違和感
アインにあんな話をされたせいで、その夜レクトは、ウルリケが帰って来たかどうか心配で、彼女の部屋近くの廊下をうろうろしていたが、ウルリケを見付けるよりも先にベルティーナに見付かってしまった。
「あれ、どうしたのレクト」
「あ、いや、何でもないよ」
ウルリケを敵対視しているベルティーナに余計なことを知られたらまずい。レクトは急いでその場を立ち去ろうとしたが、ベルティーナの方から、
「そうだ、レクト」
と近寄ってきた。
「明日の競技会の練習、私も障害物の方に出るから、よろしくね」
「あ、うん」
レクトは頷く。
「よろしくって言われても、僕は遅いからあんまり関係が」
「また、そんなこと言って」
ベルティーナは笑顔でレクトの腕を叩いた。
「ラウディたちから聞いたわよ。明日、お前らに勝ってみせるって宣言したんでしょ?」
「お前らに勝ってみせる?」
なんだって?
レクトは驚きに目を見開く。
「そんなこと言ってないよ」
「え? ラウディたちがずいぶん興奮して、そう言ってたわよ?」
ベルティーナの言葉に、レクトは必死で首を振る。
「ち、違う」
「違うの?」
「違う、大違いだよ。僕はただ、足手まといじゃないことを証明してみせるって、そう言っただけで」
「なあんだ。同じことじゃない」
「ええ?」
「だって」
ベルティーナは笑顔で言った。
「足手まといじゃないことを証明するってことは、少なくともラウディたち三人のうち誰かには勝たなきゃならないでしょ? ラウディは無理としても、エダーなら勝てそうじゃない?」
「そ、そんな意味で言ったわけじゃ」
「なんにせよ、頑張ってね。私も頑張るから」
ベルティーナにそう励まされ、レクトは今さらながらに自分がとんでもないことを言ってしまったのではないかと後悔しかける。
ベルティーナまで知ってるということは、ラウディたちのやつ、色々なところで言い触らしたに違いない。
明日だめだったら、大恥をかくことになるのだろう。
だがすぐに、いや、と思い返した。
僕はやるって決めたんじゃないか。
だめだったら、それはその時の話だ。
その時、ベルティーナがレクトの背後に視線を向けて、目を細めた。
「あっ」
「え?」
振り返ると、ウルリケが歩いてくるところだった。まだローブ姿のウルリケにベルティーナが尖った声を上げる。
「こんな遅くまでどこに行ってたの?」
頬を上気させたウルリケの目は、何かに憑かれたようにキラキラと輝いていた。
「あら、ベルティーナ。あなたには関係ないでしょ?」
「あまり夜遅くまでうろついているようなら、管理人のマイアさんに報告するわよ」
「そうね。そうすれば私はきっと明日の障害物競走の練習に参加できないものね。あなたの勝ちだわ、おめでとう」
ウルリケの言葉に、ベルティーナはプライドが傷つけられた顔をした。
「そんなことするわけないでしょ」
ベルティーナは勝気な笑顔を見せた。
「私はここでレクトとおしゃべりしてたのよ。邪魔だから、早く行って」
「ええっ」
急にベルティーナに腕を掴まれて、レクトは目を白黒させる。
「いや、そんな」
「レクト、楽しそうね」
ウルリケが笑顔で言った。
だが彼女から感じたものに、レクトは思わず顔をこわばらせた。
ウルリケの身体の中に、一年生とはとても思えない強い魔力が渦巻いている気がしたのだ。
ベルティーナもそれに気付いたようで、驚いたようにウルリケを見た。
「ウルリケ、あなた」
「手を離しなさい、ベルティーナ」
ウルリケは言った。その口調に、有無を言わせぬ迫力があった。
「それともあなた、レクトのことが好きなの?」
「す、好きって」
思いがけない言葉に、ベルティーナは顔を赤くしてレクトの腕から手を離す。
「どうしてそうなるのよ」
別に照れているわけではなく、失礼なことを言われてむっとしているようだ。
「好きじゃないわよ」
「そう。ならいいわ」
ウルリケは薄く笑みを浮かべると、「じゃあね、レクト」と言って自室に入っていってしまった。
