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美味しい紅茶って、すごくいい香りがする


 アルカイダ帝国の皇族方が住まう城には、いくつかバルコニーが設置されている。

 主な用途はもっぱらお茶会であるが、皇族以外の使用人にも憩いの場として頻繁に利用されている。時にはアフタヌーンティーの場所として、ときには宴会場として利用されることもあったそうだ。皇族の中では、ステラ皇女がよく利用していることで有名だそうだ。書類片手に紅茶を嗜む彼女の姿は優雅でありながらどことなく近寄りがたく、その時だけは人もはけるらしい。

 らしい、というのも、雪絵本人が見たわけではなく全てシルヴィアから聞いた話なのである。

 一応、雪絵もこの城に住まう一員ではあるものの、その身分は皇族程保証されてはいない。雪絵個人の感覚としては、居候に近いのだ。つまるところ、この城の方々に頻繫に利用される場所は、居候の身で使うには気が引けるのである。

 雪絵が普段使わせていただいてるのは図書館ぐらいで、その他の時間はほとんどを自室で過ごしていた。たまに華に遊びに誘われたり、レミリアから筋トレに誘われたりするものの、基本的に読書をしていることが多い。

 しかし、今日という日は違った。

 見事な快晴に包まれるバルコニーに、雪絵は所在無く座っている。対面には、ゆっくりと紅茶を味わうセレフィーナがいた。

 日除けのパラソルの下、真っ赤なドレスを着こなす彼女と2人きり。さすがの雪絵も気が引けるというか、あまりに場違いな気がして萎縮してしまう。しかし理由をつけて逃げるのも礼に欠けるというものだ。結果、雪絵は何も言えずに椅子に腰掛けていた。

 セレフィーナは何も言わずに紅茶を嗜んでいる。

「……美味しい紅茶とまずい紅茶の違い、分かる?」

 唐突にセレフィーナが尋ねてきた。

「茶葉が悪いとか?」

「半分正解。けど、大事なのは茶葉じゃなくて入れ方よ」

「……なるほど」

 そう言われても、雪絵にはさっぱり理解ができなかった。自分にとっては紅茶など、単なる飲料のひとつに過ぎない。紅茶を味わう時間よりも戦場にいた期間の方がよっぽど長いので、いまいちピンと来ないのである。

