アリーナ誕生の秘密③
「男性陣はお酒を召し上がるようだから、私たちはお茶にいたしましょうね」
晩餐が終わり、公爵夫人のサロンに移動した。
ここはいつも色とりどりの花が飾られ、夫人のセンスの良さが窺える。
調度品の中には先代公爵夫人から譲り受けたものもあり、丁寧に手入れされている。
花の刺繍が施されている若草色の2人掛けのソファは、アリーナが幼い頃ねだったものだ。
高価なソファであったが、夫人は迷うことなくこのサロンへ取り入れた。
サロンでお茶をする時は、このソファがアリーナの定位置だ。
「アドリアン様、明日も朝早くからお出かけになられるので、心配ですが…」
アドリアンの妻セレネが少し困ったように微笑んだ。
「義姉様、大丈夫ですよ。ライナルト兄さまが止めてくださいますから」
父とアドリアンは強くないのに、アルコールを嗜む。
特に果実種が好きで、領地でも作らせているほどだ。
もっともーー、晩餐の間は食前酒しか口にしない。
アリーナがアルコールの匂いが苦手だと承知しているからだ。
公爵邸で人を招いて晩餐会を開く際、アリーナは全く部屋にこもるか、エレオノーラの家に遊びに行くことが多い。
デビュタントを済ませているので本来なら同席してもいいのだが、匂いだけで具合が悪くなるので、学園に通う間は配慮してもらっている。
もちろん、将来のために少しずつ馴らしていってはいるが、無理強いはされていない。
特に今日はアリーナのための晩餐だった。
ーーだからこそ、遠慮してくれたのだろう…。
その気遣いに、また胸の奥が暖かくなる。
「過保護ですよね…、本当に」
小さく呟くと、夫人がアリーナの手を優しく握った。
「当然でしょう…。大切な娘のことなのですから」
優しく、迷いのない言葉だった。
「お方さまも義姉さまも…、いつもありがとうございます」
深く頭を下げると、2人の細い手が肩に置かれた。
「大切な家族のことですから。当然のことよ」
「わたくしも、かわいい義妹のためになら、なんでもするわ」
「…つ、ありがとうございます。お二人とも、大好きです」
2人に抱きつくアリーナに、2人は躊躇わず抱きしめ返した。
「失礼いたします」
扉がノックされ、ワゴンを押して入室したのは、夫人の侍従であるエリシアだった。
ワゴンにはクッキーやフィナンシェなどのお菓子が美しく並び、湯気の立つティーポットが添えられている。
「どうなさいました?」
抱きしめ合う3人を見て、エリシアは首を傾げた。
「ふふふ、大丈夫よ。3人で幸せを噛み締めていただけですから」
「そう、ですか…」
エリシアがアリーナに視線を向けると、幸せそうに微笑んでいたので小さく安堵の息をこぼした。
「さあ、アリーナ。今日は腕によりをかけてお菓子を作ったのよ」
セレネが楽しそうにお菓子が並べられたお皿をアリーナに見せる。
セレネはお菓子作りが趣味で、アドリアンが専用のキッチンを誂えたほどだ。
その腕は確かで、公爵家はもちろん、使用人までもがファンなのだ。
「義姉さまのフィナンシェ、大好きです。姫もまた食べたいとおっしゃっていました」
「まあ、嬉しいわ。ではエメラルド皇国へ行かれる際のおやつとして、たくさん用意しますわ」
本来なら許されないことだが、リオネッタもこの菓子のファンだった。
以前、アリーナがこっそりクッキーを持って学園に行ったとき、キラキラとした瞳で口にしてから、時折おねだりされるのだ。
「紅茶もいい香りね。これはあなたの実家で作っているものね」
夫人がティーカップを持ち上げ、その優しい香りを感じる。
エリシアの実家はエメラルド皇国と隣接する国境の地であり、緑豊かな土地である。
かつては大嵐によって壊滅の危機を経験したが、今は肥沃な大地へと生まれ変わり、紅茶が名産となっている。
「はい。先日母が送ってくれまして…。お方様がお好きなのを存じておりますので」
手際良く紅茶を注ぐ姿は、あくまで侍従のもの。
「母さまも一緒にお茶にしましょう?」
お気に入りの若草色のソファをぽんぽんとアリーナがたたく。
その一言にエリシアの手が一瞬止まった。
侍従が主人と同席するなど、あってはならないからだ。
そして、母と呼ばれることも…。
「そうよ、そうしましょう。今日はアリーナのお疲れ様会だもの。あなたも一緒に楽しまなくては…」
夫人も優しく微笑んで、エリシアを迎え入れる。
「セレナも…、いいかしら?」
「ええ、もちろんです。ぜひご一緒しましょう」
二人もアリーナの隣へ座るように促す。
「ほら、母さま!」
アリーナは立ち上がってその腕を取った。
「もし、今から何もお仕事がなければ…、一緒にお茶にしましょう?」
「アリーナ…」
視線を夫人に向ければ、笑顔で頷いている。
主人からの許可は出た、ということだが…。
自身の立場に対する葛藤と戸惑い。そして、ここまで自分と共に楽しみたいと思ってくれる娘のお誘いに応じないわけにはいかないだろう。
「では、少しだけ…」
アリーナに手を引かれるまま、彼女のお気に入りのソファへ導かれ、夫人ーーセシリアの隣へ腰を下ろした。
アリーナが嬉しそうに笑い、エリシアも穏やかに微笑み返す。
その光景を見て、セシリアは救われた気持ちになった。
ーー血のつながりがなくても。
アリーナは3人の息子と同じ守るべき存在だ…。
「さあ、セレネのお菓子をいただきましょう」
皆が手を伸ばし、サロンに楽しそうな笑い声が広がる。
その穏やかな時間の中で、エリシアの来し方を思い出すものはいない。
エリシアの人生は、決して穏やかなだけではなかった。