「……変な子」
ベルティーナは息をついた。
「前から変わってたけど、ここ最近は度を越してるわ」
そう言って、レクトを見る。
「レクト、あなただってそう思うでしょ?」
「う、うーん……」
レクトが微妙な顔をすると、ベルティーナはすぐに、ああそうね、と言って手を挙げた。
「あなたの立場じゃ何も言えないわよね。でも、気を付けた方がいいわよ」
ベルティーナはそう言って、もう一度ウルリケの部屋のドアを振り返った。
「本当に変わってるもの、あの子」
翌日の教室では、ラウディたちは妙に静かだった。
だが、時々レクトの方を見てはにやにやと笑った。
その態度に、レクトの隣の席の鈍感なライマーでさえも気付いたようで、
「何だ、あいつら」
と顔をしかめた。
「レクトの方ばっかり見て、ひそひそ言ってやがる。何かあったのか、レクト」
どうやらライマーは知らないようだ。
「うん。実は」
レクトは、ラウディからハイデの代わりにお前が競技を代われと言われて腹を殴られたこと、それを断ったことを話した。
「なんだ、それ」
ライマーが憤りの表情を浮かべる。
「ラウディの野郎、そんなねちねちしたことするやつだったのか。見損なったぜ」
「だから、今日の放課後の練習が楽しみなんだと思うよ」
「ラウディに勝てる作戦があるのか、レクト」
「いや、だから」
どうしてみんな、僕がラウディに勝つって言ったことにしちゃうんだろう。
「僕は別にラウディに勝つなんて言ってないよ。ただ、足手まといにならないことを証明するって言っただけで」
「そうなのか?」
「うん。つまり、前回の僕よりも頑張ればそれでいいわけで」
「だけど、勝っちゃだめなわけじゃないんだろ」
「え?」
レクトはライマーの顔を見た。ライマーはいつもの底抜けに明るい顔で頷く。
「勝った方が気分いいだろ」
「そ、そりゃそうだけど」
「ラウディのやつ」
ライマーが声を潜めた。
「実はコースをそんなに覚えてないんだ。ウルリケに負けたのも、途中でおかしな道を通ったからだ」
「そうなのかい」
「ああ。だから」
ライマーはにやりと笑う。
「俺がかき乱してやるよ。変なコースに入ったりして、あいつを混乱させてやる」
「ありがとう、ライマー」
レクトは友人の申し出に心から感謝した。
「だけど、それはしなくていいよ」
「え?」
ライマーは口を尖らせる。
「なんでだよ。ラウディはどうせジルコとエダーも使うんだから、こっちだってチームで」
「気持ちはすごく嬉しいんだけど」
レクトはもう決心していた。
自分の出来る精一杯をする。
ネルソンの教えてくれたことと、自分の準備を信じる。
それでもだめなら、仕方ない。そのときは、それを受け入れてそこから始めるしかない。
仲間を頼ってしまうと、その決意が揺らぐ気がした。
「一人でやってみるよ」
「そうか?」
ライマーは意外そうに目を瞬かせたが、それからにやりと笑った。
「まあでも、俺が勝手にやる分にはいいよな」
「え?」
「俺は俺で、この前ラウディに負けてるからな。あいつに勝てるように作戦を使うぜ」
ライマーはそう言って、ラウディをちらりと見た。
「あいつ、今回はレクトのことばっかり気にしてるだろうからな。油断してるところを俺が勝つ。ついでに、ウルリケとベルティーナにも勝つ」
「ああ」
レクトも思わず微笑む。
「それなら、構わないよ。ライマーもがんばって」
ウルリケは、今日もどこかぼんやりとした雰囲気を漂わせていた。
誰かに声を掛けられると、いつものぴりっとした雰囲気に戻るのだが、一人でいる彼女はどこか心ここにあらずといった風情だった。
そんな彼女の様子に、どうしてもレクトは昨日のアインの言葉を思い出してしまう。
ウルリケから覚える違和感。
お母さま。
一体、それは誰なんだろう。
ベルティーナも、口にこそ出さないものの、ウルリケを意識しているのが伝わってくる。
一年一組の教室は、妙な緊張感を孕んだまま、放課後を迎えた。




