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ある女性の願いごと  作者: 篠月珪霞


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落ち人

「おじいちゃーん、来たよー」


中学校の夏休み。

淡野琴音は、母方の実家である祖父宅に遊びに来ていた。1人で。父母共に仕事で今年も無理というのは、聞かずとも分かっていて、ここ数年は琴音だけだった。


典型的な日本家屋といった庭付きの立派な邸宅は、祖父1人で住むには淋しいのではないかと、来るたび思う。

田舎の、人気のない土地。広い部屋に、1人きり。近所も結構離れてるのに。

淋しくないか?との問いに、祖父はいつも穏やかに否定していたけれど。


「おじいちゃん?」


琴音が呼ぶと、声を張り上げているわけでもないのに、どこからともなくすっと現れる祖父が今日は姿を見せない。


「あれー? 今日行くって言ってあったんだけど、まさか留守?」


そんなわけがない。だって、スマホにも何も連絡がなかった。祖父はまだ60代。スマホもパソコンも、琴音以上に使える人だ。


「おかしいな…やっぱ連絡来てないし」


もう一度、スマホを確認するが、やはり着信もLINEもメールもない。

首を傾げながら、はっとする。

もしかして、家の中で倒れてたり…?!

来たときは庭から声をかけていたが、毎回戸締りされているわけでもなかったから、その考えに及ぶのに時間がかかってしまった。

まだ60代という年齢も琴音の判断を遅らせたといっていい。


慌てて家の中に上がり込み、小走りで祖父を探す。


「おじいちゃん、おじいちゃん、どこ?! 返事して!!」


居間、仏間、台所、洋室、和室。お風呂、トイレ、寝室。すべて大声を出しながら見回ったが、いない。

どこにも姿が見えない。


「うそぉ…おじいちゃん…どこ、いったの…?」


広い広い家の中、ぽつんと1人だけ残されたような、心細さで泣きそうになりながら琴音が呟く。

どうした?と優しく声をかけてくれる祖父がいない。それだけで、もう涙が目じりに溜まっていく。


涙がこぼれそうになったところで、そういえば、と思い出す。

庭の隅に蔵があった。

何でも江戸時代からあるとかいう、本当かどうかわからないけれど、古いことだけは確かな蔵が。

家の中にいないということは、そっちかも?!と靴を履き、蔵に向かう。


蔵の扉は開いていて、光が漏れている。つまり、電気がついている。


「よかった…ここにいたんだ…」


ほっとしたら、今度は安心で泣きそうになったのを、ぐっと堪え。

琴音を心配させたことを、まず怒らなきゃ。


「もう、おじいちゃん、探したんだか、ら…?」


言葉が尻すぼみになっていくのは、期待した姿がなかったからだ。確かに電気はついている。なのに、やはり祖父の姿はない。


「え、…どういうこと? …おじいちゃん、いないの…?」


蔵は見渡せるくらいの広さで、隠れる場所などない。

数年前に一度来た時は祖父に見せてもらったが、棚に所せましといろいろ骨董品?などが置いてあっただけの、倉庫として使ってるという話だった。

物はかなりあったが、整理整頓してあった。

なのに今は、床に巻物のようなものが、たくさん転がっている。広がった状態で、雑然と。


「なんなの…なんで…」


なぜかわからないが、その光景が何だか不気味に思えて、琴音は無意識に後退る。

その瞬間、眩い光が辺りを包んだ。

日中に、しかも自然なものでも、機械が作り出すものでもない、圧倒的な光。


「まぶし…っ!」


反射的に琴音は目を閉じざるを得なくなり。

それは、どれくらいの時間かは分からないが、1分にも、1時間にも感じた。

光が収まると同時に目を開けると、見慣れない部屋に琴音はいた。


「なに、ここ…どこ…?」


さっきまで、祖父の家の蔵にいたはずなのに。

柔らかい光が入っている窓はステンドグラス。床も天井も壁も、白を基調とした洋風な造り。

どこかの、教会みたいな。


いやいや。

祖父の家の近くにこんな教会などないし、琴音の家の近くにだってない。


「夢でも見てるのかな…」


お約束、とばかりに頬をつねってみたりするが、視界は変わらない。


「え、ほんと、なにここ…? おじいちゃんは…?」


どこにいるかも、なぜ自分がここにいるかも分からない琴音は途方に暮れる。

頼りになる祖父もいないし。

今度こそ涙が溢れて、えぐえぐと1人で泣いていると、知らない声が琴音を咎めた。


「そこにいるのは誰だ! ここは一般立ち入り禁止区域だぞ!!」


わらわらと、数人の騎士に囲まれ、琴音の涙は強制的に止められる。


「なんだおまえは! どうやってここに来た!!」


そんなの、こっちが聞きたい!

