55. エピローグ
庭の花が、広がるように咲いている。
いつだったか、あまりにも花がわさわさと増えるものだから、足の踏み場もなくなるのではないかとリネーネが心配すると、ルースは丁寧にレンガを敷き詰めた。
家の前に道ができ、彼いわく「思い出のベンチ」周囲を広場のように整備し、裏庭へ通じるように家の周りをぐるりと一周する。それ以外は、花で埋め尽くされていた。
リネーネがそれを手伝おうとすると止められるので、一時期は出窓に座って眺めているのが日課だった。
ルースは時折花を摘み、ディア湖へ向かう。
リネーネはどうしてかは聞かなかったが、ルースが「ここに捧げるべきだと思うんです」と言うので、一緒に死者を弔うように、花をそっと湖面に流した。二人で他愛ないことを話しながら、ゆっくりと歩いて、家へ帰る。
あっと今に身長は伸び、リネーネの腰に添える手は無骨になった。
それでも、あの柔らかな空気で微笑むのだ。
「リネーネ」
背後から呼ばれ、庭から街を見ていたリネーネは振り返った。
「エミリア」
呼ぶと、返事をするように目元がわずかに穏やかに細められる。
以前「ルーシャス」と呼ぼうとしたとき、止められてからというもの、未だにリネーネは「エミリア」と呼んでいる。曰く「あいつが対抗しようとするから」だそうだ。
リネーネは、ルースとエミリアの間にある何かしらの絆のようなものを見るたび「ああ、この二人は近いのだな」と思う。形でも心でもなく、なにか、内側に抱える光が似ているのだ、と。
全く似ていない表情で、エミリアが笑う。
「加護を渡しに来た。調子は?」
「全くなんともないよ。お前は?」
そばに来たエミリアの頬に手を伸ばす。
ゆっくりと目を瞑ったエミリアは「こっちも」と呟いた。
「ルースは?」
「買い物。街の様子も見てくるって」
「それでここに?」
「うん。見守り」
リネーネが言うと、エミリアはくっと笑う。
「あいつもう大きいよ」
「それでもね。一応」
「女が寄り付かないように?」
「ルースが誰か見つけてきたら、一番に怒るのはお前だと思うけどね?」
リネーネが笑いながら手を離すと、心外だと言わんばかりにその手を強く握られた。
二人の足元で、光が重なる。
小さな花が咲くと、エミリアが集めたたった一つの加護が、手を伝ってリネーネに流れ込んできた。
「……」
エミリアが、何度も何度も通い、話を聞き、それでも意志の変わらない者の加護を踏むのを、垣間見る。
その瞬間のその者の安堵と、エミリアの痛みを、すべて受け取る。
「苦痛は?」
聞かれ、リネーネは首を横に振った。
「大丈夫。お前は?」
「こっちも大丈夫だよ。俺の痛みは、あいつから戻ってきた加護にすぐ癒されるからね」
「ふ」
「笑いごとじゃないよ、リネーネ……」
エミリアが顔をしかめ、うんざりしたように呟く。
けれど、穏やかな表情を見ていれば、きっとそれはとてつもなく優しく、あたたかいものなのだろうとわかった。
リネーネは握った手を揺らす。
「そういえば──この前、お前のこともそろそろ愛せそうで怖い、って言ってたよ」
「……止めてくれた?」
「一応。やめなさい、とは言っておいた」
「あいつ、本当に怖いね」
「そういう相手がいることは、いいことなのかもしれない」
リネーネがそう言うと、エミリアは小さく笑って、そっとリネーネを抱きしめた。
親愛を伝えるように、深く深く、別れを告げる。
もう、行くらしい。
「早いね」
「俺はあなたに愛されてるから。時間くらいはあいつにね」
頬に軽いキスをくれ、エミリアは身体を離した。慈しむように見つめられ、最後に頬を撫でられる。
幸福が湧き上がることを、リネーネはどうしてか許せるようになった。
それが、良いことであるのか、罪であるのかは、まだわからないが。
「じゃあね。また」
「──あ! ちょっと! 何帰ろうとしてるんですか?!」
その場を離れようとしたエミリアを、大きな声が止める。
「うっわ」
顔を盛大に歪めるエミリアに、帰ってきたルースは果実酒を持つようにぐいっと押し付けた。なにやら察知していたのか、急いでいたらしく、ルースの息は上がっている。
「今日来るあなたのために買ってきたんですから、飲んでいってくださいね!」
「お前なんで分かるんだよ……」
「なんとなくです」
「見てないだろうな?」
「あなたと一緒にしないでください。僕は覗き見なんてしません」
「お前嫌い」
「僕も──あ、でも」
「やめろ。絶対やめろ。言うな」
嫌な予感とばかりに止めたエミリアに、ルースは不満げだった。それでも、エミリアの背を押して、ぐいぐいと家の中に連れて行こうとしている。
逃げられないと悟ったエミリアは、とうとう瓶を抱えて先に家に入っていった。
ルースはぼそりと呟く。
「あの人、押しに弱いですよね」
「そうだね。お前のことも、好きなんだろう」
「やっぱりそうですか? 素直じゃないですよねえ。なんか可愛く見えてきました」
ルースは、うんうんと頷く。
エミリアが開けたままにしているドアを見ながら、リネーネはくすくすと笑った。
「本人には言ってやるなよ」
「はい。それはもう。これからも長ーい付き合いになりそうなので。機嫌は損ねません」
「? どういう意味?」
リネーネが隣に並んで聞き返せば、ルースは少しだけ考えて、それから「なんでもありませんよ」と軽く流した。
そうして、リネーネを見て、思い出したようにやわらかく微笑む。
「ただいま帰りました。リネーネ様」
何回繰り返したかわからない。
それでも、その言葉を言うたび、リネーネの心は穏やかな幸福に満たされる。
優しく。
ただ、愛おしむ。
あなたの存在に、感謝を。
「おかえり、ルース」
─完─




