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時刻探偵事務所へようこそ!  作者: 椎名
神のいない山
20/46

◆依頼


 海が見える。四角に切り取られた海が、空が、青が、フィルムを回すように流れていく。それ等の全てを僕の妄想でも映像でもないと断じられるのは、ひとえに匂いがあるからだ。潮の匂いだ。音があるからだ。走行音だ。あなたが前に座っているからだ──時政さん。

 ゴトンゴトンと長閑に走る路面電車の中、僕と時政さんは向かい合わせに穏やかな時を過ごす。ある旅館を目指して。すべては──────『仕事』の為に。


 あーあ、これが旅行ならどれほど心躍ったことか。思いきって駅弁でも奮発して、それはもうはしゃぎにはしゃぎ回ったというのに。所詮は探偵様とその助手──正確には助手見習いというか臨時助手というか──だ。なんて浪漫がないんだ。

 すっかり寝入ってしまった薄情な同行人を恨めしげに見る。ふわふわと風に髪が靡いて、彼の開かない目を時折露にするのにドキリとする。睫毛、長いな。……どうせワカメみたいな髪なんだ。潮風でいっそう膨張してしまえばいいのだ。そうすれば、見えないのに。



「時政さんの……ばーか」



 彼へと伸ばしかけた指で窓枠を叩く。どうせ、届きやしないのだから。

 僕の心とは裏腹に爽やかな青は、僕等の旅路を祝福するかのようだった。




 ◆◆◆




 事は今朝の出勤から始まった。建前上、時政さんの自宅は事務所の一つ上の階になるらしいのだが、事務所内には台所から風呂からトイレから人が生活するに当たって必要な設備がフルで完備されている為に、時政さんはすっかり事務所暮らししていた。本来の自宅である二階はもっぱら倉庫扱いだ。資料は勿論、時政さんの衣服なんかもここだ。

 今日も、従業員用の裏口から大きな声で挨拶しつつ顔を覗かせれば、果たして時政さんはソファの背を倒してベッドにした状態(所謂ソファーベッドというやつだ)で寝そべっている────ことはなく、なんと珍しいことにしっかりバッチリ起きていた。その上、ジャージじゃなかった。シャツにベストだ。青天の霹靂だ。いつもならば「裏口とはいえ鍵が開いてる状態で不用心に寝ないでくださいよ!」という僕の小言から業務は始まるというのに、小言の過程がすっ飛んでしまった。



「おは──よう、ございます……?」



 今から何処かに行かれるんですか? 僕、留守番してましょうか? そう続ける予定だった声はやけに明るい時政さんの笑顔にスンッ……と萎んでいく。──嫌な予感がする。



「おう、おはよう。出勤ご苦労さん。そして今から帰って荷物をまとめるように。とりあえずは二日分」


「────はい?」



 案の定だった。出会い頭にこれである。

 時刻探偵事務所に勤めて一ヶ月、否応なしに時政さんの横暴には慣れたものだけど、流石にこれは──



「昨日、メールで依頼が入ってな。正式受理はまだだが、ともかく事情を聞くのにここから東にある美岬館って宿に泊まる事になったから。一泊二日、出張だ。──今、すぐ」


「…………」



 取っ手を握ったままの状態から、手放して。モナリザだか菩薩だかのアルカイックスマイルを貼り付けたまま、一歩すらも立ち入ることのなかった職場にくるりと背を向ける。

 思う。────もしや僕の職場って、俗に言うブラックってやつなんじゃないだろうか。……精神衛生の為、真相は敢えて究明しないことにした。




 さて、時を早送りして電車の中だ。急遽、翌日分の着替えを詰め込んだ青色のリュックを抱えて嘆息する。

 青い空に青い海、電車での遠出に泊まりがけの旅館──シチュエーションだけならば最高の旅行日和なのに。



「それで、どんな依頼なんですか?」



 現実は男二人の色気のない出張捜査である。



「依頼人は美岬館の責任者──女将だ。近頃、真夜中に館内で不審な人影を見ると客から苦情が相次いだそうでな。幽霊みたいで気味が悪い──だとか」


「で、調べろと」


「できれば捕まえろとも」



 ふぅん、と窓枠に肘を置いてほんの少しの拗ねていますアピールをしてみる。

 ──また、不審者案件か。それも、今回は客が客を目撃したなんて安直な展開ではなさそうだ。だって、夜中に人がいても何らおかしくない宿泊施設での苦情なのだ。相当、ソレは不審なのだろう。