という言葉は、突き付けられた槍で声にならなかった。

代わりに、ひゅっという息を吞む音が自分から漏れる。


「答えろ!」


そんなこと言うなら、まずこの槍をどうにかして!!

琴音のまだ10数年の人生において、身近な刃物はカッターや包丁くらいで、こんな殺傷能力の高いものは目にするのも初めてだというのに。

がくがくと震える足と身体に、均衡が崩れそうになる。


「お待ちなさい!!」


更に追求しようとした騎士を止めたのは、凛とした女性の声。


「アカネ様!」

「皆、下がりなさい」

「しかし、アカネ様…!」

「わたくしの命令が聞けないのですか。その子を離しなさいと言っています」

「…はっ! 失礼いたしました!」


ようやく解放された琴音はその場に崩れ落ちた。


「大丈夫ですか? 新たな落ち人よ」


女性の言葉に、周りの騎士たちがざわめく。


落ち人ってなに?

この人は、なぜ助けてくれたの?


何も分からないまま、琴音は意識を失った。


















目が覚めたら、豪華なベッドの上だった。

天蓋付とかいうやつ? ドラマとか映画以外で初めて見た。

思わず、まだ夢でも…と頬をつねったが、やはり痛かった。


「気が付かれたのですね、聖女様」

「…は?」


メイド服みたいな服装の女の人が琴音を見て、ほっと息をついている。

しかし、それ以上に気になったのが、その人の言葉。

聖女? 誰が? 私が?


「すぐにアカネ様を呼んでまいりますね!」


こちらの返事を待たずに、足音を立てずに去っていった女の人。

聞き間違いじゃなかったら、私を聖女とか言ってたな、あの人。

琴音の漢字変換が間違ってなかったら、これって、いわゆる異世界転移とかいう…?

ラノベとかアニメとかである、あの?

そうだとしても、ちょっと待って。

おじいちゃんちの蔵って異世界と繋がってんの???

絶賛混乱中の琴音に構うことなく、ノックの音がし、意識を失う前に見た女性が入ってきた。


「目が覚めたと聞きました。体調はどうですか?」

「あ、はい。気分は悪くないです」

「そう、それはよかった」

「あの、ところでここはどこですか? 日本じゃないですよね…?」


地球じゃないですよね?とはさすがに聞けなかった琴音である。


「ええ、お察しの通り、ここは異世界。わたくしも、日本から来た異邦人。アカネと呼んでちょうだい」


やっぱりー!!と危うく大声で叫ぶところだった。

かろうじて抑えられたが。

それよりなにより。


「え、と…もしかして、もう、帰れない、とか…?」


困ったように微笑む女性に、答えを聞かなくても分かってしまった琴音。再び涙腺が緩みそうになる。


「なんで…おじいちゃんに会いに来ただけなのに…」


なんでこんなことに…。


「…泣かないで、とは無理な話よね。あなたおいくつ?」

「14です…」

「わたくしがここに来たのは17のときだったわ。それからもう50年も、ここにいる」

「え、じゃあ、もう70近いんですか?!」


とてもそうは見えない。どう見ても、30代くらいの若々しさだ。


「そう見えないのは、異世界と時間の流れが違うからかもしれないわ。ここには、大体50年ごとに、異世界から少女が招かれている。この世界では”落ち人”と呼ぶのだけれど」


落ち人。この女性、アカネが始めに言った言葉だ。


「招く…いいえ、引き込まれているという方が正しいかも。この世界で”落ち人”という存在は、いるだけで瘴気を薄め、魔物を減少させるもの。故に、聖女とも呼ばれるわ。だから、とても丁重に扱われるの」


「だとしても、元の世界に帰りたい…」


いくらこの世界で大事にされようと、お父さんもお母さんも、おじいちゃんも、友達だっていない。

1人なんて嫌だ。


「わたくしも、帰してあげたいし、帰りたいのだけれど…っ」


何かを言いかけて止めたアカネの顔に、一瞬だけ緊迫感が浮かんだ。その直後、ノックもなしに音高くドアが開けられる。


「アカネ、新しい落ち人が来たと聞いたぞ! 俺の婚約者になるんだろう?」


はあ? 誰が誰の婚約者になるって?!と、礼儀のれの字もなさそうな男を見ると。


「王太子殿下。まず女性の部屋にはノックなしに入ってはいけません。それから、彼女は婚約者と決まったわけではありません」


アカネさんが諫めるも、鬱陶しそうな顔で手を払うだけで、おそらく何も効果がない。

王太子殿下って、こんなのがこの国の次の王様なの?

