再会
放課後、レクトは一人、庭園を歩いていた。
ちょうど、レクトがクラスメイト達についていけなくなって脱落してしまった辺りだ。
ライマーとモリスから森に誘われたが、今日は断った。
自分の中で消化しきれない悔しさと情けなさを、どうにかしなければならない。
それには、彼らと一緒にいたらだめだった。
一人きりにならなければ。
今日の僕は、だめだった。
レクトは、何か重いものを背負ったような気持で、そう思った。
いや。今日だけだめだったわけじゃない。
本当は、今日までずっとだめだったんだ。
ただ、今まではそれがはっきりと表に出ていなかっただけだ。
運動競技会の練習という、その差がはっきりと目に見える場面になったら、自分とみんなとの差が思いきり露わになってしまった。ただそれだけのことだ。
レクトは、今日の自分の無様な体たらくを何とか飲み込もうとした。
けれど、自虐的な思いばかりが溢れ出して止まらない。
クラスメイトたちの前で、情けないところを見せてしまった。
ラウディに投げかけられたきつい言葉が、レクトの心にまだ突き刺さっていた。
それも、好きな女の子の前で。
……ああ。
ため息が漏れる。
僕は、何も今日急にだめになったわけじゃない。
僕はずっとだめだった。
きっと本当は、この学院に入学する資格もないんじゃないだろうか。
もしかしたら、誰かと間違えて入学してしまったのかもしれない。
手続きの間違いとか、そんなので。
本当はもっと別の優秀な誰かが入学する予定だったのかも。
ウルリケの横を、かっこよく息も切らさずに走れるような、そんな男子が、僕の代わりに。
レクトはまたため息をついた。
自分が他の生徒よりもはっきりと劣っていると認めることは、つらかった。
他の生徒たちより優れているなどとは思っていなかったが、もう少しはやれるんじゃないかと勝手に期待していた。
だが、現実は非情だった。
ウルリケに優しくされたことも、心苦しかった。
きっとウルリケも、本当はこんな情けない僕のことなんて相手したくないと思ってるんじゃないだろうか。
そんないじけた考えがどうしても頭の中から消えない。
はあ、と何度目か分からないため息をついたときだった。
「おう、どうした。ため息なんかついて」
植え込みの陰から突然誰かがにょきっと顔を出した。
普段なら、うわあ、と声を上げて跳び上がるところだが、今日のレクトにはそんな元気もなかった。
ちらりと顔を上げて相手を確認して、またうつむく。
その男子生徒を、レクトは知っていた。
オリエンテーションの日に、この庭園のことを案内してくれた三年生だ。
「ああ、ええとネルソンさん」
「ネルソンでいいぜ」
ネルソンは気さくな口調で言った。
「なんたってこっちはお前の名前を覚えてねえからな。多分、オリエンテーションで話したよな。ええと」
「レクトです」
「おう、そう。レクト、レクト」
思い出したというよりは、初めて聞いたような口ぶりだったが、それでもネルソンは笑顔で頷いた。
「どうしたんだよ、レクト。魔物に魂抜かれちまったみたいな顔して。元気溢れる初等部一年生のする顔じゃねえぞ」
レクトは顔を上げて、ネルソンを見る。何の悩みもなさそうなネルソンが、羨ましかった。
「……ネルソンさんって、運動得意ですよね」
「運動?」
ネルソンはきょとんとした後、ああ、と頷く。
「まあ勉強よりかは遥かに得意だな」
「そうですよね」
身のこなしを見れば分かる。ネルソンは、レクトと同じ人種ではない。
「じゃあきっと、僕の気持ちは分からないです」
「んん?」
ネルソンは眉をひそめると、
「なんか難しそうだな」
と呟く。
それから、両手を振り上げて、
「いったん集合!」
と叫んだ。
「なんだよ、ネルソン」
「久しぶりにかくれんぼしようって言ったの、君じゃないか。自分が鬼になった途端、もう飽きたのかい」
