揺らぎ
「レミリア隊長ッ!」
レオが絞り出すように叫ぶ。
その合間に、雪絵は圧縮術式を宿した結晶石を砕き、圧縮術式を展開した。狙いを定めようとし、ハッと我に返る。このままの威力で射出すれば、レミリアも無事ではすまない。
(威力を組み直さないと……でも、そんな時間は)
屍喰らいは気色の悪い笑みを浮かべたまま、レミリアを振り回す。さもおもちゃで遊ぶがごとく、この状況を楽しんでいるように見える。
雪絵は唇を噛み締めた。術式を使えば、屍喰らいは確実に仕留められる。それだけの実力が雪絵にはあるのだから。
(任務が、優先。レミリアも分かってるはず。……なのに)
体が動かなかった。
頭で理屈を推し並べても、頭の中に何かが引っかかって、それが邪魔をする。術式を使わなければどうにもならないのに、やめろと泣き喚くのだ。些細な引っ掛かりが雪絵を万力の如く縛り付ける。
(レミリアが……私の何だっていうの?)
雪絵にとって彼女は上司であり、言うなればそれだけしか繋がりがない。雪絵が花霞の人間である以上、アルカイダとは永続的に友好関係を築ける確証もない。それに、レミリアは雪絵を警戒している。敵対視とまではいかなくとも、いつか敵になるかもしれない存在だ。
体が動かない。思考だけが回る。考えている時間はない。全ては無駄だと分かっているのに、なぜ。
「隊長!」
シルヴィアの腕が雪絵掴んだ。そのまま後方に跳躍すると、さっきまでいた場所に屍喰らいの腕が振り下ろされる。
ドォオオン!まるで地響きのように唸りをあげ、振動が体を貫いた。通常の鬼には有り得ない力に息を呑んだ。レミリアを片手にぶら下げたまま、奴はニタニタと笑う。
(もう、悩んでいる暇は……)
「何もしないでください!」
結晶石を砕こうとしたその瞬間、シルヴィアに手を握られた。奥歯を噛み締め、首を横に振っている。
「レミリアを、見殺しにするの?」
「違います!姉さんはあの程度では、」
シルヴィアが固まった。次の瞬間、雪絵はレオとともに小脇に抱え込まれた。視界に端に防護障壁が映る。
一体何が、と考える暇すらなく。
「どおぉおおりゃああああ!!!!」
雄叫びが耳を貫いた。
数コンマおいて、上空に黒い影が舞う。
『グオぉオ?』
一拍置いて、ドシン!と地震のごとく揺れが体を震わせた。またも衝撃波が雪絵を襲う。
しばらくして目を開け、雪絵は唖然とした。
あの屍喰らいが、巨体を大の字にして地面に伸びていたのだ。投げ出された四肢はピクリとも動かず、言葉にならぬ苦悶の呻きをあげている。
まさか、奴を投げ飛ばしたのか?レミリアのいた方に目を向けると、土煙の向こうに小柄な影が見えた。
「ッたく!麗しき乙女に何してくれてんのよ」
パンパンの手をはたき、やれやれと言わんばかりに肩を竦める。数秒前まで鬼に鷲掴みにされていた……はずなのだが。
シルヴィアが防護障壁を解除した。恐る恐るレミリアの元に駆け寄る。
「……レミリア」
「あら雪絵さん。そんな顔しなくても大丈夫よ。この通り怪我ひとつしてないから」
にこやかに微笑まれ、雪絵は言葉を失った。怪我がないのは何よりだ。だが雪絵が言いたいのはそういうことじゃない。
「えっと、その……無事で、よかった」
「あの程度で死にゃしないわ。ウチ、こう見えて腕っ節には自信あるの」
ニッ、と口角をあげ、力こぶを見せつける。山のごとく膨れ上がった筋肉は、それはそれは見事だった。腕っ節がどうとかの次元じゃない気がするが。
シルヴィアがハハッと乾いた笑みを漏らす。
「相変わらずの腕力ですね……」
「そうかしら?大したことをしてるつもりはないんだけど」
人差し指を顎に添え、あどけなく小首を傾げる。レオが「うわぁ……」と思わず声を漏らす程度には、その光景はイカれていた。鬼狩りとはいえ、生身の女の子が素手で鬼を投げ飛ばし、平然としているのだ。綺麗な顔してなんてことしやがる。
