連鎖6
芽衣が伸也の言った言葉の意味を理解するのには数分かかった。
───踊らされていたのは芽衣の方?
ボーッとしていて働かない頭を重く感じながらも芽衣は伸也の顔を覗き見るが、そこにいつもの優しい笑みは無く、芽衣を嘲るようなふざけた笑みを浮かべていた。
「……っ、ろーいう、ことよっ! 芽衣が、逆に踊らされてらって…………あ、みゃさか…………」
あまりにも異常な己の状態に、1つの考えが浮かんだ。
「芽衣、に……あの薬……みゃぜたの!?」
「ハハハッ!! そうだよ、やっと気づいた!? 缶ビールを渡した時、既に飲み口が開いてただろ? 君がよそ見をしてる間に山根に使って余った薬を入れておいたんだ!」
そう言われて芽衣の脳裏に、先程までのやり取りが再生される。
“開けておいたから”
───あの時か。
───あの缶ビールには、既に麻薬が混入されていたのか。
───そして――
伸也が早々のセックスを断ったのも、話している間も腕時計を見て時間を気にしていたのも――麻薬の効果が発症するのを待っていたからか。
「にゃ、んで!? しんしゃんは、芽衣のこと、しゅきなんちゃなかったにょ!?」
床を這って伸也の足にすがる。
だが、伸也は腰を屈めて、芽衣の柔らかい髪を乱暴に鷲掴みにした。
「僕が君のことを好きだって? ただ遊んでやってただけなのに、思い上がってんじゃねえよ! バーカッ!」
聞き覚えのある罵倒の仕方に、芽衣は思い当たるふしがあった。
“芽衣がアンタのこと好きだって!? ただ遊んでやってただけなのに、思い上がってんじゃないわよ! バーカッ!”
呆然とする芽衣を見て、伸也は心底愉快そうに笑った。
「覚えてる? 7年前……君が将来を潰した“竹長 伸也”に言い放った言葉だよ……ククッ」
「ろうちて、アンダがじっでるのっ!?」
「まだ気づかないの? 僕の名前は“伸”……ただ伸也から1文字取っただけの源氏名なのにさ」
「あっ……!」
ただでさえ青かった芽衣の顔色が、さらに蒼白になる。
「あの時は屈辱だったよ……全て……そう、全てが上手くいく所だったのに……君という悪魔が僕の全てを終わらせた……!」
忌々(いまいま)しそうに芽衣を見下ろす伸也は、忘れたくとも忘れられない過去を思い返した。
******
7年前――
まだ竹長 伸也が18歳で高校生だった時のこと。
伸也は心優しい性格ではあるものの、かなりの人見知りだった。
そのうえ肥満体で、いかにも地味そうな風貌だったことも手伝って、一言二言会話を交わしても、特に親しい友人も居なかった。
当然、異性との交際経験も皆無である。
だが伸也は非常に成績が優秀な生徒であり、教師達から注目されていた。
そして高校3年生となった伸也に転機が訪れる。
「君のような優秀な生徒は、もっと上のレベルを目指してみないかい?」
担任を始めとする多くの教師達からは、名門大学への推薦入学を薦められたのだ。
将来は医学者になりたいと考えていた伸也は、願ってもない申し出に二つ返事で了承した。
伸也の推薦入学の噂はたちまち学校中に広まり、今まで見向きもされなかった彼は一躍注目を集めた。
それでも伸也はおごり高ぶることもなく、必死に勉学に勤しんだ。
しかし――注目を集めてしまったことによって、ある悪女の目にも止まってしまう。
悪女――榊原 芽衣の目に。
退屈な日々を送り、刺激を求めていた彼女は伸也を使った、ある“遊び”を思いついた。
「竹長 伸也って奴、キモオタのくせに名門大学に推薦入学だってさ。ふざけた話だと思わな~い?」
友人の1人、光と遊んでいる時、芽衣が不意にこんなことを言った。
「まあ見た目は醜いですが、彼は1度も問題を起こしたことはありませんし成績も優秀。妥当なのではないでしょうか?」
「そう……“1度”も問題を起こしたことが無いのよねえ……もし、この大事な時期に問題でも起こしたらどーなるかなっ?」
醜悪な笑みを浮かべる芽衣を見て、光が怪訝な顔をする。
「芽衣ちゃん……何をするつもりかは知りませんけど、およしになられた方が良いのでは?」
「ハア? ピカリンの分際で芽衣に口答えすんの? さては、あーいうキモオタが好みなのね」
「冗談はやめてください。あのような肥満体、願い下げですわ。……ハア……まあ、ヘマをなさらないよう頑張って下さい」
止めても無駄だと悟った光は、それ以上何も言わなかった。
さっそく芽衣は“遊び”を実行する。
「頑張ってる竹長くんのこと、ずっと良いなあって憧れてたの……付き合ってもらえませんか?」
まず、芽衣は伸也を校舎裏に呼び出し、王道的なセリフで告白した。
「ぼ、僕なんかで良かったら! こちらこそ、宜しくお願い致します!」
今まで告白された経験もなく、そのうえ相手は美少女の芽衣。
すっかり舞い上がった伸也は、芽衣からの告白を受けた。
(騙されちゃってバカみたい! アンタみたいなキモオタ、誰も好きになる訳ないのに!)
