護衛騎士を志した日①
瞼に柔らかな光が当たる。
シャッという音と共に、部屋の中がゆっくりと明るくなっていった。
「お嬢様、起きてください」
リディアの声がする。
起きなければならないが、少し体が重い。
「今日はアルデンティア公爵令嬢がいらっしゃるのですから…」
「…そうだった!」
勢いよく体を起こし、ぐっと体を伸ばす。
朝早く起きて少し剣の鍛錬をする予定だったが、それは叶わなかった。
それほど疲れていたのだろう。
たまにはこんな日があってもいいか。
マルグリットが準備してくれた温かいタオルに顔を埋める。
思い切り顔を拭きたいが、リディアのお小言は避けたいので、我慢した。
そっとタオルから顔を離し、少し顔の角度を変えてもう一度埋めた。
「ふー。気持ちいい…」
ベッドから降りて、ドレッサーの前に座る。
アリーナが欠伸をしていても関係なく、侍女二人が髪に櫛を入れ、顔に化粧水を塗る。
今日は友人を迎えるので、いつもより少し可愛らしい化粧を薄く施す。
マルグリットが魔法のようにアリーナの髪を結う。
いつもは一つまとめにするだけだが、サイドの髪を少し多めに取って、編み込みをして一緒に束ねる。
「可愛すぎない?」
「このくらい大丈夫ですよ。たまには可愛らしいスタイルにさせてください」
にっこりと笑うマルグリットに一瞬悩んだが、任せることにした。
アリーナ付きの侍女はこの二人。プライドを持ってやってくれているので間違いはないだろう。
ドレスはフリルやリボンがあまりない落ち着いた淡い黄色のドレス。
ピンクゴールドのアリーナの髪色とよく合っている。
「これ、新しいドレス?」
鏡の前でくるりと回ると、裾がふわりと膨らむ。
「はい。奥方様が先日ご用意されていました」
「アリーナ様の好みをよく分かってらっしゃいますよね」
「うん。動きやすいし、走れそう」
「走らないでくださいね!」
二人に怒られ、はーいと小さく答えたアリーナだった。
今日はランチを共にしようと約束をしている。
睡眠を優先したのでもう朝食を食べている時間はなかった。
アリーナの部屋のバルコニーで庭を見ながら食事をするため、アリーナの支度が終わると、邸の侍女たちがリディアの指示でバルコニーに机や椅子、花を運んでいく。
「あら、アリーナ」
部屋にいると邪魔になるのでリビングへ移動すると、セシリアが刺繍を刺していた。
「おはようございます」
「おはよう。少しお寝坊さんだけど、たまにはいいでしょう」
刺繍の手を止めてセシリアは自分の隣に座るように促した。
「準備終わるまで部屋を追い出されました」
「あらあら」
ふふふと柔らかく笑って、セシリアが頭を撫でると、アリーナは年相応の笑顔を向ける。
「そういえば、エメラルド皇国へ向かう準備はできたの?」
「はい。リディアとマルグリットが抜かりなく。あとは姫さまの指示待ちです」
「そう。あの二人に任せれば大丈夫ね」
学園の休みの時期を利用して、明日からリオネッタがエメラルド皇国へ向かう。
リオネッタはエメラルド皇国の皇太子ジークフリートと婚約をしている、未来の皇后である。
三年前からこの長期休暇を利用して、エメラルド皇国へ花嫁修行に行っている。
アリーナはリオネッタの希望もあって共にエメラルド皇国へ共に向かうことになっている。
今はお付きの一人としてだが、いずれは…。
「いらっしゃいました」
執事がエレオノーラの到着を知らせる。
二人はおしゃべりをやめて玄関へ向かった。
アルデンティア公爵家の紋章が刻まれた馬車がゆっくりと玄関前に到着した。
執事や侍女が頭を下げ、アリーナとセシリアがすっと背を伸ばした。
馬車の扉が開き、エレオノーラがゆっくりと降りる。
薄い金色の髪が、昼前のまだ優しい陽の光で柔らかく輝いていた。
「いらっしゃいませ、エレオノーラ様」
スカートの裾を少し持ち、腰を下ろして迎える。
「まあ、アリーナ様」
友人のあまりにも令嬢らしい姿に笑みが溢れる。
「公爵夫人、お出迎えいただきありがとうございます」
エレオノーラもアリーナに負けないくらい美しい所作でセシリアに礼をする。
「お久しぶりね、エレオノーラさん」
セシリアが先に邸に入り、アリーナとエレオノーラが並んで続く。
「今日はあなたのお好きなものを用意しているの。楽しんでいらしてね」
セシリアにもう一度頭を下げて、二人はアリーナの部屋へ向かった。
「相変わらずかわいいお部屋ね」
「お方様の趣味なので…」
アリーナの部屋は白と赤を基調としてまとめられている。
だが、天蓋やベッドスカートにはフリルが多いレースが使われており全体的に可愛らしい雰囲気だ。
少し、アリーナの趣味とは違う。
セシリアが楽しんで選んでいるみたいなので、そこはあえて好きなようにしてもらっている。
子供の頃は壁紙もピンクで部屋の全てが可愛らしかったが、張り替えのタイミングで白寄りにしてもらった。
男子しかいなかった反動か、セシリアの部屋を可愛くしたい熱が高かったのだ。
バルコニーへ続く扉を開けると、一面黄色いバラが飾られていた。
エレオノーラの好きな花である。
「まあ…!」
バルコニーから見える庭園は、まだ少し満開には届かないが、美しく咲いている。
緑の葉との色合いが美しい。
そしてテーブルの上には食事の邪魔にならないように、黄色のバラが飾られていた。
黄色のバラはエレオノーラの好きな花のひとつだ。
友人の好みに合わせてアリーナが庭師や侍女に指示を出した。
