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「綺麗に咲きましたね」
「うん」
見事に咲き誇る桜の木。
それを見るために周囲には大くの見物客が囲んでいた。
桜がこちらの世界に戻ってきたあの日、時を同じくして街はずれの草原に大きな桜の木が出現していた。
突如現れた見たこともない花を咲かせるその木を街の人たちは遠巻きに見ていたが、国から『花人光臨』の報を聞き、忘れて久しい花人と花守の話を思い出した人々は喜びをもってこれを歓迎した。
桜の木を中心に一帯を公園に整備し、花の咲く頃には沢山の見物客や出店で賑わうようになった。
「あっちの世界でも桜を見ながらお酒を飲んだりお弁当食べたりする風習があったんだよね。 だからこうやってみんなでお花見してるの見ると嬉しくなっちゃうな」
「それは……、あちらが懐かしくなりませんか?」
「もう、まだ気にしてるの? もう元の世界に戻りたいなんて思ってないよ」
桜は隣で不安そうな顔を浮かべる夫を笑い飛ばした。
「こっちにはクリスもいるし、今さらあっちの世界に戻されても私が困っちゃうよ」
「ですがサクラが生まれ育った世界ですし、いつか子どもが生まれたらご両親にも見せたいと山熊亭の女将さんに話していたのを聞きましたし……」
「聞いてたの? でもあれはそんな深い意味で言ったんじゃなくて、単純に孫を親に見せてあげたいなって思ったから言っちゃっただけだから。そんなに深い意味はないからね」
元の世界に関する事だけは異常なほど気にするクリス。 これだけはどれだけ言葉を尽くしても不安が払拭できないようだ。
普段は侯爵家の仕事をしているクリス。 さらにその補佐をするように簡単な書類仕事を手伝う桜だったがここ数日クリスの様子がおかしく、仕事も手につかず桜にベッタリだった。
だからそんなクリスを誘って気分転換になればと思い、本日満開の桜を見に来たのだ。
とはいえ連れ出すのに苦労した。ただの外出なら許可が出たのだが、桜の木を見に行くのだけは異常なほど反対された。理由を聞いても話してくれず、でもそこまで反対するならやっぱり街で買い物にしようと変更案を出した。そうしたら桜の願いは何でも叶えてやりたいクリスは渋々ではあるが桜の木を見に行く事に納得してくれた。
何がそんなに心配なのかと気にする桜ではあったが、久しぶりの外出に浮かれて決行してしまった。
「花人と共にこちらに来た花が咲き誇る時、花人の世界とこちらの世界が交じりやすくなると文献にも載っていました」
独り言のように呟くその言葉は桜の耳にもしっかり届いた。それと同時に、ああ、だからか。と納得もした。
ここ最近のクリスの情緒不安定の原因、それは桜がまた元の世界に帰ってしまう可能性が高いからだった。
一度元の世界に帰ってしまった事実があるだけに、もしかしたらまた……と言う恐怖が拭えないようで、クリスは仕事も手につかず桜の傍を離れたがらなかったのだ。
「心配性だねぇ、クリスは」
「当然です。サクラがいなくなったあの恐怖だけは二度と味わいたくありません」
別にあれだって桜の意思でやった事ではないが、あの時はこれ幸いとあちらに戻れたのを喜んでいた桜としては耳の痛い話だった。
「でもほら、今日は絶対手を離さないし、もしあっちの世界に行く事になっても今度はクリスも一緒じゃない?」
繋いだ手を持ち上げ笑い飛ばしてみせた桜に、クリスも少しばかり表情を和らげた。
「そうですね。 その時はぜひサクラのご家族にご挨拶をしなければなりませんね」
「うちのお父さん、顔だけは怖いから会う時は気合い入れてね」
「当然です。 大事なサクラのご家族ですから」
キリッと顔を作る様子がおかしくて、桜は声を出して笑う。 クリスはそんな桜を眩しく見つめ、その頬に手を添えるとそっとキスを落とした。
「ちょ、恥ずかしいから、」
あまりに自然にキスをするから、避けられずに慌てて顔を離して辺りを見渡した。
「大丈夫です。 みんなは桜の花しか見ていませんから。 花人のサクラを愛でるのは私一人だけです」
「それでもうっかり視界に入る事だってあるでしょ。 人に見られるのは恥ずかしいから外ではやめて」
「残念です」
全然残念がってない顔で笑うと今度は繋いでいる手を持ち上げてサクラの手の甲にキスをする。
「クリス!」
「ハハッ!」
二人のいつもの会話。でもクリスはこうやって声を出して笑う事など桜と出会うまでは知らなかった。
相手を寄せつけないための笑顔じゃなく、ごく自然に出る笑顔は家族でさえ見た事がないと言っていた。
そうやって当たり前の感情を当たり前に与えてくれる桜の存在はクリスにとって絶対に手放せないものだ。
「来年は弁当を持って来ましょうか」
「いいね! そしたら来年までに絶対米を探し当ててやる! お弁当におにぎりは外せないから!」
「サクラがご所望ならどんな手を使おうと探してみせます」
「あ、いや、そんな人殺しも厭わない感じで言われても嬉しくないから。 普通に探そう。 普通に」
「……わかっていますよ」
「嘘くさい!」
クリスには申し訳ないが、もしかしたらまた元の世界に戻る日が来るかもしれない。
でも桜はクリスほど心配してはいない。
なぜなら自分のホームは既にこちらの世界になり、離れ離れになったとしてもクリスの元に帰れると、漠然とだがそう思っているからだ。
根拠は何もない。でも多分、大丈夫。
二人が互いを想い合っているなら、お互いがお互いの帰る場所になる。
花守が花人を求めるように、花人もまた花守を求めているのだから。
これで本編完結です。
なんとか令和とともにスタートしたかったので見切り発車だったうえにGWの間に完結させたくて駆け足で終わらせてしまいました。
書きたかったエピソードがいくつかあるので、番外編を書けたらまた更新したいと思います。