願い
ふと、気が付けば、体が軽い。
いや、軽いというより。
『やっと、死ねたのかしら…』
”落ち人”は同じ時代に複数現れないらしい。
先代の聖女の命が消えた瞬間に、朱音がこの世界に落とされたとは後から知った。
琴音は例外だった。
だからこそ、この世界と縁を作られる前に、彼女をあらゆるものから守れたし、願うことができた。
あの日。
朱音の尊厳が踏みにじられた日からずっと。
ずっとずっと、死にたかった。
元の世界に戻れないのなら、雨龍のもとに帰れないのなら、死なせてほしかった。生きている意味などないと。
けれど、何度試しても、どんな方法でも、死ぬことはできなかった。
この世界は、朱音に、死という安らぎすら許さなかった。
眼下はすべて水に覆われている。
最期の記憶は、器の苦しさだったけれど。
『やっと、死ねたのね…』
この世界に殺される人間はもういなくなるだろう。
琴音がここにいないということは、元の世界に戻れたのだろうか。
辺りに意識を向けると、何やら騒がしいところがある。
肉体の感覚は失われたはずなのに、聴覚があるのは不思議だが。
さて何事だろうかと、遠見してみる。能力もそのままのようだ。
『お前らが! 聖女様にあんな非道な真似をしなければ、こんなことにならなかったんだ!!』
『やめろ! 余を誰だと思っている! 不敬だぞっ』
『ああ? ご立派で英邁な国王陛下様でしたっけ? 聖女様を集団で襲ったごろつきまがいの』
『やめっ! 石を投げるのはやめろ! 処刑するぞ』
『まさか、わたくしの夫がそんなことをしてたなんて、人間の皮をかぶった獣でしたのね』
『私をぶつなど、お前に何の権利があって』
『よく平気な顔で、民衆の前に出られたわね! 人でなし!!』
『この世界を返せ! 聖女様に謝れよ!!』
──どうやら世界が崩壊したときに、わたしの過去が国民全員に共有されたようだ。
国王以下獣数名が、国民全員に非難と批判を浴びながら、石やら泥やら(ここにそんなもの見当たらないのに)投げつけられている。
朱音はどうしても死ねない絶望の中でも、聖女としての役目は果たしていた。というより、そうするしかなかったから。
経緯がどうあれ。
肉体が滅んだ状態でも痛みを感じるようだから、さて、永遠の拷問になるかもしれないわね。
わたしの知ったことではないけれど。
世界は崩壊したというのに、まだここに留まらねばならないのだろうか。
いや、まだ朱音として存在しなければならないのだろうか。
元の世界に、帰りたい。
魂だけだとしても、せめて。
わたしがいた、世界に。
それだけを願っていたとき。
『朱音』
声が、聞こえた。
忘れるはずもない声。
この世界に落とされてからも、片時も、忘れられなかった、声。
朱音が聞きたかった、ただひとりの声。
震えながら、振り返る。
在りし日の姿の、求めていたひとの姿を捉えて。
──朱音は走り出す。
会いたかった。
ずっと、ずっと、ずっと。
『雨龍…!!』
大きな体に飛びついた。
抱き留め、抱き締められる。
『雨龍、雨龍、雨龍…!』
会いたかった、会いたかった、逢いたかった!!
『遅くなって、ごめん』
泣きながら、首を振る。
だって、ちゃんと迎えに来てくれたもの…!
──琴音は意識が切り替わったかのように、元の場所にいた。
蔵の中の巻物がすべて焼け焦げたようになっている。
それより、なにより。
どんなに探してもいなかった祖父が、いた。
「……おじいちゃん…」
倒れた祖父に、朱音の身体が重なっている。
その顔は、幸せそうに微笑んでいて。
2人とも、息をしていなかった。
祖父の結末だけは、決まってました。
ちなみに、これは作者が見た夢。




