変化
放課後、校庭に姿を現したヴィルマリーは、前回とは一変した生徒たちの様子にわずかに目を見張った。
普段ほとんど表情を変えることのない彼女にしては、珍しいことだった。
つまりは、それほどの変化だったのだ。
生徒たちに、一回目の練習の時のはしゃいだ雰囲気がまるでない。
皆、どこか緊張した表情をしている。
物事に真剣に向き合おうとするとき、それが何であれ、人は緊張するものだ。
つまり、彼らは遊び気分を捨てて、運動競技会に本気になったのだ。
それ自体は望ましいことと言えた。
だが、雰囲気はどこかぎこちない。
緊張の中に、熱気のようなものを感じない。
とてもではないが、クラス全体で勝利に向かって団結したようには見えなかった。
ルネはうまくまとまったと言っていたけれど。
ヴィルマリーは考える。
やはり、話し合いは不調だったようね。
先日、ハイデが相談に来たときのまま、クラスはいまだにばらばらなのだ。
その理由も、ヴィルマリーには分かっていた。
クラスの中心となる生徒たちが互いに反目しているからだ。
レオンとラウディ。
ウルリケとベルティーナ。
ルネとハイデ。
その周りにいる他の生徒たちも、彼らの動向に合わせて右往左往しているのだろう。
だからといって、ヴィルマリーは彼らを個別に呼んでクラスを良くしなさいなどということは言わない。
それは彼らがその必要に迫られたとき、自分たちで気付くべきことだ。
彼らはただの子供ではない。
世界中から選りすぐられた、ノルク魔法学院の生徒たちなのだから。
それすらも魔術師として成長していく上での一過程なのだから。
そして。
ヴィルマリーの目が、一人の生徒を捉える。
16人の生徒の中で、最も緊張している生徒。
それが、レクトだった。
あなたは、この練習で何かをするつもりなのね。
緊張でわずかに身体まで震わせている男子生徒に一瞬だけ優しい眼差しを向け、それからヴィルマリーは手を叩いた。
「さあ、今日もまずは障害物競走から始めましょう」
クラス全体と、レクトの変化が大きすぎたせいだろう。
ヴィルマリーは、老練な彼女にしては珍しく、ウルリケのごくわずかな変化を見落とした。
「今日は、前回と違い障害を出してみます」
ヴィルマリーの言葉に、生徒たちがざわめく。
「もちろん、あくまで練習用の障害です。本番でどんな障害が出るのかは分かりませんから、そのつもりで」
「先生、本番でどんな障害がどこに出るのか、俺たちだけに特別に教えてくれませんか」
ライマーがみんなの素直な気持ちを代弁したが、ヴィルマリーはにこりともせずに首を振った。
「ライマー。それを知ってもし勝利を手にしたとして、あなたは他のクラスに誇れますか」
「誇れま……いや、どうだろうな。分かりません」
誇れます、と断言しそうになったライマーにみんなが肝を冷やしたが、ライマーはギリギリのところで自力で軌道修正した。
余計な説教を免れた生徒たちが安堵のため息を漏らす。
「では、出場する生徒はスタート位置につきなさい」
ヴィルマリーの指示で、生徒たちが移動する。
ベルティーナと交代したハイデは、興味深く後ろから彼らの動きを観察した。
やはり、ベルティーナはウルリケを意識している。だが、当のウルリケはどこかぼうっとしているようにさえ見える。
スタート位置の隅っこに立ったレクトを、ラウディが見咎めた。
「おい、レクト。そんなところでいいのかよ」
そう言って、ど真ん中に陣取る自分の方に手招きした。
「勝つ気があるんなら、俺の隣に来い。出遅れたら致命的だぞ、特にお前みたいな鈍足は」
「ありがとう」
レクトはラウディの方を見もせずに、そう答えた。
「でもやめておくよ。僕は、ここの方がいいんだ」
「確かにお前は隅っこが似合ってるけどよ」
ジルコがそう言って笑う。
「終わってから、それを負けた言い訳にするなよ」
「分かってるさ」
レクトがぶっきらぼうに答えると、ジルコはむっとした顔をしたが、さすがにそれ以上は何も言わなかった。
一番後ろにふわりと立ったウルリケを、ベルティーナが振り返る。
「ウルリケ、そんな後ろでいいの?」
挑戦的な目でそう言われたウルリケは、微かに首をかしげた。
「ええ、ここでいいわ」
細い声はまるでどこかの深窓の令嬢のようで、思わずほかの生徒も彼女を振り返る。
