第23話:夜明け前の決戦
「らんら、らんら、らんら、らんら……」
声が聞こえる。憎たらしい声だ。一歩進めば進むほど、その声はより大きく、より鮮明にジンの鼓膜へと響いてくる。
その声を聞き、ギリッと歯を噛み締め、体から込み上げる怒りを抑え込む。怒りで我を忘れてはいけない。冷静さを失えば待つのは死だけだ。
『この先に、君の守りたい大切な人と倒すべき相手がいるんだねジン。少し震えてるようだけど大丈夫?怖い?』
体の内から聞こえてくる優しい友の声。剣を握る力が強まる。 一人じゃないという実感が湧いてくるようだ。
「大丈夫だ。俺はもう一人で戦うんじゃない。お前が一緒に戦ってくれる。恐怖なんて微塵もないさ。」
『嬉しいこと言ってくれるね。そんなこと言われると僕も闘志が湧いてくるってもんさ。』
笑い声が近づいてくる。敵はすぐ目の前だ。震えはさらに強まる。恐怖ではない。これから起こる戦いに対する覚悟だけがジンの胸中に溢れてくる。
「よぉ、はぁ、はぁ……元気そうだな……怪我はもういいのか……?」
「ーー!?」
サマエルの元へと向かうジンの足が急に止まる。視線の先にいたのは一人の男。満身創痍な体のその男は、息も絶え絶えに、ジンへと声をかける。鮮やかな金髪が特徴的なその男はジンも良く知る人物だ。
「アルト……さん。どうしてあんたがここに……?」
「はぁ、はぁ、この国で頻発していた人斬りの犯人を追っていたんだが、変な連中に絡まれてな……」
「変な連中……?」
そう聞いてジンの頭に浮かんだのは、ロノウェと共に現れていた意思の感じられなかった人間達のこと。
「サマエルの操り人形達か……」
「まぁ、そいつらは撃退できたんだがな……黒幕を突き止めようと、単騎で潜伏先に乗り込んだのが……悪手だったみたいだ……」
壁にもたれかかり、所々にできた傷から血を滲ませるアルトは、悔しさと憤りの混じった表情で、握り締めた自らの拳を見つめる。
「全く歯が立たなかった。奴に一太刀入れるどころか、体を動かすことすらできずに……そりゃ、一方的なもんだったぜ……」
サマエルは、その呪印の力によって人間を無制限に操ることが出来る。例え熟練のアルトであっても、人間である以上、その力に抗うことはできない。
「操り人形にされそうなところを……自分で腱を切って防いだ。流石に腱が切れた奴は動かさないらしいな。おかげで俺はこうやって半殺しの状態だ……」
「そうか……」
「……行くのか……あいつのところへ……」
「ああ、俺はリリンを助け出す。その為にもあいつを、サマエルを倒さなければならないんだ。」
アルトの顔をまっすぐ見つめ、信念のこもった言葉をで彼へと投げかけるジンは、そっとアルトへと近づく。
「アルトさん、あんたの無念は俺が必ず果たす。だから、少し待っていてくれ。すぐに終わらせてくる。」
「言うじゃねぇか……あん時とはまるで別人みたいだなお前……男って感じだぜ……」
力を振り絞り、アルトはジンの手を握る。その手には確かに力が込められていた。アルトとの意志が、ジンへと伝わってくる。
「この国のことを俺たちではなく……お前に託すってのは本当に勝手なことだってのは分かってる……それでも、俺はお前に全てを託す。頼む、この国の為に、あいつを倒してくれ。」
ジンの手を握るアルトの力が強くなってゆく。アルトの力が、ジンへと流れ込んでゆくようだ。それほどの熱い意志を、ジンはアルトから託された。
「任せてくれ。必ず俺が奴を倒す。ゆっくり休んでいてくれ、目を覚ました時には全て終わっているさ。」
励ますように慣れない笑顔を顔に貼り付ける。なんともぎこちないそれはアルトの心を安心させるほどの効果は無いように見える。しかし、
「何だよその気色悪りぃ面は……俺を励ましてる暇があるんだったら……さっさと決着をつけて来い。」
ジンの意志を汲み取ったアルトは笑いながら拳を突き出す。その拳にそっと自分の拳を返すジン。一つの戦いを経た男達はその心を分かち合っていた。
「行ってくる。俺の勝利を祈っておいてくれ。」
去ってゆくジンの背中。遠ざかってゆくそれを見ながら、アルトは微かに口元を緩める。
「……ったく、本当に最高だぜ。お前は……」
ーーー
