障害物競走
翌日の放課後、運動競技会の練習が行われた。
校庭に集まった一年一組の生徒を前に、ヴィルマリーが競技の説明をする。
「まずは障害物競走ですが、実際のところ、当日になってみるまでどんな障害が出てくるのかは分かりません。今日はコースの説明をしますので、出場する生徒でそこを走ってみることにしましょう」
ヴィルマリーの指示に従って、一年生たちはぞろぞろと移動する。
障害物競走のスタート地点とゴール地点は校庭に設置されているが、生徒が走るのは庭園の中だ。
校舎からしばらく走ったところにある目立つ大きな石碑の前と、植え込みの迷路の中央のボルーク卿の像の前がチェックポイントになっている。
その二か所を通過して、一番先に帰ってきた者が勝ちという単純なルールは、ラウディのように分かりやすく力を誇示したい生徒にはうってつけだった。
「結局のところ、どんな妨害を受けてもそれをはねのけて真っ先に帰ってくりゃいいってことだろ」
ラウディの雑なまとめ方に、ジルコが相槌を打つ。
「そうそう。面倒なルールは要らないんだよ。強いやつが勝つ」
「で、その強いやつってのは誰だ?」
「そりゃ、このクラスじゃラウディに決まってるだろ」
ジルコの見え透いたおべっかに、ラウディは得意そうに鼻を鳴らしてレオンに顔を向ける。
「レオンは逃げやがった。俺との勝負を避けたんだ、臆病者が」
「ちょっと、ラウディ」
ハイデが呆れ顔で口を挟む。
「このクラス全員、同じチームなんだからね。レオンは敵じゃないのよ」
「うるせえな。分かってるよ」
ラウディが肩をすくめる。
「他のクラスのやつになんか、どっちにしたって負けねえよ」
「それでは、出場する生徒はスタート地点に立って」
ヴィルマリーが低い声で言った。
「二か所のチェックポイントには、小石を置いておきました。それを持って、ゴール地点まで戻って来なさい」
「よし」
ライマーが張り切った声を上げる。
「負けねえぞ」
「ふん」
ラウディが袖を捲る。
「俺が一番だって言ってんだろ」
「女子だからって、甘く見ないで」
ハイデも言った。
「私が勝つわよ」
みんながそれぞれにやる気を見せる中で、レクトはどこかぼうっとした様子のウルリケに囁く。
「大丈夫かい、ウルリケ。今から走るんだってさ」
「ええ、私は大丈夫よ」
ウルリケは、ふわりとした笑顔でレクトに頷いてみせた。
「走ればいいんでしょ? レクトも頑張ってね。応援してるから」
「うん」
ウルリケの言葉に、レクトも俄然やる気を見せる。
「頑張るよ。ウルリケも、怪我しないで」
「ありがとう」
ウルリケが微笑む。花が咲いたようなその笑顔に、レクトはどきっとする。
昨日の夜から、なぜかウルリケの態度が急に柔らかくなっていて、その変化にレクトは戸惑っていた。
僕が勇気を出してウルリケの担当に立候補したから、ウルリケはそれに喜んで、優しくなったんだろうか。
そんなことも考えたが、そもそもレクトが彼女の担当になったなどという事情は、あの場にいなかったウルリケの知るところではないはずだ。
じゃあ、どうして。
レクトにはその答えは出せなかった。
「おら、お前らいちゃいちゃしてんじゃねえぞ」
ラウディが苛立ったように、怒鳴った。
「レクト。お前も遅いなりに食らいついてこいよ。俺が一位になったってお前が最下位だったら意味ねえんだからよ」
「う、うん」
確かにその通りだった。
点数は一位から順につけられていくので、クラスの合計点としては一人だけ突出して速い生徒がいるよりも全員がそれなりの順位でゴールした方が高くなる。
ラウディの言葉に、ジルコとエダーが顔を見合わせてにやにやと笑うが、それ以上は何も言ってこなかった。
昨日三年生にやられたことが効いているんだろうか、とレクトは思う。
だが、レクトから離れたところでジルコたちがラウディに何かを囁いているのを見て、少し不安な気持ちにもなる。
「おい、レクト」
ライマーが今にも走り出しそうな笑顔で近寄ってきた。その後ろには、あまり気乗りしない顔のモリスもいる。
「頑張ろうな」
「うん」
