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花霞の鬼神、嫁入りに参ります。  作者: 半月叶依
屍喰らい編
18/21

あなたを縛るもの



  「雪絵」

 声が聞こえる。

 優しくて、悲しい。もう二度と聞くことのできない、思い出の底に沈んでしまった音。

 思い出の中の体温が、雪絵の頭を撫でる。かさついた手の平が雪絵の髪を梳いて、案外小さな手のひらの形が伝わる。

 その人の顔は見えなかった。暗闇の中にぼんやりと輪郭だけが浮かんでいて、まるで亡霊のようだった。

 その亡霊が言うのだ。

「雪絵。君のその力は、人を救うために使いなさい」



 ※



「雪絵さん」

 風に吹かれたカーテンが揺れる。膝の上に開かれた本のページがペラペラと捲れた。

 顔を上げると、レミリアが無言で雪絵を見つめていた。

「ここ、座ってもいいかしら」

「……ええ」

 読みかけていた本を閉じる。実際のところ、文字だけ上滑りして内容はまるで頭に入ってこなかったのだ。

 レミリアは、対面のソファーに腰掛ける。皇女殿下がいるのだ、お茶のひとつでも出すべきなのだろう。だがレミリアの表情を見る限り、そんな雰囲気ではない。

 彼女の言いたいことはおおよそ予想がついていた。そして、それに自分が反論できないことも。

 沈黙が二人の間に流れる。窓から射し込む夕日が酷く眩しい。茜色に染まる夕焼けを見ると、心の裏側を逆撫でされているような気分になる。

「シルヴィアには、もう会ったの?」

 長い沈黙を破り、レミリアが訪ねてきた。

「……いいえ。まだ」

 雪絵が端的に答えると、レミリアは露骨に顔を歪めた。

「庇ってくれたのに、感謝のひとつも言わないわけ?」

 やはり、雪絵は何も言えない。

 腕の中に倒れ込んだ屈強な体を、頭部から流れる生温い血の感触を、今日も夢に見たばかりだった。

 

 屍喰らい討伐の折。

 雪絵の判断ミスにより、シルヴィアは奴の攻撃をもろに食らった。

 幸いと言うべきか、彼の実力と言うべきか。咄嗟に展開した防護障壁により軌道が逸れたお陰で、頭に軽い傷を受けただけで済んだ。しかし傷を受けたのは頭だ。衝撃による脳震盪でシルヴィアは意識を失い、しばらくは目を覚まさなかった。

 最終的に、屍喰らいは雪絵が仕留めた。

 シルヴィアが雪絵を庇った直後、一瞬の隙に最大火力の圧縮術式を叩き込んだ。奴の体は木っ端微塵に吹き飛び、残骸はカルディスの研究施設に運び込まれている。

 その後ナガレ村にて1晩過ごし、翌日には帰路についた。

 村を発つ時、雪絵を睨みつける男がいた。

 『お前がしくじったせいで、全部なくなった!人も死んだ!この能無しが、とっととくたばれ!!』

 そう言って男は石を投げてきた。他の住民曰く、男は花霞から流れてきた難民で、今回の件で土地まで無くしたという。

 雪絵は黙って頭を下げた。投げられた石よりも、この男の苦しみの方がずっと深い。雪絵には、それしかできることがなかったのだ。

 脳裏には、ずっとシルヴィアの寝顔が焼き付いて離れないまま。心は攪拌機にかけられたように千々に乱れ、雪絵を苦しめる。

 こんな重苦しい感情など捨ててしまいたい。そう思うのに、それを許さない自分もいる。相対する思いの塊がぶつかり合って、痛みだけが生まれるのだ。この苦しみから逃れる方法があるなら、雪絵はきっとまっさきに飛びついてしまう。


「……ごめんなさい」

「何に謝ってるの?」

 静かに問われ、雪絵は息を呑む。

 自分は何に謝っているのだろう。シルヴィアか、あの村の男か。それともレミリア?違う。

 雪絵は、未だに亡霊に謝り続けている。

「この際だから正直に言うわ」

 レミリアの真っ直ぐな眼差しが雪絵を射抜く。

「私、あなたに憧れてたの」

 シルヴィアと同じ紺碧の瞳。心臓を鷲掴みにされたように息苦しくなって、雪絵は目を逸らす。

「戦場を駆ける紅の鬼神――鬼よりも恐れられる鬼なんて、そうそういないじゃない?……同じ女でも、あなたのように恐れられるくらい、強い人間になりたかった」

 レミリアという人間が、一瞬だけ綻びを見せた気がした。

 西日が彼女の横顔を照らす。凛々しくもありながら、苦難を抱え突き進む女。雪絵が思っていたよりも、強さの中にほんの少しの弱さを抱えている。それが、レミリアをレミリアたらしめているのだろう。

 夕焼けの茜と彼女の青色が混じり、鮮やかな情景を魅せる。

「でも、実物を見て幻滅したわ」

 ほんの一瞬、雪絵の息が止まった。

「想像していたよりもずっと臆病で、意気地無しなんだもの。ほんと、表紙抜けしちゃうくらい」

 はぁ、と憂いを含んだため息をつく。レミリアは静かに腕を組み、尋問官のように雪絵を睥睨する。

「あなた、何がしたいわけ?」

 雪絵はその答えを持ち合わせていなかった。

 自分から能動的な欲求を持ったことはない。強いて言うのであれば、その場で「自分がやるべき事」をいつだって遂行してきた。そう答えても、レミリアはきっと納得しない。

 さんざん答えに迷った挙句、雪絵はようやく口を開いた。

「……花霞の、ために」

「それは知ってる。で、他には?」

 心臓の音がうるさい。

 手汗が滲む。目の前の景色が上手く消化できない。机、ソファー、読みかけの本。レミリアの視線。色々なものに目をやって、どうしよないほど恐ろしくなり、目を閉じた。

 花霞の他に?