だがウルリケは彼らの視線などまるで気にせず、視線を前方のどこか遠くに向けていた。
「変な子」
ベルティーナがちょうど本人に聞こえるくらいの声でそう呟き、前に向き直る。ウルリケはそれにも反応しなかった。
「それでは、はじめ」
ヴィルマリーが手を叩くと、生徒たちは一斉に走り出した。
まず先頭に立ったのは、ラウディだった。
中央の一番いい位置からスタートしたのは、さっさと先頭に立つためだった。
コースとなっている庭園は、あくまで庭園だ。徒競走のためには作られていない。
だからチェックポイントに至る道にも、幅が広いところと狭いところがある。
場所によっては、前を行く生徒のペースが落ちてきても、狭くて抜くことができないのだ。
前回ラウディは余裕ぶって後方からスタートしたせいで、なかなか前に出られず自分のペースを掴めなかった。
それでも勝てるだろうと踏んでいたのだが、ウルリケが予想外の脚力を見せ、不覚を取ってしまった。
今回は、同じ失敗は繰り返さない。
道が植え込みに沿って緩いカーブを描く。
走りながらラウディは、ちらりと後ろを振り返る。
ウルリケはまだ後方だ。その姿は、ほかの生徒たちの陰に隠れて見えない。
レクトの姿もだ。
ウルリケはともかく、レクトは論外だった。
レクトは終わったな。
ラウディは思った。
もう、この時点でお前の負けだ。
そもそも、あんな隅っこからスタートするところからして、最初から勝つ気がねえんだ。
勝ちたけりゃ、俺みたいに他のやつを押しのけてでも有利な位置に立たなきゃだめなんだよ。
その程度も分からねえ弱虫が、この俺に舐めた口叩きやがって。
これから、あいつをどういじめてやろうか。
楽しみが増えたぜ。
そう考えて、ラウディはもうそれでレクトのことを意識から追い出した。
あんな負け犬に気を取られている暇はない。
今度こそウルリケにも、自分のすぐ後ろにいるベルティーナにも、負けるわけにはいかねえ。
それは、クラス内での立場にも関わることだった。
その時、ラウディの脇をすり抜けるようにライマーが先頭に立った。
「ラウディ、お先に」
ライマーがそう叫んでペースを上げる。
「ふん」
ばかめ。
ライマーのことを、ラウディは大して危険視していなかった。
小柄ですばしっこい分スピードはあるが、お調子者でペース配分も何も考えていない。
先頭に立てば目立てる、とか、考えているのはせいぜいその程度のことだろう。
前回は競る形になったが、ゴールした時のラウディにはまだ余力があった。逆にライマーは精も根も尽きたように喘いでいた。
競り合えば、負ける気はしない。
だが、あまり差を開いて気分よく走られても、面倒だ。
いつでも抜けるように差は詰めておくか。
ラウディがややペースを上げて、ライマーに追いつこうとしたその時だった。
「あ、やべ」
不意にライマーが足を止めた。
「こっちじゃねえや」
「ああ!?」
ラウディが振り向くと、後ろに誰もいない。
ベルティーナ以下の後続はラウディたちについて来ず、分かれ道を脇へと入っていくのが見えた。
「てめえ、ライマー!」
「なんだよ、お前が勝手についてきたんだろうが」
「くそっ」
ラウディは跳ぶようにして駆けて、集団の最後尾に食らいついた。
「どけっ」
狭い道だったが、モリスの身体を押しのけて強引に前に出る。
そのとき。
「うわっ」
「きゃあ」
先頭の方で悲鳴が上がった。
ここで障害か、と思ったときには、ラウディの足元も泥の中に踏み込んでいた。
雨の降った直後のような泥道になっている。
踏ん張ろうとした足がずるりと滑り、あやうくラウディは転びそうになった。
「ぐえっ」
足を滑らせたエダーが無様に転ぶ。
その上を、ラウディは跳び越えた。
障害と言ってもこの程度か。
足もとに気を付けつつ、ラウディはわざと後ろに泥を跳ね飛ばしながら走った。
「うわっ」
「ぺっぺっ」
「やめろよ、ラウディ」
後ろから上がる悲鳴を心地よく聞く。
足もとが普通の道に戻った瞬間を狙って、ラウディはウルリケを抜き去った。
「どうした、お嬢様」
抜き去りざまに、ラウディは吼えた。
「今日は調子出ねえのか」
ウルリケは答えなかった。
ラウディの前を走るのは、あと二人。
ベルティーナとジルコだ。
道の先に、石碑が見えてきた。




