47 借金83,152,000ゴル
「お一人目はイライアス・フレッチャー公爵様で御座います」
ゲルタの低い声と出された名前にクライスラー侯爵夫人がピクリと反応した。
「それは当然でしょうね」
わかっていたとばかりに冷静な態度を取った。どうやらマダムが流した噂や私が公爵邸に連日通っていることは上手く広まっているようだ。
侯爵夫人も自分より爵位が上の公爵に逆らうなんてしないだろうと思っていると、ゲルタが勿体ぶった口調で続けた。
「お次は、リーバイ・ハント伯爵様、で御座います」
侯爵より下の爵位であるリーバイ様の名前を出しても効果はない気がするけれど……
「リーバイ、様……そう、それも……仕方がないわね。フレッチャー公爵様の護衛ですものね」
リーバイ様を名前呼び……
なんだか侯爵夫人が努めて冷静に受け止めたような態度を取った気がした。急に手をソワソワと動かし目も泳いでいる。ちょっと頬も赤いような……
「ハント伯爵様はアメリの一番客ですので、あの方の予約が決まるまでは他の予約はお取りできません」
ゲルタがそう言うと急にクライスラー侯爵夫人が鋭い視線で私を上から下までじっくりと見た。
「わかったわ、また後で連絡を取る事にする」
そう言って部屋を出ようとドアへ向った。私は慌てて先回りしドアを開けて夫人を通した。
「ありがとうございました」
目の前を通り過ぎた時に礼を述べると夫人は少し進んだあと足を止め振り返った。また何か言われるのかと様子を窺うと「ふっ」と鼻で笑われ立ち去った。
はぁー?!何笑っとんねんあのババァ!
これまでだって自分のみすぼらしさを笑われたことは何度かあるが、クライスラー侯爵夫人に笑われたことが何だか無性にムカついて仕方が無かった。お綺麗で、身分もぶっちぎりに高くて、オマケに……
「侯爵夫人はリーバイ様と前からお知り合いのようね」
次の貴婦人が着替えている間、マッサージベッドの側でゲルタに小声で尋ねた。
「はい、ですから名前を出しました」
「侯爵夫人があんな態度を取るところをみるとリーバイ様と侯爵夫人って……」
ヤッてるな、絶対。
ゲルタが黙って頷いた。
「リーバイ様と昔噂がありました。侯爵家に後妻で入るまで」
はっはーん、伯爵家と侯爵家と天秤にかけられて捨てられたってか。後妻でも侯爵夫人となればそれなりに地位と金が手に入る。そりゃ誰だって侯爵家を選ぶよね。でも待てよ、クライスラー侯爵ってどこかで聞いたような気がする。はぁ、記憶力が悪いのに興味の無い事まで覚えてられないよ。
残り三人のマッサージを終えると片付けをし、マッサージ室から出た。
「今日はご苦労さま、全く侯爵夫人は何を考えているのか知らないけどあんなに強引な事をしてくるとは思わなかったわ」
さっきまでのお客様向けの顔を崩してうんざりしたことを隠すことなく奥様がため息をついた。
「前からお知り合いだったんですか?」
「えぇ、うちの投資の関係で何度か話した事はあったけど、実際は一度も取引は無いの。でもその方が良かったわ。クライスラー侯爵様が乗った投資先はほとんど潰れてるみたいだから、今では密かに『死の投資家』って噂されてるから」
恐ろしい二つ名を持つクライスラー侯爵、そしてその美しい夫人は高慢カツアゲ女ですか。
「そんな噂があるのに破産しないなんて侯爵ってお金持ちなんですね」
はいはい、世のなか金ですよ。
「どうかしら?いくら侯爵と言ったって無尽蔵にお金が湧き出てる訳じゃ無いでしょう。噂じゃ夫人の宝石を売ったって聞いたわ」
侯爵夫人の宝石!思い出した、マイルズさんが台座を変えて売ってたやつだ。だけどこの話はマイルズさんの信用に関わる事だから流石に口には出来ない。
でも侯爵夫人は今でも豪華なドレスを身に着け装飾品もジャラジャラしていた。宝石を売ったと言ってもそこまで深刻な事じゃ無いのかもしれない。
「ところで、今後の話は決まった?」
後三日で奥様の所へ派遣マッサージに来ることは終了となる。そして今派遣延長の話が出ている。
「申し訳ございません。まだ話し合えていないので、出来るだけ早くお返事致します」