 そんなもの考えたことはない。雪絵にとっての花霞は、普通の人にとっての両親のようなものだ。自分の人生の導き手であり、老いれば守るべき対象になる。それが花霞であり、雪絵にとっての絶対的な指針。

 ――だったはずだ。

 少なくとも、断頭台にかけられるまではそうだった。雪絵は花霞の巫として勤め、民を守り、鬼を斬った。それが正しいと信じて疑わなかったし、それ故に殺されるのであれば本望だった。……今も、花霞に殺されるならそれでいいと、雪絵は思う。

 首元に触れる。あの人が雪絵のために刻んでくれた、雪絵だけの術式。どんな時も雪絵を支えてくれる、大切な大切なお守り。

 このお守りは言うのだ。

 花霞を守れ。民と、弱き者のために力を使え、と。

 レミリアは呆れたような視線をよこす。またその話か、と辟易しているようだ。

「花霞はあなたを殺そうとした。あなたは、命を賭して守った祖国に裏切られたの」

「……分かってる」

 雪絵の処刑はお上連中が勝手に決めたことだ。が、そこに民意は含まれていないわけではない。

 少なくとも、あの処刑場にいた人々は雪絵の死を望んでいた。それが何を意味するかは、自身でも理解はしているつもりだ。

「でも私は……見返りを求めて戦ってたわけじゃない」

「じゃあ何?私は無償で奉仕する善人です〜ってアピールしたかったの?」

 レミリアが分かりやすく苛立ちを顕にした。言葉の端々に棘が見えるようだった。

「違う。私は、私の行動が花霞のためになればそれで良かった」

「……その結果、首を斬られることになっても?」

「もちろんよ」

 その瞬間、ダンッ!という衝撃音が部屋中にこだました。木製の机がウエハースよろしく真っ二つに割れ、憐れな残骸が二人の間に転がる。

 机だったものの欠片が視界の端に映る。ほぼ同時に、胸ぐらを掴まれた。

「ふざけんなッ!!!」

 鬼の形相で、レミリアは雪絵を睨みつける。怒りのあまり、雪絵の胸ぐらを掴む手が震えている。

「シルヴィアが!どんな思いでお前を助けたと思ってやがる!!」

 目を逸らしたくても、この状況ではどうにもできない。雪絵は粛々と答えた。

「知らない」

 レミリアは呆気にとられたように目を丸くした。奥歯をギリッと噛む音が聞こえる。

「知ろうともしてないくせに!」

 顔面を殴らたような衝撃が走った。レミリアから投げつけられた言葉が、全身を回る。それが血液に取り込まれ、じわじわと雪絵の心に染み込む。

「……それは、」

 否定できない。

 半ば投げ飛ばすように腕を離され、雪絵は床に倒れ込んだ。

 知らない。たった一言、その言葉が脳内を巡る。

 雪絵は知らない。花霞以外の国を。そこに生きている人々を。文化や食生活、些細な行事も。

 シルヴィアの好物も、趣味も、人生観も。好きな本や譲れない信念も。どうして雪絵の副隊長になったのか、なぜ花霞に来たのか。彼がどんな時に泣いて、笑って。どんな風に世界を見ているのか。

 あの紺碧の瞳の奥を、雪絵は知らない。

「……そうか」

 ストン、心臓の奥に言葉が落ちる。レミリアの言う通り、雪絵は無知だ。無知以前に、知るという行為すら否定していた。

 アルカイダにきてから、否が応でも新しいものを知った。知らなかったものが増えて行く度、雪絵は奇妙な圧迫感を覚えていた。それはきっと、新たなものを覚えていく恐怖。広い世界を知れば知るほど、己の決意に迷いが生じてしまうから。

 雪絵は自分に失望した。アルカイダに来てから、雪絵にずっとまとわりついていたものの正体。それがあまりに幼稚で、滑稽で。愚かしくてたまらなかったから。

「お前の理想とかいうちっせぇもんに籠ってりゃ、そら幸せだろうな。煩わしいもん全部無視して、思考も放棄できる」

 レミリアは静かに雪絵を見下ろしていた。もうその目には、さっきまでの激情は宿っていない。

 あまりにも静かな、軽蔑の眼差しが向けられるだけ。

「自分の殻に閉じこもって死に急ぐ馬鹿でも……大切に思っちまう大馬鹿野郎がいんだ。それを忘れんな」

 それだけ言い残し、レミリアは去っていった。

 カツカツ、パタン。扉が閉められ、部屋の中にぽつんと取り残された。

 赤い夕焼けの色が頬を焼く。お天道様すら雪絵を責めているような景色を、雪絵はしかと両目で見つめる。

 まるで、立ち込めていた霧が晴れたような気分だった。いつもより視界がはっきりとしている。なのに、今にも叫び出したい衝動に駆られる。この相反する気持ちは、一体なんだろう。また、雪絵の知らなかったものが増えていく。

「……ありがとう、レミリア」

 呟き、雪絵は立ち上がる。迷いを断ち切って、一歩一歩、確実に歩く。

 行くべき場所は、とうに決まっているのだ。

 

 

 

 

 


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