霜月家
辞書を片手に、華は悪戦苦闘していた。
「しもつきの……なに?えいが?将軍の右腕……って何だろう」
先日シルヴィアにもらった一冊の本。軽く内容を確認してみたところ、どうやら霜月家で起きたとある事件について記されているようだった。
さっそくステラ辞書を借りて、自室で内容を読み解いていくも、花霞ならではの文字や言い回しに苦戦し、まだ最初の数ページしか読めていない。しかし、これはほかでもないシルヴィアが自分に託した本だ。きっと大事なことが書かれているに違いない。
顔をあげ、大きく伸びをする。体の節々がぽきぽきと音を立てる。机の向こう側にある窓からは、お月様が顔を出している。
「あっ、夕飯食べそびれちゃった」
ぽつりと独り言がこぼれる。それと同時に、部屋の扉が軽くノックされた。
「む。来客かの」
こんな時間にどうしたのだろうと首をかしげつつ、扉を開ける。
「こんな時間に、我に何用であるか」
不躾に尋ねると、如何にも不機嫌そうな声が降ってきた。
「ご飯持って来てあ・げ・た・の」
「むむっ」
視線をあげると、不満を顔に貼り付けたセレフィーナがいた。寝る前だったのか長い黒髪はおろしてあり、寝巻のワンピースを着ていた。
両手には木製のお盆をもっており、その上には紅茶と軽食が乗せられていた。わざわざ華の部屋まで夜食を届けにきてくれたらしい。
「これはすまぬ」
華が盆を受け取ると、セレフィーナは腕を組んでやれやれとため息をつく。
「こんな遅くまでどうしたの?ステラ様が心配なさってたわよ」
実は……と切り出そうとして、あわてて口を噤んだ。あの本のことは、シルヴィアに言うなと言われていたのだ。
「お主には、関係ない」
そう言い放ち、セレフィーナの体を押して、扉に手をかける。夜食を持ってきてくれた手前申し訳ないが、シルヴィアとの約束なので仕方がないのだ。
一抹の罪悪感を飲み込んで、華が扉を閉めようとした。刹那、セレフィーナの足が隙間に挟み込まれ、木製の扉が軋んだ音を立てる。
「な、何をする!」
「隠し事してますって、顔に出てるわよ」
華が硬直した一瞬の隙に、セレフィーナは部屋の中へするりと入り込んだ。僅かな部屋を見回すと、すぐに机の上の本に目をつけ、迷いのない動きでそれを手に取る。
「勝手に人のものに触るな!」
取り返そうとするも、セレフィーナは身軽に華の攻撃を躱した。身長差がある分、ただで取り返すのは困難。
いっその事術式でも使うか。物騒な考えが脳裏を過ぎるも、騒ぎを起こせば皇族全員に話が広がることになる。華では全てを隠し切ることは不可能だ。
「霜月家、ね。おぞましい名前が出てきたものですわ」
華の全身に電流が走る。
「雪絵のこと知ってるの!?」
驚きのあまり詰め寄れば、セレフィーナはなんでもないことのようにさらりと言ってのけた。
「ローゼンベルク家の人間たるもの、敵国の情報を知らなくてどうしますの?」
細い指先がページをめくり、赤い瞳が文字をなぞる。華は止めることもできずに、その様子をただただ見ていた。
「とは言っても、わたくしも長いこと知らなかったわ。初めて聞いたのは、我が家が襲われた時。……雪絵と知り合い、大黒という男が言っていたの。霜月の人間が来てるってね」
ローゼンベルク家での一件に、華は同行していない。襲撃を受けたことは聞いていたが、雪絵の知り合いが来ていたのは初耳だった。
「大体の流れは分かってるわ。どうせシルヴィア様あたりが情報を掴んで、あなたに流したんでしょう?」
「……」
鋭い視線を向けられ、華は言い返すこともできず黙りこんだ。大貴族のご令嬢というだけあって、洞察力は並のそれではない。
「……その通り。でも、これ以上は関わらないで」
「どうして?」
華の脳裏に、真剣な目で自分を見つめるシルヴィアの表情がよぎった。
「シルに、言われたから。本のことは、他の人には言っちゃダメって」
俯いた華を、セレフィーナは黙って見ていた。
あそこまで真剣な顔をした義兄の顔を、華は初めて見た。それだけシルヴィアにとって、雪絵は大切な存在なのだろう。
大切な人が大切にしている人。華だって、雪絵を守りたい気持ちは一緒だ。
「なら心配はいりませんわ。わたくし、他人の過去をとやかく言いふらすほど、落ちぶれてませんもの」
そう言ったセレフィーナは、いつもと変わらず澄ました顔をしていた。
「信じられる根拠は?」
「ないわね」
迷いのない答えに、華は唇を噛んだ。
正直なところ、セレフィーナが味方になってくれるならかなり心強い。嫌味ったらしい部分はあるが、それ以上に彼女の持つ知識や権限には大いに利用価値がある。
だが情報を共有すれば、漏出のリスクも抱えることになる。雪絵に敵対的な人間に知られることになれば、雪絵の立場が危うくなるかもしれない。
長い葛藤の末、華は決断する。
「……分かった。あなたを信じる」
華は苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。セレフィーナは「へぇ」と意外そうに目を見張った。
「あなた、わたくしのこと嫌いなんじゃないの?」
自分で協力を申し出ておいて今更言うのか、という喉元までせり上ってきた。しかしすぐに大きく息を吐き、華は平常心を取り戻す。
「好きか嫌いかはこの際関係ない。役に立つものは利用するだけ」
ふふっ、と笑みを零すセレフィーナ。
「ふーん。あなた、そういう所はシルヴィア様にそっくりね」
「……」
嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちを内側に押し込んだ。シルヴィアの打算的な部分は、知略に長けているといえば聞こえはいい。が、姑息な部分もあるので、認めるのは少し癪でもある。
華は余計な思考を咳払いで押し出し、口を開いた。
「それで?お主はその……霜月家とやらについて、どこまで知っているのだ?」
やや強引に本題に入ると、セレフィーナは何やら楽しげに笑っていた。
すぐに表情を改め、華が座っていた椅子にゆっくり腰かける。本のページを捲り、静かに口を開いた。
「期待させておいて申し訳ないけど、わたくしが知ってる情報は多くありませんわ」
指先がさらにページを捲る。静寂がより際立ち、それが華の胸を異様に波立たせる。
「花霞の前政権を担っていた将軍家。その後ろ盾となっていたのが、霜月家という一門よ」
「なぬっ!雪絵、名家の出だったのか!?」
華は素直に驚愕した。てっきり雪絵は、その実力を買われて鬼狩りを務めていたと思っていたのだ。
「名家って言うより、代々強力な術者を輩出する家系ね。霜月家が人材を提供する代わりに、相応の権力を与える。簡単に言えばウィン・ウィンの関係ってこと」
「ふむ。貴族に近しいものか?」
「その理解で問題ないわ」
どこの国にも力を持つ家柄というのはあるものだ。まさか雪絵がそうだとは思わなかったが、だとすれば真っ先に疑問に浮かぶものがある。
「……そんないい所の出なのに、なぜ雪絵を処刑しようとしたのだ?」
当然の問いに、セレフィーナは淡々と答えてくれた。
「雪絵が前政権派の人間だってことに変わりはないわ。放っておけば、いつ反旗を翻されるかわかったもんじゃないでしょう。今の皇王からすれば、十分邪魔な存在よ」
「確かに」
長い歴史の中で見れば、幾度となく繰り返された諸行だった。権力者というのは手に入れた力を維持するために躍起になるものだ。
「この記録によると、霜月家は……5年前に一家もろとも焼き討ちにされたそうね。ちょうど政権交代と同じ時期だから、やったのは今の皇王かしら」
「なんと惨い」
「これもよくある話よ。そういうものだと割り切りなさい」
さも当たり前のように人の生き死にが語られるのは、あまり気分のいいものではない。華の表情から心情を察したらしいセレフィーナは、ため息の後に続きを語った。
「雪絵さん、現政権下では結構危うい立場だったようね。強すぎるから処分できなかった、あるいはその力を利用しようとして諦めたのか……。彼女もなかなか難儀なものだわ」
「雪絵は何も悪くない。利用しようとする政府が悪いんだろう」
華がふくれっ面でそう言うと、セレフィーナは少しだけ憐れむように微笑んだ。
「まぁね。でも国政が絡むとなればそうもいかないわ。どの国も、自分を大きく見せるために必死なの。もちろんアルカイダも同じよ」
どの国も同じ。そう考えると、胸の奥にやるせない感情が浮かんでくる。
力を誇示することなんてやめて、仲良く手を取ればいいのに、と思わないでもない。だがそんな簡単にいくなら、国というシステムすらいらないのかもしれない。
華は歳の割に成熟していると見られることが多いが、中身はまだまだ子供だと自覚している。こういう子供じみた甘い考えは、セレフィーナからしたら滑稽なものなのだろうか。
そう思ってセレフィーナを伺い見る。視線がとある一行をなぞった瞬間、赤い瞳が大きく見開かれ、時が止まったように呆然と口を開けていた。
「どうかしたのか?」
華が声をかけると、セレフィーナは一度静かに目を閉じ、重苦しい声色で言った。
「……それに、雪絵さんに非がないって訳でもないみたい」
華が聞き返す間もなく、セレフィーナは手元の本を乱雑に投げ、天を仰ぎ見た。瞬きを繰り返し、深呼吸を繰り返す。
「ちょっと、セレフィーナ?」
「それは俺から話すよ」
心臓が飛び跳ねる心地がした。
急ぎ振り返ると、扉の向こうにシルヴィアがいた。深い紺碧の色が、彼の深い悲しみを宿しているようだった。シルヴィアは机に歩み寄りセレフィーナが投げた本を手に取る。
「シルヴィア、これはその……」
仄かな後ろめたさが汗とともに背筋を伝う。シルヴィアとの約束を、なし崩し的にとはいえ自分の意思で破ってしまった。叱責されても致し方ない、と強く目を瞑る。
しかしその思いに反し、華の頭の上に温かい手が触れた。
「大丈夫。セレフィーナなら信頼できるし、味方になってくれるなら心強いよ」
そう言って、シルヴィアは優しく華の頭を撫でてくれた。
セレフィーナが心外と言わんばかりに鼻を鳴らす。
「もっとわたくしを信頼してくれてもよくってよ?」
「ごめんね。別に信頼していない訳じゃないんだ。少し、神経質になり過ぎるくらいがちょうどいいから」
シルヴィアは困ったように笑う。
「そう。……敵は多いものね」
「敵と決まったわけじゃない。俺は、雪絵のためにできる全てを尽くすだけだから」
「それが無謀なんですわ」
華には理解の及ばない言葉の応酬に、ぐるぐると思考が回って目眩がしそうだ。雪絵守る、という単純な目的でも、何やら複雑な事情が多いようだった。
シルヴィアとセレフィーナがやり取りを耳に挟みつつ、華は口を開く。
「私にも分かるように説明して」
2人分の視線が華に向き、一瞬だけ空気が緩んだようだった。シルヴィアが肩を下ろして苦笑する。
「ごめん。華にもちゃんと話しておかなくちゃね」
一呼吸の間が空く。
シルヴィアの表情が、痛みを湛えるように歪んだ。
「霜月家を滅ぼしたのは——雪絵だ」