 紅茶の話をするなら、ステラあたりを呼んだ方が良かったのではないか。そう思い始めた矢先、セレフィーナが口を開いた。

「雪絵さん。あなた前、『シルヴィア様の隣に胸を張って立ちたい』って言ってたわよね」

 何の脈絡のない問いかけに、雪絵は首を傾げた。

「……確かに、言ったけど」

 ローゼンベルク家での一件の前、セレフィーナに啖呵を切った記憶がある。だが今更そんなことを聞いてどうするつもりなのか。

「あれ、今でも変わってない?」

 鋭い眼差しで問われ、雪絵の呼吸が止まる。

「どうして、そんなことを聞く?」

「なぜかしらね。単なる興味かも」

 煮え切らない返答に、雪絵は唇を噛んだ。

 セレフィーナは目を伏せ、静かに紅茶を味わっている。

「レミリア様に聞いたわ。新型の鬼の件、それに我がローゼンベルク家での事件も花霞が絡んでると見て間違いないそうよ」

 カップを持つ手が震えた。それをチラリと視線を向けてから、セレフィーナは真っ直ぐに雪絵を見つめる。

「わたくし、今のあなたが胸を張ってシルヴィア様の隣に立てるだなんて……到底思えなくってよ」

 その声には、雪絵に対する蔑みも怒りも感じなかった。セレフィーナは単に、彼女の意見を述べたまでだ。

 言葉の刃が胸に刺さる。

 震える手を握りしめた。少しでも痛みを逃がせればと思ったが、反対にジクジクと傷が膿んでいくようだった。背中に冷汗が流れる。

「先日我が家を襲った二人組の中に、あなたの元部下がいたそうじゃない」

 問い詰められても、返す言葉がでなかった。浅い呼吸だけを繰り返し、あの時の記憶が断片的に脳裏をかすめていく。

 大黒。雪絵が椿隊にいたころの部下。現在雪絵の身はアルカイダ帝国にあるが、花霞との縁が切れたわけではない。むしろ、雪絵の身元は今も花霞にある。

 「あなたに恨みがあるわけじゃないけど……この状況で、疑わない方がどうかしてると思うの」

 全くもって、セレフィーナの言う通りだった。

 全身から血の気が引いた。指先が凍えるようにかじかむ感覚だけが残った。

「……そうね」

 それっきり、雪絵は何も言えなくなってしまった。

 セレフィーナの視線だけが肌に刺さる。内心の疑念を言葉にして雪絵に伝えるだけ、十分に寛大な対応だとは理解している。でなければ、雪絵は即刻牢屋にぶち込まれてもおかしくはない。

 疑わしきは罰せず、などと高尚なことをこの国は言うまい。

「……確かに、私は花霞の人間。疑われるのも当然よ」

「なら、今回の件にあなたが関わっていると?」

「……直接的には、ない」

 赤い瞳が細められる。闘技場で感じた、あの鋭い殺気が雪絵に向けられる。

「間接的にはあると?」

「そう……なのかな。あいつらの目的は私だったから。花霞が私を取り戻したがってる理由も、何となく分かる」

「その理由、わたくしたちには言えないの?」

「……ごめんなさい」

 雪絵は拳を握り、深く俯いた。

 つまるとこ、雪絵の立場は非常に身勝手なのだ。アルカイダの敵となり得る花霞の人間でありながら、その身柄は婚約者候補として守られている。それをいいことに、雪絵は花霞に関する重要事項を知っていながら口にしない。どっちつかずの立場は、セレフィーナにとってさぞ腹立たしいものに映るだろう。

 かつて、ムジナ村での一件の後、同じようにレミリアに問い詰められたことがあった。あの時のレミリアは深く追及することはなかったが、ここまで話が大きくなればそれも長くは続くまい。

 いずれにせよ、ここで限界なのだ。ローゼンベルク家での襲撃事件が公になれば、必ず雪絵の反対勢力が出てくる。そうなれば、雪絵も選択せねばならない。

 

 シルヴィアのいるアルカイダか。

 故郷である花霞か。

 

「シルヴィア様はあなたが何者であろうと疑ったりしない。なぜかわかる?」

 確かな非難を宿した瞳を、雪絵は直視することができない。

「あなたのことが好きだから、無条件で信じているの。それがどれほど尊いことか、あなただって分かってるでしょう」

「……分かっている。だから、決めなきゃいけない」

 深く深呼吸をすれば、紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。しかしそれすらも煩わしく感じてしまうのは、雪絵に余裕がないからに他ならない。