「あなたたちは術式に頼りすぎなの。いざと言う時ものをいうのは、鍛え抜かれた筋肉と、筋肉と……筋肉ね」
乾いた風が、4人の間を吹き抜けていく。
「……筋肉」
雪絵の頭に閃くものがあった。
試しに力こぶを作ってみせる。だがそれはレミリアの筋骨隆々の山の如し筋肉に比べ、なんと貧弱なことか。こんなものでは屍喰らいどころか、さっきの雑魚鬼でさえ葬ることができない。
雪絵は悟った。術式のない自分は、なんと脆弱なことだろう。
「……さすがね、レミリア」
「あら、今更気づいたの?」
2人は熱い握手を交わした。シルヴィアは「ムキムキの隊長なんて嫌だあああ」と雪絵にすがりついていたが、筋肉に脳みそを焼かれた2人に届くことはなかった。
ぽつんと取り残されたレオは、思考を放棄した。
『ォおおオお?ナカ』
「!」
言葉とも取れる叫び声共に、巨体は起き上がった。幾つもある目玉がギョロギョロ動いて、4人を見下ろす。
「ま、あの程度で死ぬわけないか」
レミリアが杖を担ぎ、地面を蹴り上げ跳躍。術式もなしに屍喰らいへひとっ飛び。奴の眼前に滞空、鈍器代わりの杖を振り上げ、
「そーれ!!!」
景気のいい掛け声とともに顔面に1発。
『イ゙だッ』
呻きと共に屍喰らいが体勢を崩した。その隙を見逃さずに「えいやっ」と下方から殴りつける。鈍い打撃音を伴い巨大が上空に打ち上げられ、今度は真下へ叩きつけられる。
『グオおォお!!』
ほとばしる雄叫びが空気をビリビリと揺らす。しかしレミリアの攻撃は止まらない。
「せいやっ!」
軽快な声とは裏腹に打撃音は鈍く重い。2、3度巨体を地面に殴りつけ、反撃には目もくれず殴り続ける。返り血代わりの黒い液体が頬を濡らすも、それに気づく素振りさえ見せない。
あの爛々と光る眼には、もはや雪絵たちは映ってもいないことだろう。ただただ相手を蹂躙し、叩きつけ、暴力の限りを尽くす悦に浸ってる。戦闘という言葉を具現化したのなら、きっとこうなるのだ。恐ろしくも美しい光景に、雪絵は見入ってしまった。
殴る。血のような黒い液体が飛び散り、腐った大地を汚す。屍喰らいは呻き、レミリアは杖を叩きつける。奇怪な叫び声が響く。レミリアは愉しそうに笑う。
『ャめで、い゙ダい』
幾度目か分からぬ攻撃。振り下ろさた鈍器(杖)により、屍喰らいの腕が千切れ飛んだ。肉片は大地を転がり、舞い散る黒い液体が雪絵に降り注ぐ。奴の瀕死の抵抗(?)はあっさりとシルヴィアの防護障壁に防がれた。ちらりとその横顔を盗み見る。
紺碧の瞳は屍喰らいに向けられたまま、言葉にならぬ憐れみを宿していた。いつかの日、雪絵に向けられた瞳だった。
「ク、ハハッ!」
猛攻は誰にも止められない。既に屍喰らいの死は確定したようなものだ。あとはどう死ぬかの問題だけ。
止める必要などない。あとはレミリアが嫌でも奴の息の根を止める。かくして、無事に任務は達成されたのだ。速やかに帰還し、皇帝陛下に報告を済ませれば終わり。
――違和感が、頭の片隅に引っかかる。
(なんだろう……何か見落としてるような)
雪絵が初めて奴に接触したとき、あくまでも通常の鬼の範囲に収まる個体だった。あえて挙げるなら頭部の形状と、異常な食欲が特徴的。それ以外、奴を異常たらしめるものはない。
雪絵は何の感慨もなく、圧縮術式で脳天ごと吹き飛ばした。いつも通り、鬼は黒い塵となって消えた。
だが、今回は違う。
普通はありえない同一個体の復活。そして、屍喰らいは「お腹すいた」と言葉を発した。今も、痛い痛いと喚いては必死の抵抗をしている。
ちぎれ飛んだ黒い腕が、雪絵に目に映った。
(切られたはずなのに…消えてない?)