そんなことを言いながら、ぞろぞろと三年生の男子が四人出てきた。
全員、レクトが話したことのない生徒だった。
「いや、一年のレクトが落ち込んでるからさ。話を聞いてやろうと思ってよ」
ネルソンの言葉に、三年生はみんなレクトの顔を見た。
レクトはうつむく。
「ケンカでもしたのかい」
そのうちの一人が、穏やかにレクトに尋ねた。
「一年生のこの時期って、まだケンカが絶えないよね」
「ああ、そうかもな」
ネルソンも頷く。
「さすが、レイドー」
レクトは力なく首を振る。
「そうじゃなくて」
「違うのか」
ネルソンは腕を組む。
「じゃあ、何だ」
「別に……」
三年生に話したところで、どうなるものでもない。
それでレクトの足が急に速くなったりはしないのだ。
レイドーと呼ばれた生徒はそんなレクトの様子を見ていたが、「なるほど」と一人頷いた。
「何がなるほどなんだよ」
ネルソンに尋ねられ、レイドーは微笑む。
「懐かしいね。僕らもそういえばこの時期にやったじゃないか」
「やったって、何を」
「ああ、そうか」
別の男子生徒が声を上げる。
「運動競技会か」
「おう」
ネルソンも手を叩いた。
「運動競技会。そうか、懐かしいな。一年のこの時期にやったっけ」
「そこで何か失敗したのかな」
レイドーが優しく言った。
「クラスみんなで最初にやる行事だから、失敗すると本当にがっくり来ちゃうんだよね」
「本番は、まだ先だけど」
レクトは小さな声で言った。
「練習で」
「そうか」
レイドーは頷く。
「競技は何に出るんだい」
「障害物競走と、コイン集め」
小さい声でそう答えると、レイドーはにっこり微笑んだ。
「それならよかった。レクトっていったかな? 君は運がいいよ」
「え?」
レクトが顔を上げると、レイドーはネルソンの肩を抱いた。
「ネルソンは、並み居る強豪を押しのけて、僕らの学年で障害物競走の一位を獲った男だからね」
「よせよ、レイドー」
ネルソンが照れたように身をよじる。
「それは、ネルソンが足が速いからでしょ」
レクトは口を尖らせて、また地面を見た。
自分の靴の爪先を見つめると、じわりと涙が滲んでくる。
「僕は、クラスで一番遅いんだ。役立たずなんだ」
「役立たずって、そんなお前」
ネルソンが困った声を出す。
「ネルソンは確かに、足が速いけど」
レイドーがあくまで穏やかに言った。
「ほかにもっと足の速い子はいたよね。たとえば、ウォリス、コルエン、フィッケ、ムルカ」
「ウォリスは障害物には出てねえ」
ネルソンはレイドーの言葉を訂正した後で、にやりと笑う。
「でも、それ以外のやつにはみんな勝った」
それから、ネルソンは腰をかがめてレクトと目線を合わせる。
「レクト、今年のチェックポイントはどこだ?」
「え?」
「チェックポイントだよ」
ネルソンは、からっとした明るい笑顔でもう一度言った。
「二か所あるだろ?」
「大きな石碑と、ボルーク卿」
「ボルーク卿は、俺らの時と一緒だな」
ネルソンは頷いて、レクトの肩を叩いた。
「仕方ねえ、可愛い後輩のためだ。教えてやるよ、レクト」
「教えてやるって、何を」
レクトは戸惑って、ネルソンを見た。
運動競技会はもうすぐだ。
今から一回や二回特訓したところで、いきなり足が速くなったりはしないだろう。
「勝ちたいんだろ?」
ネルソンは言った。
「どうせ、誰かにばかにされたんだろ? それが悔しくて、そんな顔してるんだろ? だったら、俺についてきな」
そう言ってネルソンが上体を起こす。他の三年生たちは顔を見合わせて笑っていた。
「今日はもうかくれんぼは終わりだね」
レイドーが言う。
「ネルソンがやる気になったから」
「おう。レクト、次の練習では、少なくともお前は絶対にビリにはならねえ」
そう言って、ネルソンはレクトにウインクしてみせた。
「保証するぜ」