心中で嘲られていることも知らずに、伸也は芽衣との交際を始めた。
2人は初々しく健全な交際をしていた。
伸也自身が女慣れしていないこともあり、身体の関係どころか手だって繋ぐのに1週間はかかった。
そして伸也は彼女である芽衣のことを心から愛し、大切にしていた。
芽衣の言うことは何でも聞き、彼女を不快にさせないよう言葉には常に気を遣い、芽衣がナンパ男などに絡まれた時は身体を張って守った。
しかし、そんな伸也の献身も、芽衣の心には届かなかった。
そして運命の日は訪れる。
「ほら、ここだよ伸也さん!」
芽衣が伸也を引っ張り連れてきたのは、ナイトクラブ。
本来、未成年者の入場は禁じられているが、芽衣の父親の息がかかっており、芽衣は度々このクラブを訪れている。
「ここって……クラブじゃないか! だめだよ、こんな所に入ったのがバレたら退学になってしまう!」
芽衣からは「楽しい所」としか知らされずに連れてこられた伸也は、クラブへの入場に拒絶を示す。
だが芽衣は悲しげな表情を作り、伸也に迫った。
「……入ってくれないの? 芽衣は……伸也さんと一緒に楽しいことをしたかったのに…………ヒック……うぅ……」
あからさまな涙だったが、純粋すぎる伸也は簡単に騙されてしまう。
「ああ、芽衣ちゃん泣かないで! 分かったよ、入ろう。ただし、今日だけだからね? いいね?」
「うん!」
伸也の人の良さにつけこんで、芽衣はまんまと伸也をクラブに連れ込むことに成功した。
ナイトクラブ内――
初めてナイトクラブに入った伸也は、店内の騒々しさと派手な点滅に言葉を失う。
しかし、ドラマやマンガで見るものとはまるで違う、現実でしか味わえない独特の雰囲気に、入る前は渋っていた伸也の気分がどんどん高揚していき、流れる音楽に合わせて足踏みを始めた。
「お待たせえっ! 飲み物持ってきたよ~!」
そう言ってやって来た芽衣の両手に握られているのはカクテルが入ったグラス。
これにはテンションが高くなっていた伸也もギョッとする。
「これ、お酒じゃないか! マズイよ芽衣ちゃん!」
「芽衣はいつも飲んでるしい、他に誰も見てないじゃん。ここまで来て飲まないとかありえないからっ!」
有無を言わせない口振りで、芽衣は強引に伸也へグラスを手渡した。
「伸也さんはいつも勉強頑張ってるんだし、たまには羽目を外してもいーんじゃない?」
ニッコリと可愛らしく笑う芽衣。
「……分かったよ。それじゃあ……頂きます!」
そんな芽衣に折れた伸也は、一気にカクテルを飲み干した。
「……プハア!」
「わー、豪快な飲み方! どーだった?」
「…………気持ち良い…………」
生まれて初めての味、そして口にするのが難しい快感を感じる伸也。
更なる快感を得たくて、伸也は空っぽになったグラスを芽衣に突き出した。
「芽衣ちゃん、おかわり」
「は~い!」
パシられる芽衣だったが、彼女は嫌な顔1つもせずにカクテルを注ぎに行った。
「はい、伸也さん。ボトルごと持ってきちゃった」
芽衣はテーブルにカクテルボトルを置き、伸也と共に席へ着いた。
「ありがとう芽衣ちゃん。……ングッング」
またもや一気にカクテルを飲み干す伸也。
グラスが空になる度に、気前よく注ぐ芽衣。
そんな事を繰り返している間に、伸也はぐでんぐでんに酔っ払い、やがて意識を手放した――
******
翌日の朝――
(……うぅ~、頭が痛いよう……)
二日酔いで痛む頭を押さえる伸也。
朝、起きた時は自分の部屋のベッドに居た。
昨日の記憶がカクテルを飲んだ所までしかない伸也は、母親にどうやって帰って来たのかと尋ねたら芽衣が送ってくれたことを聞かされた。
(悪いことしちゃったなあ……学校で会ったら謝らないと)
