第22話
非常勤講師室というものが大学には用意されていたが、
藤原はその部屋を使用することが殆どなく、
授業の準備からレポートや試験の採点などの大学の事務作業は、
仕事部屋としていた自宅マンションの一部屋だった。
駅から徒歩15分、特に大きな特徴のない住宅街の一角に
そのマンションはあった。
近所の目を気にしないで済むだけの木々の茂みが建物を囲み
文字通り、ひっそりとそこに建っていた。
藤原は簡単な夕食を済ませ、シャワーを浴びた後、
仕事部屋に入り、机の上のノートPCを開いた。
まずは、メールのチェックから、というのがいつもの手順だった。
スマートフォンでも見られるフリーメールが彼のメインアドレスだった。
タスクバーに並んだ三色の円型アイコンをクリックして
ブラウザを立ち上げると、すぐにメーラーを開いた。
雑多なメールの羅列になるのを嫌い、
なるべくDMの類を受け取らないようにしているが、
それでも、時々購入するネットショップからの商用メールが混ざってくる。
いつもの調子で、要・不要を振り分けていると
一通のメールが目に止まった。
「大学同窓会のお知らせ」
毎年とまではいかないが、数年に一度、殊勝な同期が幹事となって
開催してくれていたのは知っていた。
もっとも、非常勤とはいえ、母校で働く彼にだって、
その責務はあったはずだった。
けれど、藤原が同期との交流を好まないことは
なんとは無しに周知の事実のようになっていたから、
誰も彼を咎めるような人間はいなかった。
そして以前の彼であれば、そのまま削除するのが常だった。
けれど、今年に限っては、削除するのが躊躇われた。
来るはずもないとは思いながらも、
万が一、三峰と会えるのではないかという微かな期待が頭をもたげていた。
そんな気になったのも恩師である槇村とのやりとりがあったからだったが、
それに加えて國枝奈々未のまっすぐな瞳が
藤原の中に眠っていた青春の眩しさを刺激していたのは
紛れもない事実だった。
彼女を見ていると、若かりし日の思い出がふと脳裏に蘇る。
自分が何者かを見極めるにはまだ早く、
これから何者かになれる期待に胸を膨らませていたあの頃
時間があれば何時までも語れる何かがあったあの頃
友情とはいつでもそこにあるもので
それを無条件に信じられたあの頃
その思い出の各場面に、必ずいたのが三峰だった。
同じ夢に向かって、一生の友達だと思っていた。
いつだって、三峰の言うことは正しく、
価値観を共有できる得難い仲間を二人で作っていけると信じていた。
そして、二人でいつか、起業するつもりでいた。
同じ企業に就職できたことを誰よりも喜び合ったあの日、
同じ企業でいれば、同じ目標を目指せるものだと思っていた。
けれど、それは大きな間違いだと気づいたときには、
すでに二人の間には大きな溝ができていた。
技術専門職としての彼の立場と
営業職としての自分の立場が
いつしか違う風景を見ることになり、
ここまで価値観を違えてしまうことになると
あの時、だれが想像できただろう。
衝突はそれまでだってあったはずだった。
だから、議論の末には必ず分かり合えると信じていた。
けれど、そう思うことは、社会人としての未熟さでしかなかった。
会社の命令に従うことが、三峰を追い詰めることになるだなんて
露ほども思っていなかった、というのは言い訳だろうか?
結局、誰よりも理解していたつもりだった俺が
あいつを追い詰め、辞職へと導いたんだ。
もとより、自分で犯した罪は、どうにかして償うつもりである。
けれど、ただ一人、ここで後悔していても贖罪にはならない。
同窓会に出れば、あいつに会えないまでも、
消息について、何か手がかりがあるかもしれない。
一瞬、そんなことをしても、三峰の迷惑になるだけではないのか
という気持ちが浮かんで消えた。
いや、何もしないで解決する問題など何もない。
動き出さなければ、何も始まらない。
藤原は、カーソルをメールに合わせクリックすると
じっと、画面を注視して、日時と場所を確認すると
そっと両手をキーボードに載せ、
参加の旨を返信した。
先生、今頃何しているのかなぁ…
奈々未はレポート作成の手を休め、ふと窓から空を見上げた。
東京都内といっても、奈々未の住む郊外であれば、
それなりに星は見える。
冬になれば、オリオン座くらいなら、簡単に見つけることができた。
藤原が出した課題は国際調査で得られたデータを見て、
自分なりにそれを図式化し解釈することだった。
もちろん、その解釈を裏付けるために、他のデータも入手しなければならない。
その調査とは日本、韓国、アメリカ、香港の4カ国に住む高校生を対象に
いくつかの質問項目から意識を聞いているもので
例えば「あなたにとって家族はどれくらい大事ですか」
「将来の夢を叶えられる期待はどれくらいありますか」などというものである。
驚いたことに、日本の高校生が一番、家族を大事だと思っていないらしい。
その事実をどう解釈するのか。
奈々未はなぜ、この課題を学生に出したのだろうかと
藤原の意図へと気持ちが向くのを止められなかった。




