第1話 攫われた花嫁
「笑って、フローリア。あなたは幸せな花嫁よ」
鏡に映る自分に向かって言い聞かせるように語りかける。
若草色の瞳に桃色の髪、見慣れた自分の姿と見慣れぬ花嫁衣装。浮かべた笑顔はどう見ても引き攣っていた。
もっと上手に笑わなきゃ。
今日は私の結婚式なのだから。
しかも相手はこの国でも指折りの名門貴族ヴァルカイン家の嫡男、ガイウス様だ。私ごときが到底釣り合う相手じゃない。
財政破綻寸前の田舎町の、領主の3女。これが私が持つ肩書きの全てだ。
「……オマケに能無し、ね」
左手を見る。
手の甲から半透明の枯れた植物が生えていて、幻影のようにゆらゆらと揺れていた。
——魂花。この世界では、魂の形が花の幻影となって現れる。
魂花は、その人の魔力や魂の高潔さを表すと言われていた。
大輪の美しい魂花を持つ姉妹達と違い、私の魂花は枯れている。
つまり、魔力もゼロだ。
役立たず、お荷物、穀潰し。それが家族からの評価だった。
廊下まで聞こえてしまうほどに盛大なため息をついた時、ノックもなしにドアが不躾に開けられた。
「時間だぞ。グズグズするな」
「ガイウス様。すぐ準備します」
慌てて立ち上がる。彼の冷たい眼差しが私を射すくめた。
髪と揃いの漆黒の瞳は、底知れぬ闇を湛えている。
「あの、何度も訊いて申し訳ありません。ガイウス様はなぜ私を……?」
「お前が俺の『契花』だからだ。何度も言わせるな」
ガイウス様は吐き捨てるように答えた。
魂花には必ず、生まれた時から定められた対になるもう一輪が存在する。
それが契花。契花同士は互いに惹かれ合い、いずれ巡り会う運命にあると言われている。
ガイウス様は半年ほど前に行われたとある夜会で私を見かけ、契花だと確信したと言い張っているのだ。
私は違うと思っている。だから何度も訊いてしまう。
彼が私に好意を向けていると感じたことなど、求婚された日から一度もない。
「契花とは、魂花同士の運命の結びつきと言われています。会った瞬間すぐそれと分かる、胸の高鳴りが止まらないなどと。でも——」
「黙れ。俺がそうだと言っているんだ」
ガイウス様が乱暴に私の腕を掴み、自らの胸に押し当てる。
そこには高鳴る胸の鼓動など微塵も感じない。
「痛い、やめて下さい」
私は腕を引っ込めた。こんな人と結婚なんてしたくない。
時おり私ではなく、私の向こうにある「何か」に向けて執着するような視線を向ける、この人が怖い。
おめでたい日だと言うのに、私の心は今日の空みたいに曇っていた。
それでも、時間は止まってはくれない。
結婚式の始まりを知らせる鐘の音が高らかに鳴り響いた。
新郎であるガイウス様側の参列者——ヴァルカイン家親戚一同は、広い聖堂を埋め尽くさんばかりの人数が揃っている。
対して新婦側の親族は私の両親と、2人いるうちの下の姉、それと妹の4人だけだ。上の姉には仕事が忙しいとにべもなく断られた。
下の姉、リリアンお姉様と妹のロゼッタは、下手すれば花嫁である私より豪華なのではないかというような、お揃いの薄桃色のドレスを纏っている。
うちにあんな豪華なドレスを買うお金はないから、借金をしたのかリリアンお姉様の婚約者にでも買ってもらったのだろうか。
2人は私をチラチラ見ては、何事かをくすくすと囁き合っていた。
式の最中も、私は絶望的な気持ちのままだった。
まるで死刑台に立たされているかのよう。
いや、死刑の方がまだマシだ。
苦しみがあったとしても死と言う形ですぐ解放されるのだから。
式は形式通りに淡々と進む。
神官に促され、隣に立つガイウス様が誓いの言葉を述べようとした時——
聖堂を揺るがす轟音が響いた。
何事かとざわめきが広がっていく。
驚いて振り返ると、入り口の大扉が粉々に破壊されていた。
いや、大扉だけではない。入り口付近は屋根ごと吹き飛ばされているようで、灰色の空がここからも見えた。
吹き込んだ突風が飾られていた花を吹き散らかす。
凍りついたように動けないでいる私のヴェールがもぎ取られそうになる。
風に煽られたガイウス様が一歩後ずさった。
「何事だ!」
ガイウス様が吠える。
ざわめきはやがて悲鳴に変わり、慌てふためく人々が我先にと入口へ殺到した。
しかし、何かが邪魔をしているのか出ることができず、皆一様に身を翻しては聖堂の隅に逃げ込みくずおれていった。
私の視線の先、土煙の向こうにいたのは——
銀色の輝く鱗を持つ、巨大な竜。伝説上の存在が、そこにいた。
その姿を見た瞬間、左手がカッと熱くなり、心拍数が跳ね上がるのを感じた。
竜の体がまばゆい光に包まれる。
瞬間、巨体がみるみるうちに縮まっていく。
光が収まった時そこにいたのは、この世のものとは思えない美貌を持つ男性だった。
「誰だ」
ガイウス様が憎々しげに呟く。
今にも飛びかからん形相だが、固まったまま動かない。
長い銀の髪を持つ男性は、ガイウス様など見えていないかのように真っ直ぐに私だけを見つめてこちらに歩いてくる。
彼から目が離せない。『会った瞬間にすぐ分かる』とはこのことだと、本能が告げる。彼は——
「ようやく見つけた、私の契花。愛しきフローリア」
紫色の瞳が優しげに細められる。甘い夢を見ているようだった。
こちらに向かって伸ばされた手を取ると、火傷しそうなほどに熱い。
そのまま引き寄せられたと思うと、抱き上げられる。
突然の出来事に声を上げる間もなかった。
「行こう」
「待て!」
固まったまま叫ぶことしかできないガイウス様を尻目に、彼は私を抱えて悠然と入り口まで向かう。
家族は無事だろうかと抱えられたまま聖堂を見渡すと、恐怖に顔を引き攣らせガタガタと震えているリリアンお姉様とロゼッタの姿が見えた。
バサリと音がして、彼の背中に銀の翼が現れた。
光に包まれ眩しさに目を閉じる。次に目を開けた時、私は竜の背に乗っていた。
「しっかり掴まっていろ」
半壊した聖堂が遠ざかっていく。
飛んでいる。そう理解した私の悲鳴が曇天に響き渡った。




