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31:王国宰相の朝は早い


 王国宰相ギョーム・ド・ノガレの朝は早い。

 二月下旬の一日。


 まだ夜も明けやらぬ、冬の早暁。

 ノガレは自邸の庭へ出ると、白い長衣をひるがえし、颯爽と馬車に乗り込み、王都の中心部へ向かった。


 目的地は、建設途中の大神殿――かつての女神教の聖堂ではなく、いずれ真の女神(エンリル)たるレダ、及びレダに付き従う神々の座(バビロン)の神格たちを祀ることとなる予定の、新たな女神教の総本山となるべき建築物である。

 かつての王城、ベシュアル宮殿の跡地をそのまま大神殿の建設地とし、その規模においても旧王宮に匹敵する一大石造建築となる予定であった。


 建設計画の発起人にして総責任者は宰相ギョーム・ド・ノガレ自らが務め、そのノガレが召集した教会建築の専門家ら七名がチームを組んで基礎設計を施している。その図面の出来栄えには、当の祀られる側であるレダも――。


 ――おいこれ、どんだけ費用かかるんだよ。国庫をカラッポにする気か? そりゃアタシの知ったこっちゃねえけどさぁ。


 と、いたく「感心」されていたということである。

 現在まで、工程はノガレの想定以上の急ピッチで進行しており、着工からわずか半月で外観の三割まで既に組みあがっていた。


 この大建設のために王都内外から新たに雇用、動員された技術者、人夫、労働者らの総数は三万人を超える。建設作業は三交代制で、昼夜わかたず休み無く、現在も続けられていた。

 その慌ただしい現場を統括し、監督している責任者とは。


「ほう、宰相閣下。こんな朝早くから視察とは、ご熱心なことで」


 現場の仮小屋でノガレを出迎えたのは、眠そうな目とくたびれた顔つきの、いかにも冴えない雰囲気の初老男だった。


「仕事熱心という点では、あなたのほうがよほどですよ。進捗を伺いに来たのですが……」

「見ればわかるだろう。ここにいる連中、どいつもこいつも、いっぱしの技術屋気取りで、名前ばっかりご大層だが、実際はド素人ばかりだ。おかげで順調とはいえんが……どうにか最低限の仕事はできとるよ」

「一応、この世界ではまず一流と目される専門家たちを集めたのですが……相変わらず手厳しいですね」

「ふん。本当のことを言ったまでだ」

「……その顔、昨夜もまともに寝ていないのでしょう?」


 ノガレは微笑を浮かべて初老の男を眺めやった。

 褐色がかった肌に、黒髪黒目。ひと目にそれとわかる東方人の容姿。その外見こそぱっとしないが、かつて東方において数々の神殿建築に携わり、のちに西方へ移住し、古帝国様式の石工建築技術を西方諸国にもたらした、石工の伝道師ともいうべき偉大な技術者である。


 神殿建築家ヒラム・アビフ。王国内外の七つの石工組合(メーソンリー)連合を統括する大棟梁(グランドマスター)であり、ギョーム・ド・ノガレとは「古くから」互いに知己の間柄でもあった。


「今回ばかりは、いつもの仕事とはまるで意味が違う。なにせ本物の神様のご座所を作れというんだからな。これぞ石工冥利に尽きるというやつだ。暢気に寝てる余裕などあるものか」


 そのヒラム・アビフが、疲れきった顔に、力ない笑みを浮かべた。明らかに睡眠不足で、憔悴すらしている様子だが、口調だけは、はっきりと力強い。


「さすがは……と、いいたいところですが、あまりご無理はなさらぬよう。あなたの他に、この現場を仕切れる者などいないのですから。倒れられては元も子もありません」

「なんの、これしきの寝不足」


 ヒラム・アビフは、粗末なガウンを肩にひっかぶせ、小さく笑って見せた。


「不肖の弟子に背後から襲われでもしない限り、私が倒れることはない」

「あなた、実際それで一度死んでるんですが」

「そうだったな。遠い昔のことだ」

「なんでしたら、護衛でも付けましょうか?」

「いらん」


 冗談めかしく述べるノガレへ、ヒラムは苦い顔して応えた。


「いまどき、(グランドマスター)を殺してでも石工(メーソン)の秘儀を継ごうなんて気骨のある奴はおらんよ」

「……確かに」

「まだ少々時間はかかるが、完成を楽しみにしておけ。例の神様たちにも、そう伝えておいてくれよ」

「ええ。必ず伝えましょう」


 二人は軽く笑みを交わしあい、その場から別れた。






 やがて王都の夜が明ける。

 ノガレは一度、馬車で自邸へ戻り、ライ麦のパンとハーブティーで簡単に朝食を済ませると、今度は自ら乗馬に打ちまたがり、単身で再度出立した。


 旧王宮跡地、新大神殿の建設現場はアレーシ河の左岸にある。そこから反り橋を渡って対岸へ至り、さらに河沿いに南下すると、かつて聖エリゴス騎士団の総本部であったエリゴス塔――正式名称、バルドー砦の跡地がある。