芽衣に迷惑をかけてしまったことに落ち込む伸也。
とにかく謝らなければ、と学校へ急いだ。
学校へ辿り着いた伸也は、昇降口に人だかりが出来ているのを見かけた。
「……?」
不思議に思いつつも中に入り、自身の下駄箱へ向かおうと人波を押し退けて前に出る。
すると、彼の目に信じられない物が映った。
「……え?」
床、天井、窓、下駄箱。
ありとあらゆる場所に、大量の写真が貼りつけてある。
そして、その写真に写っているのはカクテルを飲酒する伸也の姿。
「…………あの竹長が飲酒とは、なあ」
1人の男子生徒の呟きで、茫然自失だった伸也が我にかえった。
「ウワアアアアアアアアッ!!」
突如叫びだし、伸也はあちこちに貼られた写真を引き剥がしていく。
「違う違う違う違う違う!! これは僕じゃなあいっ!!」
涙と汗でグチャグチャに汚れた顔で絶叫する伸也。
しかし、生徒達は彼を白い目で見つめる。
「受験のストレスかねえ、やっちまったなあ」
「これは言い逃れ出来ないわね」
「キモいのは顔だけじゃなかったか」
ヒソヒソと話された言葉だったが、伸也の耳にはハッキリと聴こえていた。
「違うよ、これは何かの間違いだっ!! 誰かの陰謀だっ!!」
必死に弁解するが、誰1人として伸也の言葉を信じる者は居ない。
「違う、違う……僕じゃないよ…………」
まるで死を宣告されたような絶望感を漂わせる伸也。
「……クスクス」
不意に耳に届いた聞き覚えのある笑い声。
バッ、と勢いよく首を動かしそちらを見ると、芽衣が笑っていた。
───まさか、君が?
芽衣に嵌められたことを確信する伸也。
「お前、だなっ!! お前の仕業だなあっ!!」
「おい竹長! 今すぐ生徒指導室に来るんだ!」
芽衣へ飛びかかろうとした伸也だったが、担任教師に腕を掴まれ阻止される。
「は、離せっ! アイツだ、あの女が僕を嵌めたんだああああ!!」
教師に引き摺られながらも尚、伸也は叫び続けた。
だが、その叫びは誰の心に届くこともなく、ただ虚しく響き渡るだけだった。
******
生徒指導室を出た伸也は、真っ白な頭のままフラフラと歩いた。
伸也に下された処罰は“退学”。
当然、推薦入学の話も無かったこととなった。
───どうして、こんなことに。
伸也の頭の中では、その言葉だけがグルグルと回っていた。
「あらあら、伸也さん可愛そう」
昨日までは癒される声だったのに、今となっては吐き気を催す程の嫌悪感たっぷりの声が聞こえて振り返る。
「ごめんねっ。最近あんまりにも退屈だったから、刺激とか面白い光景とか見たかったのお。もしかして伸也さん、怒ってる? 怒ってないよね、伸也さんは芽衣のこと愛してる訳だしっ!」
キャハッ、と笑う芽衣を、伸也は黙って見つめている。
「…………芽衣ちゃん」
不意に伸也の口が開かれ、地の底から沸き上がってくるような低い声で喋り出した。
「芽衣ちゃんは、どうして、こんなことしたの? 僕のこと、愛してたんじゃ、好きなんじゃなかったの?」
虚ろな瞳をしながら紡がれた伸也の言葉を、芽衣は鼻で笑い飛ばした。
「芽衣がアンタのこと好きだって!? ただ遊んでやってただけなのに、思い上がってんじゃないわよ! バーカッ!」
「……あっ」
目を見開き固まる伸也。
一方、芽衣は言いたいことを言ってスッキリしたのか、スキップをしながら去っていった。
「……………………」
1人佇む伸也。
「ククッ……」
笑い声と共に口角が吊り上がる。
「ハハッ……アッハハハ……」
虚ろな瞳をしたまま伸也は笑い出した。
乾いた笑い声を発しながら、濁りきった目から一筋の涙が零れ落ちる。
「…………絶対に、許さない」
ポツリと呟かれた言葉は、虚空に消え入った。




