49 借金88,572,000ゴル
モージズ翁のお言葉にほんの少し気持ちを浮上させて公爵邸へ向かっていた。
だけど向かい合うゲルタの顔を見て今朝の侯爵夫人の事を思い出し落ち込む気持ちよりムカつく気持ちの方が勝ってきた。
「ねぇゲルタ、リーバイ様って独身よね?」
貴族男性としての適齢期は二十歳からのはずなのに。
「はい、そうです」
「侯爵夫人に捨てられたせいで傷ついてもう結婚なんてしないなんて事は……」
「ありえないでしょう」
「だよね」
家門存続の為にも後継者の育成が義務のはず。なのに未だに独りっておかしくない?あの様子じゃそこそこ本気だったのは夫人の方で、別れを切り出したのも夫人の方かと思うんだけど。
もしかしてリーバイ様にすれば軽い気持ちで付き合っていたってところだろうか。モテ男でチャラ男野郎め。
「どうして結婚しないんだろう?誰も何も言わないの?」
「ハント伯爵家は少し複雑でして。リーバイ様は中継ぎの当主なんです」
「中継ぎ?!」
本来のハント伯爵家の後継者はリーバイ様のお兄様だったらしい。過去形なのは不幸にもお兄様が騎士団の任務中に殉職され、そのショックで元々体の弱かった奥様も後を追うように儚くなられ残されたのは幼いひとり息子のゴドフリー様のみになった。
後継ぎとして二番手であったリーバイ様だったけれど、自分は元々伯爵家を継ぐ気は無かったのでゴドフリー様が成人するまでの後見として中継ぎを宣言。ゴドフリー様が成人すれば速やかに当主を譲る事を決めている為、跡目争いが起こらないように婚姻もせず勿論子供も持つ気は無いらしい。
「由緒正しい伯爵家故の問題ですね。ハント伯爵家といえば代々王家へ仕える優秀な騎士を輩出している家門ですから王家とも懇意です。ですからリーバイ様と結婚したい御令嬢は今だに後を絶たちませんが御本人にはその気は無い様に思われます」
「なるほど、大義名分を得て独身を謳歌しているという事ね」
私の言葉にゲルタが無言で頷いた。
なんかやらかしたか?
どうもアメリの態度が変だ。いや前から変わった奴だった気がするがグレンダ・クライスラー侯爵夫人があらわれた時からもっと変になった気がする。
ベリンダも何か感じたのか俺からアメリを引き離し今後はあまり構うなと釘を刺された。
紫苑の館の主のベリンダはただの娼館の責任者というだけでなく、長年イライアス様に仕えて……いや尽くしている存在で貴族だけでは目が行き届かない王国の闇の部分を探る手助けをしている。
娼館という場所がら平民の富裕層とも繋がりが深く多種に渡る人脈を駆使しイライアス様の為に動いている重要な人物だ。
「アメリをくれよ」
「駄目です。あの子は鍛えれば自分の足で立てる優秀な娘よ、あなたの玩具にしないで。今回のことが済めば関わらないでちょうだい」
まるで俺がアメリの邪魔をするような言い方だ。ただちょっと貴族を探る為に屋敷へ入り込ませて、盗聴の魔術具を設置させたり上手く話を聞きださせたりするだけなのに。ある程度の贅沢が出来る生活を保証してやれるんだから別にいいだろう。
「だけど今回の事が終わったって借金は返させないんだろう?自分だけアメリを利用するつもりなのか?」
そもそも国を脅かす企みを暴く為に関わった奴に払う金が一千万ゴルとか安すぎだろう。何故アメリはそれに気づかないんだ?だからこんな風に利用されるんだ。だったら俺の所にいて、俺だけにに利用されてれば少なくとも命の危険は無いだろう。
「私はあなたとは違います。自分の事はよく分かっているしアメリの事もちゃんと考えてる。今回限りで私達からは離れたほうがあの娘の為なのよ」
平民であるアメリがなんの覚悟もなく貴族と関わりすぎるのは確かに考えもんだ。ベリンダの言う事は確かに正論だが何故だか気に入らん。
気になりながらもイライアス様の警護の為に屋敷へ戻った。
公爵付き近衛隊総隊長の任務は多忙で、緊張を強いられる毎日だが時折あらわれる賊の類いも魔術剣士である俺の前では難なく始末出来た。
「総長ぉ〜、今帰りですか、毎日毎日よく続きますね」
公爵邸の東に位置する騎士団棟から本館へ向かう途中で副官のガイオが夜勤明けなのか眠そうに目をこすりながらやって来た。態度は緩く普段は馴れ馴れしいが剣の腕は部隊長クラスに引けはとらない優秀なやつだ。
「仕事なんだから当たり前だろ」
「でも行き先があの紫苑の館ですよね。たまには俺が代わりますよ、流石の総長も連日は大変でしょう?へへっ」