確かに、きらきらの金髪で青い目の、外見だけなら王子様かもだけど。


「どれ、どんな女か…なんだ、平凡というかどこにでもいる平民みたいだな」


遠慮なく距離を詰めて来たかと思うと、不躾にじろじろ琴音を見た後、落胆したような表情をする王子。

そもそも、日本に身分制度とかないので、平民で間違ってはいないが、見下すような言い方がむかついた。


「はい、平民なんで、王太子殿下?のお相手にはならないですね、きっと」

「なんだと?! 無礼な!」


じゃあ、どう言えってのよ、うざー。

勝手に逆上する王子に、うんざりする。


「とにかく、落ち人様は今日来たばかりで、気持ちの整理もついていません。お引取りを」

「この俺に向かって、なんだその口のきき方は!!」


アカネは普通のことしか言っていなのに、王子が食って掛かっている。みっともない。


「わたくしは、王族と同等の身分である聖女です。王太子殿下には、まず礼儀と道徳、一般教養を身につけてからおいでください。衛兵、何をしているのですか、早く殿下を王城へ連れて行きなさい」


はっ!という返事と共に、抵抗する王子を衛兵たちが取り囲む。


「放せ! 高貴なこの俺に許可なく触れるとは!」

「聖女様のご命令ですので」

「お前たち、すべて処刑してやるぞ!」


物騒な捨て台詞を吐きながら、王子は追い出された。

はーっと深い溜息をアカネはつく。


「とんだ邪魔が入ったわね。悪いけど、手遅れになる前に話をしておかなければ」

「手遅れって、これ以上なにか悪いことがあるんですか…?」


元の世界に帰れないこと以上の悪いことがあるのだろうか。

そう思った琴音だが、アカネの話は衝撃的だった。






















アカネの結界に守られながら、約1か月。

琴音は必死に力のコントロールを覚えた。

日本にいたときは感じたことのなかった『力』というものが、自分の中に確かに存在していた。

アカネの願いを、そして琴音の願いを叶えるだけの、人1人には余るくらいの膨大な『力』。

これも、アカネに言われるまで分からなかった。

怪我してても、気付かなかったら痛みを感じないのと同じことかな?と身近な例に置き換えて理解する。

そして、ようやく実行できる日がきた。


アカネの願いを叶える日が。──この世界を、破壊する日が。







「なんだ、この地響きは?!」


突然の地震。津波。王城ではパニックになっているようだ。

町も、村もすべての人が逃げまどっている。











『わたくしが落ちたのは17の時というのは、さっき話したけれど、1人ではなかったの』


『雨龍という、恋人と一緒だった』


『でも、ある日突然、雨龍は消えた。たぶん、弾き出されたの。この世界に必要ないと思われたのね』


『雨龍を恋しがって、故郷を恋しがって、聖女様とか言われても、ただただ否定していたわ』


『後で知ったことだけど、この世界にとって、聖女とはなくてはならない存在だったようでね。まあ、魔物による被害が多かったみたいだから、気持ちは分からないでもなかったけど』


『帰りたいと泣く、わたしに、彼らは何をしたと思う?』













「助けて!! 誰か…!!」


大勢が水に、地面に吞み込まれていく。

1人の人間に犠牲を強いて保っていた平和など、壊れてしまえ。

琴音に、この世界を助ける義理などない。

アカネの…朱音の話を聞いてしまった今なら、尚のこと。












『当時の王子、今の国王ね。それから、宰相、騎士団長、魔術師団長、あと公爵家の息子なんかもいたかしら』


『全員で、わたしを犯したの』















何もかも、壊れてしまえ。こんな腐った世界など。

琴音は、ただそれだけを胸に、力を振るう。















『雨龍を呼びながら泣き叫ぶわたしを、何度も何度も…。時間も関係なく、犯して、嬲ったわ』


『それで、この世界と、強制的に縁ができてしまったわたしは、帰ることができなくなったと知ったの。この世界を壊すことも。何かを守るための力は、使えたのだけど』


『幸い、子供はできなかったわ。異世界人だったからかしら』


『今の王太子は、国王の元からの婚約者だった王妃との子。どうでもいいことだけど』


『わたしの願いを、聞いてくれない?』












宙に浮いているのは、琴音の持つ力のおかげだろう。

見下ろす大地はすべて水に呑み込まれている。
















『うりゅうさんって、もしかして、雨の龍で、雨龍ですか?』


『そうよ』








この世界を壊しても、日本に帰ることができるかは分からない。

でも、これからもこんな風に誰かが犠牲になるのなら。

そして、この世界を呪い、願った朱音のために。

もしかしたら、祖母になっていたかもしれない、1人の女性のために。


祖父の名前は、淡野雨龍。琴音の母は、養女だ。














途中から、一人称が「わたし」になってるのは仕様です。

主人公の父は婿養子。

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