強くグイスを唱え、泡盛を追加で吹きかけました。
影は苦しむように身をよじり、やがて煙の中へと溶けていきました。
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第三章:沈黙の平穏
儀式が終わる頃、部屋を満たしていた耳鳴りのようなノイズがスッと消えました。
スマートフォンは元の静かなガラスの板に戻り、黒い泥も跡形もなく消えています。
私は深く息を吐き、数珠を見下ろしました。
糸が一本、ぷつりと切れていました。
身代わりになってくれたのでしょう。
「ミカさん。言葉は、一度放てば二度と戻りません。それはあなたの魂の一部を切り取って飛ばすのと同じこと。これからは、言葉を放つ前に一呼吸、自分のマブイに問いかけなさい」
彼女は深く頷き、涙を流しながら真っ黒に汚れた床を自分で拭き始めました。
その姿は、まるで自分の言葉を“洗い直す”ようでした。
翌朝、彼女のSNSアカウントは削除されていました。
彼女が選んだのは、デジタルの中の虚構の繋がりではなく、自分の足で大地を踏みしめて生きる、静かな沈黙でした。
私は窓を開け、沖縄の方角に向かって静かに祈りました。
指先の痛みはまだ少し残っていましたが、空はどこまでも高く、澄み渡っていました。
言葉の毒は消えた。
けれど、言霊の重さは、これからも人の世界に降り続けるのでしょう。




