エルフレイム辺境領へ 2
王都を発って二日目の午後、馬車は王国北部へ続く最後の峠を越えた。
窓の外へ広がる景色は、王都とはまるで違っていた。
街道の両脇を埋め尽くす針葉樹の森は深く、遥か先まで続いている。切り立った岩肌の間を清らかな川が流れ、雪を戴いた峰々が青空へ鋭く突き立っていた。窓から吹き込む風は冷たく、湿った土や樹皮の匂いを運んでくる。
自然は厳しい。
それでも、この土地には人の心を落ち着かせる力があった。
シンクレアは静かに景色を眺めながら、隣に座るオーレリアンへ視線を移した。
王都を出てからというもの、彼は幾度となく窓の外を見つめている。
見慣れた山並みを目にするたび、金色の瞳は自然と和らぎ、その横顔からは王都にいた頃の張り詰めた空気が少しずつ消えていた。
ここが彼の故郷。
幼い頃から兄たちと剣を交え、人々に囲まれて育ち、辺境軍の一員として歩み始めた場所。
この雄大な自然こそが、オーレリアン・エルフレイムという青年を育てたのだ。
「懐かしいか」
シンクレアが問い掛ける。
オーレリアンは山々を見つめたまま、小さく頷いた。
「ああ。数か月しか離れてないのに、妙に長く感じた」
その言葉には飾りがなかった。
王都へ向かってからの数か月は、あまりにも濃密だった。
婚約を破棄されたシンクレアへ求婚し、夫婦となり、十二年前の記憶を取り戻し、初恋の少女が妻だったと知る。
幸せな出来事ばかりではない。
王都では悪意にも晒され、多くの視線を浴び、夫として彼女を守るため必死に前を向き続けてきた。
だからこそ、故郷の空気を吸った今、肩の力が抜けているのだろう。
シンクレアは何も言わず、その横顔を見つめた。
足元ではキララが身体を起こし、窓から吹き込む風へ鼻先を向けている。
耳をぴくりと動かしながら、森の匂いを一つひとつ確かめるように小さく鼻を鳴らした。
その様子を見ていたオーレリアンも、同じように鼻先を上げて風を吸い込む。
まるで同じことを考えているかのようだった。
シンクレアの口元が自然と緩む。
「どうした、クレア」
「……いや」
答えようとした瞬間、キララまでオーレリアンと同じ角度で首を傾げた。
その姿があまりにもよく似ていて、シンクレアは思わず笑ってしまう。
「何だよ」
「やはり似ている」
「何が?」
「秘密だ」
納得できないというように眉を寄せるオーレリアン。
その表情までキララそっくりだった。
シンクレアは肩を震わせながら視線を逸らす。
十二年前。
森で出会ったあの日、キララが迷子の少年をすぐ受け入れた理由が、今なら少し分かる気がした。
どちらも人懐っこく、感情が顔へそのまま表れ、誰かのためなら迷わず手を差し伸べる。
本質がよく似ている。
だからこそ、キララは初めて会ったその日からオーレリアンを家族のように迎え入れたのかもしれない。
やがて森を抜けると、視界が大きく開けた。
眼下には石壁に囲まれた城塞都市が広がっている。
高台にはエルフレイム辺境伯家の館が建ち、その隣には広大な訓練場と辺境軍の駐屯地が見えた。夕日に照らされた街並みからは幾筋もの白い煙が立ち上り、人々の穏やかな暮らしを感じさせる。
王都のような華やかさはない。
しかし、この土地には厳しい自然と共に生きる者たちだけが持つ力強さがあった。
「帰ってきたな」
オーレリアンがぽつりと呟く。
その一言には、この土地への深い愛着が滲んでいた。
馬車が城門へ近づくと、見張りの兵士が家紋へ気付く。
「オーレリアン様がお戻りだ!」
声が響き、重厚な門扉がゆっくりと開いていく。
左右へ整列した兵士たちは、一斉に胸へ拳を当てた。
「お帰りなさいませ、オーレリアン様!」
オーレリアンは窓を開け、穏やかな笑みを浮かべる。
「ただいま。変わりはないか」
「はい! 異常ありません!」
「そうか。ご苦労」
短い言葉を交わすだけだった。
それでも兵士たちの表情は明るい。
彼らが迎えているのは辺境伯家の四男だからではない。
共に辺境を守る仲間として信頼する一人の青年が帰ってきたことを、心から喜んでいるのだった。