「そうね、今回は大人しく待っているわ。なんだか紫苑の館でごちゃごちゃしているようだけど、私を蔑ろにはしないわよね」
平民の富裕層相手の準備が整いつつある事は既に把握されているらしく、しっかりグッサリ釘をさされた。
馬車に揺られて紫苑の館まで帰ってきた。
直ぐにいつも通りマダムの執務室へ向かいドアをノックする。
「只今戻りました」
部屋の中には……居たいた、噂の色男、リーバイ・ハント伯爵がいましたよ。
「えらく賑やかだったわね」
マダム・ベリンダがクスッと笑って迎えてくれた。
「はい、褒めて下さい、わたし今回はちゃんと我慢しましたよ」
クライスラー侯爵夫人の傲慢な態度にも冷静に……とは言えないけど、結果的に何も問題を起こさなかった。
「ハハッ、偉い偉い。ベリンダの悪口にも口答えしなかったな」
「少し動揺が窺えましたが押さえると収まりました」
リーバイ様の言葉にゲルタが答える。それを聞いたマダムがちょっと睨んできた。
「どうしてそんなに気にするのよ?あなたの事じゃ無いでしょう」
「そうですけど、一緒に働く人の事ですから気になります、よ」
っと、リーバイ様を見た。
「なんだよ」
通常運転で私を隣へ座らせ何事も無かったような態度のリーバイ様に何故か腹が立つ。
「クライスラー侯爵夫人とお知り合いで?」
「あぁ、昔ちょっとな」
「あちらはちょっと、って感じでも無かったご様子でしたが?」
「そう言われてもなぁ、ちょっとはちょっとだ」
平然と返してくるが仮にも伯爵様だ。私に心の内を隠す事なんて簡単な事だろう。
「そうですか」
ムカムカするがこれ以上は突っ込んで聞けないし、聞きたくない気もする。なんでだ?
「お前は本当に変わった奴だな。人の事は気にせず自分の事を考えろよ」
「それくらいわかってま……いえ、余計な事を言ってすみませんでした」
キラッと眩しい笑顔を向けてくんじゃないよ。このモテ男が。
私がムッとしたまま答えると向かいに座っているマダムが小さくため息をついた。
「勝手をさせ過ぎたわね。アメリ、こっちに来て私の後ろで立ってなさい。そこが本来の場所よ」
主の後ろで付き従う位置。マダムの後ろを指定され一瞬驚いたが当然かなとも思った。これまで伯爵であるリーバイ様の横に座っているほうがおかしな話だ。
「畏まりました」
「おい、ベリンダ!別に良いじゃないか、俺がそうしたいって言ったからなんだから」
突然の言葉にリーバイ様が立ち上がる私の手を取り引き止めるがマダムは首を横に振った。
「いいえ、こういう所をハッキリさせないから私の噂如きで余計な考えを持つのです。お互いの安全の為にも線引は必要です」
安全を持ち出されてはリーバイ様も言い返せないのか躊躇いがちに握っていた手を離した。
直ぐにマダムの後ろにまわり下を向いて立っていた。本来なら口をきくどころか視線も合わせてはいけない相手だ。
マダムに言いつけられた事だが少しホッとした。これで余計な事を考えずに借金返済に全力を注げる。
マッサージグッズの試作品が出来上がってきていた。幾つか参考に描いた図面から握りと凹凸がついたローラーが平行な位置にある物が作られていた。これが一番作り易く力の入れ具合を調整しやすそうだからだそうだ。
「あっ、青竹踏み!これにも凹凸を付けてくれたんですね」
ローラーの他にも竹を縦半分に切った形の物も差し出された。
早速裸足になって足で踏むと、足裏に沿うような凹みと粒の大きさを入念に調整された痛気持ち良さ抜群の品。
「ゔぁ……疲れた足に沁みます」
使い方の説明がてら踏み踏みと足を動かしていたら急にペシッと頭を叩かれた。
「みだりに足を殿方の前で出してはいけないと言ったでしょ」
気がつけばマダムが「めっ!」っという感じで子供を叱るように私を睨み、部屋にいたマイルズさんとドルフがついっと視線をそらしていた。
またやっちゃった。リーバイ様が居なくて良かったよ。
「すみません、でもこうやって使うんです」
慌てて靴下と靴をはきローラーの説明も実践しマダムやマイルズさんにも試して頂いた。その様子をドルフと観察し、細かい調整はあったもののひとまず完成ということになった。