「相変わらず、こちらのバラは美しいですわ」
アメジリウス公爵邸はバラが多い。
先々代の公爵夫人がいろいろなバラを植えたのが始まりで、うまく育てれば年中バラが咲き誇る庭園になっている。
幼い頃、二人でよくバラに囲まれてお茶をしていた。
「庭師たちが、ぜひエレオノーラ様にお見せしたいと、黄色いバラを懸命に育てていました」
バラに囲まれてお茶をしていた時に、庭師たちが手入れしているところもよく見ていた。
その時にエレオノーラが黄色いバラが好きだと言ったのを、今でも覚えてくれている。
アリーナはもちろん、エレオノーラもそれがとても嬉しい。
ランチもエレオノーラの好きなものがたくさん出た。
細かく刻んだ野菜がたくさん入ったスープ、鴨のロースト。パンは皮がパリッとしていて中はふんわりと柔らかい。
最後のデザートは少し軽めにカップケーキだった。
生クリームたっぷりで、フルーツが色々飾られていた。
少し時間をおいてセレネのお菓子も出てくるため、食後のデザートは控えめな大きさだった。
「そういえば、アリーナ様にもご迷惑をおかけいたしました」
エレオノーラがゆっくりと頭を下げた。
「あれから王家とも話がまとまり、正式に婚約破棄となりました」
第四王子の処遇などはわかっているし、それは自業自得であるが、エレオノーラに非はないとアリーナは思っている。
「実はお恥ずかしい話、金銭面で少し問題もありまして…」
マルセルはいつもの商店で買い物をしているつもりだったようだが、そこはアルデンティア公爵家が支払う手続きをしているところだった。
娘の婚約者の買い物だからと目を瞑っていたのだが、そこでフローラへの贈り物も購入していたのだ。
「なんてことを…」
アリーナが眉を寄せる
「それは解決したので…、ご心配なく」
マルセルの母は即妃である。
国王の正式な妻ではないため、国庫から支払われるのは正妃に比べるとかなり少ない。
さらに実家もそこまで裕福ではなく、後ろ盾も弱い。
国王からの寵愛だけが頼りな地位である。
アルデンティア公爵も婚約期間中の出費については支払いをするとしたが、さすがに娘以外の女性に贈った商品の代金は払えない、ということになったのだ。
「国王陛下がそこは親として責任を取るとおっしゃって…。私財でお支払いくださったの…」
アリーナは目を伏せて深く息を吐いた。
マルセルは同じ歳で、いろいろな行事で一緒になることが多かった。
少し自己肯定感が高い気がしたが、やればできるし、アリーナも勝手にライバル視しているところがあった。
しかし、フローラに出会ってからの彼は張り合いがなくなってしまった。それは少し残念に思っていた。
「これからどうしましょう?と悩んでいたのですが、母からしばらく公爵領へ下がってゆっくりしなさいと言われて…」
「え?それって…」
エレオノーラの母は現国王の妹で、とても厳しい。もちろん理不尽な厳しさではないのだが、娘が王子との婚約破棄にあまり良くない思いでいるようだ。
「でも。私は王都にいたくて…。でも今まで王子妃になる予定だったのもあって、特に仕事があるわけでもないので…」
エレオノーラの顔が曇った。
領地に戻れと言われるのは、ほぼ軟禁状態に近い。
友人もいない地に、一人寂しく籠るのは、想像するだけで鳥肌が立つくらい、嫌だ…。
「あら?二人ともどうしたの?」
声がする方を向けば、セレネがお菓子を乗せたワゴンを押してバルコニーへ出てきたところだった。
「そう、か…」
いいことを思いついた!とアリーナは手を叩いた。
「エレオノーラ様、しばらく我が家でお過ごしになりません?」
「え?」
びっくりして顔を上げると、アリーナが満面の笑みでエレオノーラを見つめていた。
「まだ正式に発表していないんですが、セレネ義姉様がご懐妊なんです。なのに私、明日から姫さまのお供でエメラルド皇国へ向かいます。兄たちは皆多忙。なのでエレオノーラ様がいてくだされば私は安心してエメラルド皇国に行くことができます」
「まあ!それはとてもいいわ」
義理の姉妹が手を取り合うが、エレオノーラは展開についていけなかった。
「えっ?えっ?」
「リディア、ペンと紙を用意して!父様へ手紙を書くわ」
バタバタと令嬢らしからぬ足音を立てて、アリーナが部屋へ戻る。
それをエレオノーラは呆然と見送った。
「もしお嫌ではなければ、しばらくこちらでゆっくりされてはいかがかしら?」
ふわりと優しく微笑むセレネの言葉に、エレオノーラは自然と頷いていた。
「よろしいのでしょうか?」
「私やお義母様は大賛成ですわ」
「これ、早馬で父様に届けて」
執事に手紙を託すと、アリーナが戻ってくる。
その間にセレネと侍女たちによってテーブルの上がお菓子でいっぱいになっていた。
「私にもペンと紙を貸していただけるかしら?」
「ええ!もちろん」
アリーナがリディアに合図をするとペンと紙がエレオノーラの前に準備された。
ーー母の言いつけを守らないのはいつぶりだろうか…
迷うことなくペンを走らせて、アルデンティア公爵家へ届けてもらうよう頼むと、少し強張っていた体が解けた気がした。
「アリーナが留守の間寂しくないわ」
「ナイスアイデアでしょ?」
セレネも一緒にと声をかけようとしたが、体のことを考えてやめた。
ゆっくりと話す機会はいくらでもあるのだから。
「失礼いたします」
リディアが手紙を載せたトレイを持ってきた。




