最終話 とある恋の話
カラールが放った炎は、三日三晩燃え続け、屋敷にあったあらゆるものを跡形もなく消し去った。
当初は、魔族の襲撃だと憤っていたビュティア王国だったが、上層部が秘密裏に行っていた研究の内容が、なぜか他国へ知れ渡り……、同じ人間すらも材料にしていたなんてと、大きな非難を浴びた。
戦争だと息を巻いていたビュティア王国はそれどころではなくなり、ひとまず人族対魔族の全面戦争は回避されたが……安堵したのは魔族側ではなく、人族だった。なにせ、魔族は消せない炎を操れるのだから。
けれど、人は誰も知らない。
その魔族が、魔王の元へ戻っていない事を。
人は、誰もが思いこむ。
勇者ともてはやされてい、実際は“怪物”だったあの少女も、炎に巻かれて死んだのだと。
手のひらを返して、人は自分たちが勇者と呼んだ少女を蔑む。
いかれた父親に殉じて死んだのだろうと勝手に思い込み――人は、都合の悪いものに蓋をして、今日も生きていく。
誰もが頼り切り、夢見ていた勇者は、こうして人々の中から消えた。
そして――。
「カラール、あっちに綺麗な花が咲いてる……!」
「わかったから、僕の手を引っ張るな」
ビュティア王国から遠く、山をいくつも超えた先にある小国の街道を、旅人の男女が連れ立って歩いていた。
銀髪に紫水晶をはめ込んだような瞳の、透き通るような美少女が、生き生きとした笑みを浮かべ傍らの青年の手を引いている。
「あっ! 見て、見て! 鳥! ……わぁ、あの鳥、青い! 青い鳥は、幸福を運ぶ鳥なんだって! カラール、幸せになれるね! やったね、嬉しい!」
「はいはい、ありがとう。……お前もな」
青年の一言で、少女はぽっと顔を赤くした。
「わたしはもう、充分だもの」
「幸せに、充分すぎるって事はないだろう」
足を止めた少女に「あればあるだけいい」と素っ気なく言うと、今度は青年が先を歩き出す。
「ほら、向こうの花畑を見たいんだろう? ……行くぞ、リリィ」
「……うん!」
――リリィを殺すことが出来なかったカラールは、魔王軍に戻らず各地を放浪していた。ただ、魔王軍に追われる立場になった……という訳ではない。
ビュティア王国を脱出した後、すぐにカラールはグラマツェーヌと顔を合わせた。
育ての親は、厳しい顔で命令に背いたカラールを叱責し、魔王が下した処罰を伝えたのだ。
曰く、カラールがこれから、呪い石を回収するために各地を巡る旅に出るように。全ての呪い石を回収しなければ、魔王が治める彼の地に戻る事は許さない。
いまだ休眠状態で地中や水中に埋まっている呪い石もある。全てを回収するには、途方もない時間が必要だ。
事実上の追放にも聞こえるが……、グラマツェーヌはふと表情を緩めた。
『これでも、軽い処罰なのだぞ? なにせ、お前は裏切り者の勇者を始末したのだから』
『……え?』
『勇者は死んだ。あの炎の中で。……我らが同胞を手にかけてきた鬼畜が死んだんだ、あれが生み出した勇者も、あそこで死んだのだ……と言うのが、我らが王のお考えだ』
だから、今カラールの隣にいるのは、ただの娘。連れて行くのも置いていくの、好きにすれば良い。
その心遣いに、カラールは黙って頭を下げた。
グラマツェーヌは、我が子の巣立ちを目にした親のように、満足そうに……けれども少しの寂しさを滲ませた笑みを浮かべると、踵を返し、消えていった。
――そうして、カラールは今、リリィと各地を旅しているのだ。
けれど、実際帰る場所がないというのは、大変だった。
魔王軍時代に支給された血晶は、取り上げられることなく手元に残っているが、けじめとして使うつもりはないため、移動やその日寝泊まりする場所の確保と、色々することがある。
しかし、リリィは文句一つ言わず、それどころか日々生き生きとした様子でついてくる。
「……お前は元気だな。……帰る場所もなにも、ないっていうのに」
しゃがみ込んで花を愛でていたリリィの背中に、カラールが思わず呟くと、耳ざとい少女は勢いよく振り返った。
「だって、カラールといるとね、世界がとっても綺麗に見えるんだもの!」
「…………」
「花も、草も、木も、空も……人だって、みんなみんな、綺麗に見えるの」
彼女の目には、人が歪んで映る。
だが、あなたと一緒にいるときは違うのだと訴える姿に、カラールは微笑んだ。
そして、当然のように手を差し出す。
「……そうか。それなら、ずっと僕のそばにいろ」
「……え?」
「そして、世界はもともと綺麗なんだと思い知ればいいさ。これは、僕がお前に与える罰だ」
リリィはカラールの手は取らず、そのまま抱きついてきた。
「…………優しい」
耳まで真っ赤にした少女がうそぶく。
「ねぇ、カラール」
「なんだ」
「……わたしのことを、絶対許さないで」
過去に自分が刺したカラールの腹部を撫でながら、リリィは懇願する。
こう言う時、リリィはだいたい怯えたような顔をしている。
だから、カラールは笑って彼女を抱きしめた。
「ふん。安心しろ。……僕は、一生お前を許さない」
「……っ……!」
皮肉めいた言葉のわりに、カラールの顔も声も、ひどく優しかった。
不安をまるごと包み込むようなその声音に、リリィは目尻から一筋涙をこぼすと、満面の笑みで頷く。
「……大好き……!」
「あぁ、知ってるよ」
一つ頷いて、カラールは身をかがめた。
そして、無防備に愛を語るリリィの唇に、自分のものをそっと重ねる。
「今まで、散々僕を悩ませたんだ。死ぬまでそばにいて、せいぜい僕に振り回され続けろ、リリィ」
「~~っ!」
自分からはさんざん仕掛けてきたキスだというのに、カラールからすると真っ赤になって硬直してしまうリリィは、やがて我に返り強請った。
「今の! 今のもう一回!」
いつもの調子を取り戻した恋人に向かって、カラールは意地悪な笑みでもって答えた。
「嫌だ。してほしいなら、僕をその気にさせてみろ」
「うっ……! 挑発的なカラールも、素敵……!」
あかるい陽の光の下、花畑でじゃれ合う、仲睦まじい恋人達。
ただのカラールとリリィになった二人は、寄り添う。
――なんのしがらみも無くなった二人がこの先紡ぐのは、恋の話。
どこにでもいる恋人達の、ありふれた恋の話だ。