頑張る。そして、できればウルリケにかっこいいところを見せたい。
「あくまで練習ですからね。あまり無理しないように」
にこりともせずに、ヴィルマリーが言った。
「それでは、始め」
その声とともに、生徒たちはいっせいに走り出した。
校庭のゴール地点では、障害物競走に参加しない生徒たちが気楽な様子で待っていた。
寮で一緒に生活を始めてからもうしばらく経っているものの、まだお互いに見えていない部分も多い。
やはりこういう競技で誰が強いのかということにはみんな興味を引かれるようで、それぞれに順位を予想し合っていた。
「ねえ、レオン。一番は誰だと思う?」
ベルティーナが華やいだ声でレオンに尋ねた。
「やっぱり、ラウディなのかしら」
「さあ、どうかな」
レオンは思案顔で腕を組む。
「ラウディはもちろん運動は得意だろうけど、彼はどちらかといえば腕力の強いタイプだからな。長い距離を走るのは……」
「ライマーあたりが速いかもしれないわ」
ケリーが言った。
「小さいから、すばしっこそう」
「長い距離なら、意外とジルコとかエダーがいいかもね」
とデルマ。
「そうね、どれもありそう」
ベルティーナは頬に指を当てて、ルネに笑顔を向ける。
「ルネ、あなたはどう思う?」
「ハイデって、ああ見えてかなり負けず嫌いなのよ」
ルネは答えた。
「男子をみんな抜かして帰ってくるかもしれないわ」
「ハイデね。本当にそうなったら面白いわね」
ベルティーナが微笑む。ケリーも笑顔で頷いた。
「そうしたら、負けたラウディがなんて言い訳するかしら」
「む、来たぞ」
レオンが声を上げた。
だが、庭園の植え込みの陰から真っ先に飛び出してきた生徒を見て、ケリーやデルマは顔をこわばらせた。
「えっ」
「うそでしょ」
走って来るのが、ウルリケだったからだ。
息を切らしながら、それでもしっかりとした足取りで、ウルリケは走ってきた。
速い。
クラスの輪に入らない貴族のお嬢様が聡明であることは誰もが内心で認めていたが、運動までこんなにできるとは。
ケリーはちらりとベルティーナの顔を伺う。
ベルティーナは笑顔のまま、走って来るウルリケを見ていたが、その目が笑っていないことにケリーは気付く。
「どこかでコースを間違えたんじゃないかしら」
とっさにケリーは言った。
「あの子があんなに速いわけない」
「そうね。よく説明を聞かない子だから」
ベルティーナは平板な声でそう答えた。
「チェックポイントの石を持っているかどうかよね」
ウルリケの後ろから、ようやくラウディとライマーが姿を見せた。
「ラウディ、だらしないぞ」
口に両手を当ててレオンが叫ぶ。
「一番になるんじゃなかったのか」
「うるせえ」
ライバルに叫び返したラウディが、必死の形相でウルリケの背中に追いすがる。
だが、ウルリケのペースは落ちなかった。
そのまま距離を詰めさせずに、ゴール地点に辿り着く。
「ああ、こんなに走ったのは久しぶりだわ」
ゴールと同時に倒れ込んではあはあと喘いでいるラウディやライマーを尻目に、ウルリケは腰に手を当てて笑顔を見せた。
「たまには身体を動かすのも、悪くないわね」
「すごいな」とレオンが感心したように漏らしたが、それ以外に誰もウルリケに声を掛ける生徒はいなかった。
「石を確認します」
ヴィルマリーが言った。
「ウルリケ、手を開いて」
「はい」
ウルリケの手に握られていた、それぞれが赤と青に塗られた二個の石を見て、ヴィルマリーは頷く。
「合格よ」
「はい」
ウルリケは当然の顔で答える。
ヴィルマリーがラウディたちの石を確認しているうちに、続々とほかの生徒が帰ってきた。
ハイデ、ジルコ、エダー、モリス。
そして一番最後に帰ってきたのがレクトだった。
彼の前にゴールしたモリスからもずいぶん引き離されていた。
「おせえぞ、レクト!」
負けた腹いせに八つ当たりするように、ラウディが叫ぶ。
「本当に、何もできねえ奴だな」
レクトは足をふらつかせながらも、なんとかゴールにたどり着いた。
「お疲れ様」
ウルリケが優しく声を掛けてくれたが、レクトは「うん」と返すのが精一杯だった。