アルトと別れたジンが向かった先にあったのは一つの扉。ここまで一本通路だった為、隠し道がない限りはここに二人がいるはずだ。
「いよいよか……」
『準備はいい?いよいよ決戦の時だよ。』
「ああ、抜かりはない。一瞬で終わらせる。」
重たい扉の重圧を振り払い、その先へと進んでゆく。飛び出た先には少し開けた薄暗い空間。底に窓はなく、蝋燭の灯火だけが光源となっている。
「あれは……」
そしてその部屋の最奥、そこには微かな明かりに照らされたリリンの姿があった。体は動かせないようだが、目立った外傷は見られない。
「……無事そうだな……」
リリンの無事な状態を確認したジンはホッと胸をなで下ろし、そのまま彼女の安全を確保する為に罠の可能性を考えながらも、用心してリリンに近づく。
しかし、それを阻むように、二人の間に立ち塞がる一人の男。
「おや?やはり来ましたか、赤髪の剣士様。あなたは挫折というものを知らないようだ。敗北の傷も乾かぬうちにまた勝負を挑みにくるなんて、なんとも見上げた根性ですね。」
あからさまな嘲笑を浮かべ、その男、サマエル・インヘイトはそこに立っていた。小細工も無い、罠も無い、いるのは彼一人だけ、彼こそが最大の障害なのだ。
「リリンは無事なのか?何もしてないんだろうな?」
「ええ、体を拘束して、口を封じている以外は何も危害は加えていません。なにせ、彼女は我が国の妃となられるお方ですからね、何か失礼があってはいけませんから。」
サマエルの挙動に注意を向けながらも、ジンはリリンの方へと視線を向ける。彼女の方もジンの登場に驚いているようだ。「なんで来たの!?」というような表情をしている。
「僕よりも花嫁の心配の方が先ですか……そこまで彼女が大切ですか?」
「大切じゃないならこんなところまで追っては来ないだろう。」
「僕には理解出来ません。何故、勝ち目の無い勝負に自ら挑んで来るのか?あなたも、先ほどの男も、どうして僕の力を知りながらもなお立ち上がるのか……」
蝋燭の火に照らされたサマエルの瞳は妖しく輝き、まるでジンを値踏みするかのように動き回る。
「お前は何を企んでいる。この国で何をするつもりだ?」
サマエルの視線を振り払い、ジンは今に斬りかかりたい気持ち抑えながらもその狙いを問う。そんなジンの質問に、サマエルは興奮気味に目的を語り始める。
「この国で最高の悲劇を起こし、背神の国復活の狼煙とする、それが僕が陛下から与えられた使命。その為に、この国の皆様には夜明けと共に自害して頂きます。」
側から聞くと狂人の妄言にしか聞こえないが、サマエルの力を身を以て経験しているジンにはこの言葉が偽りやハッタリの類では無いことがはっきりと分かる。
「そんなことをして、一体何の得があるんだ?ただ赤竜の国の国民が血を流し、背神の国への恐怖と憎悪が生まれるだけだ。戦争でもする気か?」
高揚の収まらない様子のサマエルに、ジンは冷ややかな言葉だけを返す。だが、サマエルの興奮は止まることを知らない。溢れんばかりの笑いを溢し、言葉を紡ぐ。
「くくく、何の得?そんなもの有りませんよ。僕たちが、いや、陛下が望んでおられるのは背神の国に対する世界中の人々の恐怖の情だけ、これはその為の始まりに過ぎないのですよ。」
狂笑を撒き散らすサマエルを見て、「話を聞いてみようとした俺が馬鹿だった。」と、呆れるようにジンは首を振る。そして引き抜いた剣をサマエルへと向ける。
「言い残す言葉はそれで最後か?」
「はい?」
剣を向けられたサマエルはぴたりと狂笑を止め、ジンへと視線を向け直す。その視線が剣へ向いたと思うとまたジンへと向く。ジンヘ、剣へ、ジンヘ、剣へ……二つを行き来する眼球がギョロギョロと動く。
「まさかまた僕と戦うつもりですか?止めましょうよ。もうすぐ夜が明けます。間に合いませんって。」
「そんなことは関係ない。俺はお前を倒して、リリンを救い出す。ただそれだけだ。」
サマエルの戯言など無視し、ジンは剣の鋒の先にサマエルを捉えて逃さない。
「あの時に僕との実力差は分かったでしょう?勝てませんよ。だから無駄なことは止めて、大人しくしていて下さい。」
「あの時の俺と同じかどうかは戦ってみればすぐに分かる。負けるのはお前だサマエル。」
