哨戒所への道
夜通し馬を走らせ、シンクレアが率いる救援部隊が第三哨戒所へ辿り着いたのは、夜明け前のことだった。
北の国境沿いに位置するその哨戒所は、辺境軍の防衛線の一角を担う重要拠点である。だが、目にした光景は、想像していた以上に凄惨なものだった。
木造の砦は半ば崩れ、焼け焦げた跡が黒々と壁面に残っている。地面には破損した武具が散乱し、辺りには血の匂いと煙の匂いが混じり合って漂っていた。生き残った守備兵たちは、負傷しながらも懸命に応戦を続けている様子である。
「急ぐぞ」
シンクレアは短く号令をかけると、馬を降りて即座に剣を抜いた。周囲を見渡せば、黒狼の仮面を着けた賊が、砦の内部へ向けて猛攻を仕掛けている最中だった。
数にして十数名ほどの賊が、統率された動きで守備兵たちを追い詰めている。単なる寄せ集めではなく、明確な指揮系統のもとで動いている様子が、その連携から見て取れた。
「散開して、挟撃だ」
シンクレアの指示に、同行した兵士たちが素早く動き出す。左右から回り込み、賊の背後を突く形で戦線に加わった。
不意を突かれた賊たちの間に、僅かな動揺が走る。その隙を逃さず、シンクレアは正面から斬り込んだ。
刃を交える音が、崩れかけた砦の周囲に響き渡る。振り下ろされた敵の一撃を受け流し、素早く懐へ潜り込むと、鋭い一閃で相手を戦線から離脱させた。息をつく間もなく、次の敵へと剣先を向ける。
戦況は、徐々にこちらへ傾き始めていた。援軍の到着によって数の均衡が崩れ、賊たちの動きにも焦りの色が滲み始める。
「退くぞ!」
賊の中から、統率者らしき声が響いた。旗色の悪さを悟ったのだろう、残っていた賊たちが一斉に後退を始める。
シンクレアは追撃しようと足を踏み出したが、崩れかけた砦の一部から、くぐもった呻き声が聞こえてくることに気づいた。瓦礫の下敷きになった守備兵の姿を見つけ、追撃よりも救助を優先する判断を下す。
「手を貸せ」
指示を出しながら、シンクレアは自ら瓦礫へ手をかけた。周囲の兵士たちも次々と駆け寄り、力を合わせて木材を退けていく。
助け出された兵士は、額から血を流しながらも、意識だけは保っていた。
「よく、持ちこたえた」
労うように告げると、兵士は掠れた声で答えた。
「エルフレイム様が……来てくださって、本当に……」
言葉の途中で意識が朦朧としかけたのを、シンクレアはすぐさま支えた。
「喋るな。今は休め」
手早く応急処置を施しながら、シンクレアは砦全体の被害状況を見渡した。半数近い守備兵が負傷し、備蓄されていた物資の多くが奪われている。それでも、砦そのものが完全に陥落することは、辛うじて免れていた。
夜が完全に明ける頃、生き残った守備兵たちの手当てが一通り終わる。焼け跡から立ち上る煙が、朝の光を受けて白く霞んでいた。
「賊の狙いは、物資の略奪だけだったのか」
呟くように漏らしたシンクレアの言葉に、傍らに立つ古参兵が首を横に振った。
「いえ、様子がおかしかったのです。物資を奪うだけなら、もっと早く撤退できたはずですが、やけに執拗に、この砦の構造そのものを調べているような動きがありました」
その証言に、シンクレアは眉を寄せた。単なる略奪目的ではなく、砦の内部構造や防衛体制そのものを探る意図があったとすれば、これもまた、次なる襲撃への布石なのかもしれない。
守備兵たちの傷の手当てを終え、砦の応急修復に取り掛かる頃には、既に日が高く昇っていた。
「詰所への報告を急ぐ」
シンクレアは剣を鞘へ収めながら、部隊へ帰還の準備を指示する。今回の一件は、単なる散発的な襲撃ではない。旅団の狙いが、着実により大きな計画へと繋がりつつあることを、肌で感じ取っていた。
帰路につく馬上、シンクレアの脳裏には、詰所で待つオーレリアンの顔が浮かんでいた。
無事を伝えなければならない。そして、今回得た情報を、一刻も早く共有する必要がある。奪われた防衛計画が、既に実戦の中で活用され始めている以上、これまでの布陣を根本から見直す必要に迫られていた。
秋の陽射しが降り注ぐ街道を、部隊は急いで進んでいく。馬蹄の音が規則正しく響く中、シンクレアは手綱を握る手に力を込めた。
守るべきものが、確実に増えていく。王都の家族、辺境の人々、そして隣に立つ夫の存在。その全てを守り抜くためには、これから訪れるであろう決戦に、万全の備えで臨まなければならない。
詰所の輪郭が遠くに見え始めた頃、シンクレアはようやく小さく息を吐いた。無事に帰還できたことへの安堵と、これから語るべき報告の重さが、胸の中で複雑に交錯していた。
門をくぐると、待ち構えていたように、オーレリアンが駆け寄ってくる姿が見えた。
「クレア!」
叫ぶように名を呼びながら、その表情には隠しきれない安堵が浮かんでいる。馬を降りたシンクレアへ、真っ直ぐに歩み寄ってきた。
「無事、だな」
確かめるように呟く声に、シンクレアは静かに頷く。
「ああ。約束通りだ」
その言葉に、オーレリアンはようやく肩の力を抜いた。互いに交わした約束が、また一つ果たされたことへの安堵が、二人の間に温かな空気を運んでくる。
「詳しい報告を」
促す声に、シンクレアは頷きながら、砦での出来事を語り始めた。守るべきものを胸に抱きながら、二人は共に、これから訪れる困難への備えを固めていく。
窓の外に広がる秋の空は、変わらず澄み渡っている。だが、その平穏な景色の裏側で、黒狼旅団との決戦は、着実にその足音を近づけつつあった。