「シルヴィアを、裏切りたい訳じゃない。……それだけは、信じて欲しいの」

「……」

 セレフィーナは黙って、バルコニーから空を眺めていた。

 穏やかな風が黒髪を攫い、流れていく。映画のワンシーンのような光景に見とれながら、雪絵も空を見上げた。

 空気は酷く澄んでいるのに、雪絵の心は淀む一方。見事な晴天が陰り雨でも降れば、雪絵の淀みも消えるだろうか。などと無意味な思考に走る。

 長い沈黙が2人の間を満たしていた。雪絵は話すべき言葉が見当たらず、口を開けたり閉めたりしながら俯く。

「――あーもう!!!まどろっこしいんですわ!!」

 カップを乱雑にソーサーに戻し、セレフィーナが叫んだ。何が何だか分からず、雪絵は目をぱちくりさせる。

「あなた最強の兵器のくせに、なんか、なんでこう……ウジウジしてるんですの!最強なら最強らしくドンと構えてなさいよ!!」

 手をやきもきと動かしながらセレフィーナは言った。

「ご、ごめんなさい」

 何を言っていいか分からず、とりあえず謝罪を口にする。すると、さらに眼差しを尖らせたセレフィーナが睨みつけてきた。

「そーいうところですわ!何でもかんでも謝りゃいいってもんじゃなくってよ!!」

 まったくもう……とため息をついて、セレフィーナは再びカップに口をつけた。

「わたくしだってあなたを責めるつもりはありませんの。でも、どっちつかずってのが一番みっともなくってよ。お分かり?」

「……うん」

「だったら胸を張って決めることね。どっちみち、あなた程度が敵になったところでどうってことありませんもの」

 胸がキュッと締め付けられる思いがした。嫌な感覚ではなかった。むしろ、我慢しなければ泣いてしまうくらい、優しくて暖かくなる言葉。

「セレフィーナは、とても優しいのね」

 雪絵が言うと、セレフィーナは目を丸くした。やがて雪絵を挑発するようにニヤリと笑ってみせる。

「あなたには借りがありますからね。それを返し終えたら、けちょんけちょんにして差し上げますわ」

 気を遣ってくれているのだろうか、と雪絵は思案する。しかしこの勝気な笑みは、間違いなくセリフィーナ本来のものだった。本音半分、建前半分といったところだろううか。

 胸がスッと軽くなった気がした。何というか、憑き物が落ちたような爽快感がある。手元に置かれた紅茶を一口含むと、優雅な香りが鼻を通り抜けていった。心なしか、味もよくなっている気がする。

「シルヴィア様からデートに誘われたんでしょう?……あんまりいい気はしないけど、せっかくの機会ですわ。気晴らしに楽しんできたらどうですの?」

 刹那、雪絵の思考が止まった。

「……デート?」

「ええ。……え?」

 セレフィーナの表情が固まり、頬に汗が流れていく。何度か瞬きを繰り返し、信じられないように口を開いた。

「……まだ、誘われてなかったの?」

「誘われるって……誰に?」

 爽やかな風が2人の間を通り抜ける。セレフィーナは目尻をぴくぴくと痙攣させながら、ティーカップ片手に固まっている。

 しばらくして天を仰いだかと思えば、今度は俯いて頭を抱えてしまった。わけがわからないので、雪絵は黙ったままセレフィーナを見つめていた。

「まだ誘ってなかったの……!?」

 噛み潰すようにセレフィーナが言葉を吐く。彼女と知り合ってしばらく経つが、こんなにドスのきいた声は初めて聞いた。

 しかし、状況は何となく分かった。

「もしかしてシルヴィア、私のことデートに誘おうとしてる?」

「……さぁ?」

 苦し紛れの返答に、さすがの雪絵とて察するものはあった。

 聞かなかったことにするべきか、話を逸らすか。やっちまったとでかでかと顔に書いてあるセレフィーナを見ると、何故か罪悪感で胸が痛くなってくる。

 しかしデートとはまぁ。シルヴィアにもそのような恋愛感情があったことに驚きだ。あの男、いつも飄々としていて隙がないのになぁ……などと頭の片隅で思う。

 だが、肝心の相手が雪絵とは。自分で相手も選べない皇太子殿下に心底同情した。あの自由奔放な男でも、立場というのは重い足枷になるようで。

 シルヴィアへの同情を胸に、雪絵は口を開く。

「シルヴィアに伝えてあげて。デートに誘うなら、自分が心の底から好きだと思える相手を誘いなさい、って」

「…………は?」

 本日何度目かも分からない硬直。セレフィーナは両目を見開いて、雪絵を凝視した。

「いや、あなた、何考えてますの?」

 要領を得ないセレフィーナの問に、雪絵はしばし黙り込んだ。どう返すべきか迷った挙句、そのまま本音を口にする。

「デートとか、そういうのは本当に好きだと思った人を誘うべきよ」

「そんなのあなたしかいねぇですわよ」

 セレフィーナが信じられないように雪絵を見つめる。心なしか驚きの裏に軽蔑が宿ってる気がするが、おそらく気のせいだろうと思いたい。

「……シルヴィアは、私が強いから執着してるだけよ。本当は、他に好きな子がいてもおかしくないわ」

 ゆったりと広がる大空を眺め、雪絵は言った。



 その様子を眺め、セレフィーナは絶句していた。

 この世の中に、どうしようもなく察しの悪い人間だとか、鈍感な奴がいるのは自明。しかし、花霞の鬼神ともあろう術者が、恋愛に関しては殊更ポンコツだと想定外にも程があるではないか。戦場に身を置き、国内での政敵を相手にしてきた女傑が、まさかこんな――こんなニブチン野郎だったなんて。


 (やっぱり、才能って理不尽だわ)


 ため息を飲み込み、セレフィーナは紅茶を啜った。

 

 


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