 いうまでもなく、先日、女神レダの「お仕置き」により、エリゴス塔は跡形も無く粉砕され、もはやその痕跡すらとどめていない。どころか、女神の拳骨の威力は、一帯の地面を陥没させ、巨大なクレーターを形成していた。


 ノガレは、このレダが穿った大穴を、むしろ今後のために活用すべしと思案し、大神殿とは別に、大掛かりな土木工事の計画を立てていた。

 既にレダたちにも語っている、ノガレの計画――女神レダ手ずから、国王フィリップ五世へ王冠を授け、地上における王権を委任する――すなわち王権神授。


 その実際の儀式を行う「神授台」を、このエリゴス塔の跡地に築かんとしていたのである。

 ノガレの計画では、まず窪地の中央部に石垣を積み、そのうえに神授台となる高櫓を組み上げた後、アレーシ河の水を引き込んで、窪地全体を人工の湖とする予定であった。


 神授台の基礎部分を水没させ、高櫓の部分のみを水面上に浮かびあがらせるという、いわば湖上舞台というべきグランドデザインである。あえて橋はかけず、神授台まで船で往来することをノガレは想定していた。

 ただし、大神殿の建設現場と異なり、こちらはまだ本格的な着工はなされていない。宰相府から数名、測量員や作業員らが派遣され、今日からようやく地形調査が始まることになっている。


 ――それとは別に、ここ数日、窪地の一隅に貧相な仮屋を連ねて起居している者たちがいた。それもノガレの特別な指示によるものである。

 その仮屋の手前で下馬したノガレを出迎えたのは、泥に汚れた作業着姿の、うら若き女性であった。


「ノガレさま……! よくこそ、おいでになられました」


 そう恭しくノガレの前に跪いてみせたのは、フィリー子爵家の長女にして、先日までエリゴスの騎士であった――かのランジュ・ド・フィリーである


「およしなさい。あなたが膝をつくべきは、私などではありません。あなたの信仰と忠義は、女神(エンリル)様にこそ捧げられるべきなのですから」


 ノガレは、つとめて優しく言葉をかけ、わざわざランジュの身をかい起こしてやった。

 ランジュは、泥のこびりついた頬に、涙を伝わらせた。


「ですが……私の目を覚まさせてくださったのは、ノガレさま、あなたなのです。愚かな私が、あなたへしでかした無礼の数々、いま思い起こしましても……」

「そのような些細なこと、私はもう気にしていません。それよりも、もっと毅然となさっていただきたい。あなたがそれでは、周囲へのしめしがつきませんよ。いまのあなたは、真女神教の大司教猊下であられるのですから」


 現在、この窪地の仮屋には、かつてエリゴスの正会員だった修道騎士や会付司祭らがほぼ全員収容されている。いわば、ここは元エリゴス会員の一時収容所であり、彼らは近々着工となる神授台の建設作業に動員される予定となっていた。

 ランジュ・ド・フィリーがそうであったように、彼らエリゴス会士らも、先日の王都上空におけるレダ・エベッカ――真なる女神(エンリル)の神威を目撃し、体感している。ただ一人の例外もなく、彼らはその場で偽の聖女(シモーヌ)への信仰を捨て去り、悔い改め、真なる女神(レダ)への信仰に目覚めた。


 ノガレは、そんな彼らへ、神授台建設という仕事を持ちかけた。神授台完成の暁には、裁判などの手続きなしで女神(エンリル)様じきじきに、騎士団時代のすべての罪業の赦しを受けることができる――という触れ込みで。

 もとより彼らは容疑者として拘束を受けている身。建設作業への動員は、自由意志ではなく、ほぼ強制であったが――誰もが進んでノガレの呼びかけに応じたのである。


 元エリゴス会士のなかでも、ノガレは、とくにランジュに目をかけていた。彼女の経歴から窺い知れる、一種病的なまでの盲目的信仰心。それに裏打ちされた強靭な精神力、目的のために万難を排して行動する実行力。

 しかし狂信者というほど箍が外れているわけではなく、理性と信仰心の均衡はかろうじて保っている。ノガレにとっては様々な意味で「都合のいい」存在だった。


 ゆえにノガレは、まずランジュに「大司教」の肩書きを負わせ、作業全体を統括する役割を与えて組織運用の経験を積ませ、いずれレダを「ご神体」とする新女神教の組織中枢に据えるつもりでいたのである。


「さぁ、しゃんとなさってください、フィリー大司教。神授台完成の暁には、あなたも女神(エンリル)様への拝謁がかなうのですよ」

「はいッ……! み、御心のままに!」


 ノガレの言葉に、ランジュはなおも感泣しながら、天へ向かって、心からの拝礼を捧げたのである。





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