「捕まえろって、調べもの専門の探偵に中々の無茶を言いますね。それこそさっさと警察に任せちゃったほうが早いんじゃ?」


「不祥事になりかねない懸念要素を公にはしたくないんだろ。やっと活気付いてきたところらしいから」



 つまりは、店の評判という名の大人の事情が絡むわけだ。営業とはシビアなものである。



「──ま、お前の言う通り犯人の確保はあくまでも警察の仕事であって、俺達がまず第一にすべきは、犯人は〝いる〟という証拠探し──事実を確定させ明るみにすることだ。そうして漸く実働部隊の警察にバトンタッチ、だ」



 よく解ってんじゃねぇか、と時政さんが機嫌良く褒めてくれるので、僕の機嫌も連動して上昇する。我ながらちょろいと思う。単純で子供の僕は簡単に時政さんの掌の上で転がされてしまう。

 事前の情報共有が終われば、会話はなくなる。各自、個人的な暇潰し作業へと入る。時政さんはパラパラと美岬館の紹介が載っているらしいガイドブックを興味無さげに捲っているし、僕はとりあえず座席の窓を開けることにした。だって、今日はびっくりする程の快晴なのだから。つい先日、お天気アナウンサーのお姉さんが梅雨入り宣言をしたことなど嘘のようだ。


 ──あ。

 ハラリと。時政さんの指がページを捲るのと同時に、風が時政さんのカーテンめいた髪をほんの少し捲り上げた。

 ──大きな意図はなかった。

 ただ、ほんとうに──反射的につられただけだ。揺れるものが気になってしまう猫のように────ふと、時政さんの目が見えた気がして、その目が不思議な色をしていたように思えて──無意識に腕を伸ばした。



 ────パンッ!!



「触るなッ──!」


「────」



 拒絶だった。明確な、拒絶。これまで一度も向けられたことのない時政さんの敵意を、初めて、向かい合う形で知った。これは────痛い。



「……悪い」


「い、いえ、こちらこそ、すみませんでした……」



 気まずい空気が流れる。時政さんもまた、反射だったのだろう。彼の払い手は僕の手にピリピリとした微かな痛みを残した。


 ──馬鹿だ、僕は。


 思い上がって、付け上がって──調子に乗って。受け入れられているのだと勘違いする。時政さんは僕の友達でも、況してや兄でも親でもないのに。

 彼にとって僕はただの部下で──他人だ。踏み入る境界線を誤ってはならないのだ。


 当て付けになってしまわないよう、さりげなく手を隠す。ただただ、僕は僕の傲慢が恥ずかしかった。



「──あまり、好きじゃないんだ」


「え?」



 恥じ入る気持ちのまま沈黙していると、時政さんが呟いた。彼は微かに俯いていて、自分の失態を誤魔化そうとしているみたいだった。



「名字と一緒で、目も──好きじゃない」



 目──? 長い前髪に隠されてきた瞳には、やはり意図的なものがあったらしい。つまりは──時政さんが触れられたくないものに、僕は土足で触れようとしたのか。それは──駄目だ。



「あまり良い思い出がなくてな。だから──お前の手が、嫌だったわけじゃない。……悪かった。叩いたりして」



 実にバツの悪そうな時政さんに慌てて首を振る。無神経だったのは僕のほうで──だから、卑屈になっちゃ駄目だ。

 心ばかり明るく「大丈夫ですよ」と返して、再び沈黙を迎える。時政さんが手を伸ばす。向かうところは僕の頭だ。わかってる。だから、僕も誤魔化されてやるのだ。



「言い訳だが、寝不足でもあるんだ。というわけで俺は寝る」


「いつも仕事ほったらかしで寝てばかりいるのに? ──ぅあわ、いひゃい、いひゃいでひゅ、生意気でひたすみまひぇん!」



 頭にあった手は頬へ。仕置きとばかりに大きな指につねられそのまま弄ばれる。事実、この一ヶ月のあいだ時政さんの選り好みにより探偵らしい探偵の仕事はなかったのだから、文句の一つだって言いたくなる僕の気持ちも汲んでほしいものだ。