俺がここ数日娼館通いをしているのは勿論アメリが伯爵家へ行っている間の盗聴の為だが任務の内容を知らない部下達はあらぬ想像で羨ましがってくる。
「遊びで行ってるんじゃないんだぞ」
「わかってますよ、でも総長が一番客になってる人気ナンバーワンのシャーリーちゃんがいるんだし、休憩する時だってあるでしょう?しかも任務だから費用は経費から出るんだし、一回だけでも交代してくださいよ」
人の気も知らずにヘラヘラして好き勝手言いやがって。
ガイオが想像するようなお気楽な任務なら俺も楽しめたろう。
だが実際の任務はディアス侯爵が黒幕の詐欺事件の被害にあう親子をわざと見過し、弱みに付け込んでスパイに使う仕事だって知ったら流石のこいつも嫌がるだろう。しかも父親はこっちの落ち度で殺されてるなんてな。
「俺だって代わりたいが無理だ。魔術が必要だからな」
盗聴の為の魔力がないガイオは放っておいてイライアス様に報告するために執務室へ向かった。
イライアス様は国王陛下の甥御様で王からの信頼が厚い。その為表立って追求できない疑わしい事案を精査し、問題有りとなれば解決まで任される重要な役割を与えられている。
イライアス様とは幼い頃より親しくさせてもらっていた俺はベリンダのことも昔からよく知っていた。
ベリンダは元々隣国バシュクートの伯爵令嬢だったがお家騒動に破れた父親が命を狙われ、せめて娘だけでもと逃げ延びさせた先が先代の紫苑の館の主、マダム・ベランルージュの所だった。彼女も元貴族だったらしくベリンダの遠縁にあたるとか。
伯爵令嬢だった頃に何度か顔をあわせていたベリンダが娼館にいると聞いたときのイライアス様の動揺っぷりは大変なものだった。もしかしたらこの時点で婚姻の打診をしていたのかも知れない。
当時十三歳ながら即座に娼館へ向かいベリンダを身請けすると言ったがマダム・ベランルージュが拒否。だがベリンダを娼婦にしたくなかったイライアス様があきらめずに必死に説得していたら最後にはマダム・ベランルージュが根負けし、ベリンダは館の跡継ぎにするつもりだから娼婦にはしないと明かした。
元々そのつもりだったようだが追手の追求をかわす為に落ちぶれた様に見せかける必要があったようだ。
無論、伯爵令嬢で無くなったベリンダとイライアス様が表立って結ばれる事は無いが、二人の関係はイライアス様が婚姻していた期間を除き今も続いている。そういう所は律儀な二人だ。
「来たか。今日も何事も無く、か?」
部屋へ入るとイライアス様が書類から顔も上げずに尋ねてくる。
「一つだけ、予定外にグレンダ・クライスラー侯爵夫人が強引に乗り込んで来ました」
しばしペンを走らせた後、イライアス様が顔をあげた。
「バレたのか?」
「なんの事です?」
「だから、アメリにお前がクライスラー侯爵夫人を弄んでいた事をだ」
ニヤリとしたからかうような顔がムカつく。
「別に弄んでませんし、それをアメリが知ったからと言って何か不都合がありますか?」
「無いのか?」
「特には」
そう言うとイライアス様が急に真剣な顔をした。
「リーバイ、知っているか?女性は男の不誠実を許さない」
「はあ?」
「だから、自分に対してだけでなく他の女性に対しても不誠実な態度を取る男を殊更嫌う傾向がある女性がいる」
「それがアメリだと?」
「恐らくそうだ。ベリンダもそうだが」
……ってことは、俺がグレンダ・クライスラー侯爵夫人と大昔に遊んでいたという事が不誠実と捉えられ変な態度を取ってきたということか。
「そんな事は今まで言われた事がありません」
これまで付き合いがあった女達は、同時に他の女と付き合いがある事に文句を言ってきても過去の事まで言われた事は無いし、言われた瞬間に別れた。
「だがその女性達は体だけの関係であっただろ?」
「勿論」
「アメリにもそのつもりか?」
「はぁ?アイツは私より十歳年下で私からすれば子供ですよ」
何故か呆れた様な顔をされ、笑われた。
「何が可笑しいんですか?」
「お前の女性に対する扱いは今に始まった事じゃないが最悪だな。だが少しは考えを改めないと……まぁ、余計な事を言うとベリンダに叱られるな」
俺はただアメリを側に置いておきたいだけだ。勿論スパイとして利用するつもりだが、そこまで危険な事はさせない。護衛にゲルタをつけるし遠くへは行かせない。目の届く範囲に限るつもりだが……マッサージだけさせておくのもありだな。