「花嫁の覚悟を無駄にするおつもりですか?せっかくその身を差し出してまであなたを助けたというのに、その命を自ら捨てるつもりですか?」
「死ぬつもりなんてさらさらない。」
ジンの瞳がサマエルを強く見据える。その瞳の中に潜む覚悟の炎を見つけたサマエルはその瞳に対して、激しい憎悪の念を抱く。噛み締めたのは自らの下唇。
「ああ、もうすぐ夜明けを迎えるというのに……どうしてこう、物事とは思い通りに進まないものなのでしょうか?本当に憎らしいですね、あなた達人外は。」
溢れ出してゆくサマエルの魔力。それに呼応するかのように、手先からは無数の糸が伸びてゆく。切れ味抜群の魔法の糸だ。
「せっかくのこの高揚感が台無しだ……なんでそう抗うんだよ?運命に抗うことが美徳だからか?くだらない。さっさと絶望して、恐怖に震えていればいいんだよ……」
向けられた剣と殺気にサマエルが返したのは怒りの情。強く噛み締めた下唇からは血が流れ出している。
「要らない、要らない、必要ない、不要だ、不必要だ。何でだ?何で思い通りにならない。従えよ。僕に大人しく従ってろよ。お前も、あのよろず屋の死神も、化け物の聖王も、みんなみんなみんな……黙って従ってろよぉぉぉ!!!」
「ーー!?」
溢れんばかりの魔力が、支配欲の悪魔の叫びと共に一気に爆発する。振られたサマエルの手から無数の糸がジンへと襲い掛かってくる。
「来た……!ケイ、いくぞ!」
『オッケー、準備とっくに出来てるよ!』
ジンの瞳が赤く光り、次々と迫り来る糸を避けてゆく。しかしここは狭い屋内、逃げ場が限られている以上は避けられない攻撃もある。
『次の糸は避けられないよ!剣で防御して!』
「了解!」
目の前に迫ってくる糸にレギアスから譲り受けた黒血の剣を振るう。普通の剣の硬度ならば不可能だが、黒血の剣ならば切り裂くことができる。張力の切れた糸が地面へと落ちる。
「アリアドネの糸が……」
唖然とした様子で目を見開くサマエルへと、ジンは足を止めることなく進んで行く。先の戦闘よりも冴えている脳が一瞬のうちに次の行動を決定し、糸の嵐を掻い潜る。
あいつに生半可な攻撃は効かない……狙うなら……
狙いをすましつつ、着実にサマエルへと足を運んでゆくジン。加速を続けるその体はもはや糸で捉えることは出来ない。
『これで最後!いけ!ジン!』
最後の糸を剣で斬り払い。そのままサマエルの首元めがけて最小の動きで、最速の一太刀を繰り出す。音をも置き去りにするその一閃を避ける事は不可能だ。
「喰らえ!サマエル!」
渾身の一撃がサマエルの首元へと直撃する。完璧な一撃。黒き刃がサマエルの首と頭部を切り離し、血の飛沫が飛ぶ……筈だが、
「な……!?」
「狙い通り……狙ってくるなら即死を促す首元か、心臓だと思っていましたよ。」
ジンの目の前に映るのは、いつもと変わらない嘲笑を浮かべたサマエルの顔。首からは多少の血は流れ出しているが傷は浅いものだった。その理由はすぐに分かった。
「糸……?」
サマエルの首には何重にも巻かれた光る糸。先ほど攻撃な使われた糸と同様のものだろう。糸に勢いを殺された刀身はその動きを停止させていた。
「その剣……凄まじい切れ味ですね。何層にも巻かれたアリアドネの糸を突破するとは……並みの硬度と切れ味では不可能だ。しかし、届かなかったようで。」
嘲笑い、手の先からまた新しい糸を作り出すと、サマエルはそれをジンの体へと巻き付けようとする。
「すばしっこい獣には鎖が必要ですね!」
「しまった!?」
ジンの腕へと糸が絡みつき、その動きを制限する。さながら刑事と犯人を繋ぐ手錠といった具合だろうか。
「あなたは人外の力を使う事で、身体能力と感覚能力を大きく上昇させているようですが、耐久性能は常人とさして変わらない。つまり……そういう事ですよ。」
サマエルの笑いとともに、もう片方の手の先から出現した光の糸が、容赦なくジンに襲いかかってゆく。ジンもすぐに糸を切り離し、体を捻ることで、回避しようとするが、一瞬の判断のロスによってその回避が遅れる。
「ぐっ!?」
鋭利な一撃がジンの肩を掠めてゆく。三本の線とともに赤い鮮血が飛び散り、腕を伝って床へと滴り落ちる。