 だけども、思いのほか時政さんが楽しそうにするものだから、結局、贖罪も込めて不満の全てを呑み込んで僕の頬は餅役に甘んじるしかないのであった。



「──ん、よし。満足した。それじゃあ寝る」


「それはようございました……」


「目覚まし、よろしくな。バイト君」


「つまり僕は寝ちゃダメ、てことですね。ちなみに時政さん、パワハラって言葉、知ってます?」


「もう寝たので聞こえません」


「せめて寝たフリくらいはしろよ」



 トレードマークの一つの眼鏡も外してしまって、本格的に寝る体勢に入り始めた時政さんに、時政さんの膝から雑誌を受け取りながら嘆息する。時間がゆるりと流れを変える。途端に体感時間が二倍にも三倍にもなる。


 これが──旅行だったらいいのに。だって、それなら。僕はただの倉橋忠行で、時政さんは探偵でもなんでもない時政さんだ。

 そうなったら──上司と部下でない僕達の関係には、どんな名前がつくのだろう。

 ────まだ子供の僕には、その名前はわかりそうにない。




 ◆◆◆




 目的の駅名を告げて電車が停車する。時刻は午後を少し回ったくらい。しまったと大慌てで向かいの男を揺する。僕もつられてうとうとしていた為に、事前に時政さんを起こしそびれてしまった。



「時政さん──時政さん! 起きてください、着きましたよ!」


「チッ……うっせぇな、かがり……もう少し寝かせろ……」


「誰ですかそれは! いいから起きてくださいっ。ほら、眼鏡かけて。電車出ちゃいますよ!」


「んー……」


「僕はあなたの臨時助手であって介護人ではないんですからね!」



 どうにか、自分より頭一つは大きい男を引きずって歩く。触れてみると明白だが、やっぱり時政さんって細身に見えてかなり筋肉がある。腕とか、うわあ、なんだこれ──固! さすが、ジャージを普段から愛用するのは(咄嗟の)運動の為だと言い張るだけはある。(なお僕は、絶対に、ただ単純に楽なだけだからだと睨んでいる)


 寝起きの人型ワカメを連れて駅から数分歩いた先に、果たして件の『美岬館』は在った。海沿いに建てられた比較的新しいそこは、旅館というよりホテルに近かった。たかだか高校生の僕が利用するには──場違いだ。



「ここ、ですよね」


「ああ。なに突っ立ってる。さっさとエントランスに行くぞ」


「あっ、はい」



 平凡な学生の僕とは違い、そしてもしかすると僕よりも遥かに場違いな格好であるのに、時政さんは気後れ一つせず館内へと入っていく。


 ──うわあ。やっぱり場違いだ。

 広い内装や大きな窓から見える景色に改めて思う。天井には三つのシャンデリアが輝いて、床はピカピカに磨き上げられている為にまるで乳白色の鏡のようで、従業員の誰も彼もが服装から笑顔から完璧だ。そうだ、接客って本来はああでなくてはいけない。初回の時政さんの不審者丸出しムーヴなどどうあっても論外なのだ。

 なお、その時政さんは高級感溢れる場には不似合いな風貌だというのに、他の宿泊客がぎょっと振り返り不躾な視線を送る中、どっしりと構えていた。度胸があるのか、それとも単に鈍いのか──とにかく僕には真似できない芸当だ。

 時政さんと共に心持ち縮こまりながら受付へと向かう。何度か約束の確認らしき作業をくり返してフロントスタッフが内線を繋ぐ。奥から、落ち着いた上品な着物姿の女性がしゃなりと歩み寄ってくる。



「美岬館へようこそ、時刻探偵事務所の皆々様。わたくしが、当館統括責任者の御崎です」



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