だが、ジンは痛みに耐えながらも、剣を握る力を緩めることなく、逆にサマエルの方へとその体を前進させる。
「ほぉ?」
駆け抜けた一閃がサマエルの腕を切り落とす。しかし二度目の腕の切断にも、サマエルは悲鳴を上げはしない。聞こえて来たのは少し間の抜けた声だけ。
「学習しない人ですね〜どれだけ腕を切られようが僕には何の問題もないんですよ。」
宙を舞う腕の切断面とサマエルの傷口との間に糸が伸び、その糸で引っ張られた腕が元あった箇所へとピタッとくっつく。グジュグジュと生々しい音をさせながら、切断面同士は繋がってゆく。
そして繋がった腕をぶらつかせ、サマエルはいつものように笑みを浮かべる。
「ほら、元通りです。」
「なら次だ。」
ーーサマエルがそう笑った直後、ジンは剣をサマエルの心臓めがけて投擲した。目一杯の膂力で投げられた剣は一瞬のうちにサマエルの目の前へと到達する。
「ーー!?」
危険を感知したサマエルは反射的に糸を出し、心臓を守る為に投擲された剣を弾く。しかし安堵もつかの間、再びジンへと視線を戻すが、その姿はもうその場には無かった。
「何処へ……?」
その時、サマエルの顔を一つの影が覆う。
それに気づいたサマエルはハッと視線を上へと上げる。
「上……か……」
「まだまだいくぞ……」
凄まじい跳躍力で飛び上がったジンは、サマエルに弾かれたはずの剣を空中で器用にキャッチし、そのままサマエルの心臓に刺突を放つ。
「小賢しい!!!」
ぎりぎりと歯軋りをするサマエルは、空中のジンを迎撃しようと幾つもの糸の刃を繰り出そうとする。しかしその攻撃はジンの攻撃を中止させるには至らず、部屋の天井に穴を開けただけだ。ジンの剣は重力に従い、サマエルの胸を貫く。
「うげ……」
「これはオマケだ。」
胸を貫いた剣を勢いよく引き抜き、ジンはそのまま体を回転させて踵をサマエルの脇腹へと直撃させる。
「ぶべら……」
口から血を吹き出し、サマエルは後方へと吹き飛び、仰向けに倒れる。
「はぁ、はぁ、やったか……?」
息を切らしながらも、ジンは床へと仰向けに倒れたサマエルをじっと見つめる。
しかし、胸の傷からは血は流れていない。どうやら急所は外れているらしく、瞬間的に傷を塞いだようだ。
「正直、ここまでやられたのは久方ぶりです……ここまでの屈辱は二百年前の世界連合との忌々しい戦争以来だ。」
ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、まるで自らの怒りを理性で押し固めるかのように、サマエルは静かに言葉を紡いでゆく。
「お前は……本当に二百年前の背神の国の五凶将本人なのか……?」
まるで二百年前のことを体験しているようなサマエルの喋り方は、ジンの頭の中に幾つもの疑問を浮かばせる。
「そんなこと今はどうでもいいでしょう?どうせあなたはここで死ぬ。何を聞こうと思おうと全ては無駄だ。」
体をぶらつかせながらも立ち上がったサマエル。その顔にもう笑みは浮かんではいない。あるのは刺すような殺気を抱いた表情だけだ。
「見せてあげましょう。真の絶望を……人繰の能力の真髄を……」
「まだ何かあるのか……?」
『気をつけてジン……何かくるよ。』
ジンの本能が頭の中で警鐘を鳴り響かせる。警戒レベルは一気に引き上げられ、サマエルの一挙一動に反応できるように剣を構え直す。
しかし、次の瞬間にはそれが無意味だと気づく。
「無駄ですよ。もうあなたじゃ僕には勝てない。」
「な……!?」
ーー気づくとサマエルはすでにジンとの距離を詰めていた。
「さっきのお返しです。」
なんだ?いつの間に、どうやって?あり得ない、全く反応できなかった……これが……こいつの……
一瞬のうちに様々な思案が浮かぶ中、ジンの体へと強い衝撃が走り、止まることない勢いに吹き飛ばされる。
「ぐあ……」
壁へと激突し、チカチカと光る視界と、目眩に襲われる。
「人体のあらゆる人間のリミッターの解除。限界点の超越。これぞまさに人間の最高到達点。止められますか人外のあなたに。」
天井の穴から覗く空からはもう夜の帳は上がっている。月ももう見えはしない。
ーー絶望の夜明けまであと、十分。