二の腕あたりからちぎられた腕は、今も傷口から黒い液体を流している。ドクドクと、まるで人間の血のように。
そう、まるで――
雪絵の意識を遮断するよう、怪物の笑い声が響いた。
『ギャはハハハッ!』
「うッ」
レミリアが呻く。屍喰らいのもう片方の腕が、レミリアの胴を鷲掴みにしていた。
「クソッ」
隙をつかれたのか、レミリアが悪態を吐く。奴の手の中で抵抗はしているものの、効いている様子はない。レミリアの腕力をものともしないとは、相手の力も相当なものだ。
屍喰らいはニタリと笑い、そのまま大きく腕を振りかぶった。レミリアが反応する間もなく、小さな体が空中に投げ出される。受け身も取れないままに地面に叩きつけられた。「カハッ…」レミリアの呻き声が微かに聞こえる。
「レミリアッ!」
『キャは』
目玉が次の標的を定めるようにギョロギョロと動き――雪絵達の方を見た。より正確には、レオの方を。
「おいおい次はこっちかよぉ!」
レオは半泣き状態で杖を構える……間もなかった。
巨体はこちらに向かって猛然と突進。レオ目掛けて手を伸ばす。
「……は?」
レオが呆然とする中、屍喰らいが雪絵達の傍を通り過ぎていった。くるりと巨体が振り返り、不敵な笑みをうかべる。
捕まえたレオを見せつけるように掲げ、奴は再びニタリと笑ったのだ。
「まさかあいつ、レオを人質に!?」
「そんな……ありえない」
雪絵は絶句した。人質をとるなど、知性があるとしか思えない。本来あるはずのない知性が鬼にあるなんて。こんなこと、いままで一度もなかったのに。
雪絵はえも言えぬ悪寒に襲われた。
(それじゃまるで、この鬼が人間みたいじゃない……)
「隊長!!!!」
シルヴィアに肩を掴まれ、意識が呼び覚まされた。目の前の紺碧の瞳がはっきりの見える。
「え、あ……」
「しっかりしてください!レオを助けなきゃ」
肩を揺すぶられ、ようやく現状を把握する。そうだ、鬼に囚われたレオを助けなければならない。
――あの屍喰らいを、殺して。
「わ、かってる。……ごめん。ちょっと動揺した」
今もレオは奴に囚われている。レミリアは地面に叩きつけられた。おそらく、戦闘は望めない。
今ここで、雪絵がレオを助けなければ。
首元の術式は展開している。あとは適当な攻撃術式を放てば、奴は死ぬ。レオがいる以上、もちろん加減も怠ってはならい。
「俺が奴の注意を引きます。その隙に、レオを救出して後退してください!」
「あ……う、うん」
シルヴィアが果敢に奴の目の前に姿を表す。黒い杖を構え、攻撃術式を展開し、発射。レオが被弾しないように角度と威力を調整している。レオがいる以上、シルヴィアは本気で戦えない。
雪絵が、奴と戦わなければならない。
(大丈夫、大丈夫。腕さえ切り落とせば、助け出せる)
『ギャハハハはは!!』
雪絵の葛藤を愉しむように、屍喰らいが笑っている。
でももし、雪絵の考えが正しければ。目の前にいる怪物は、屍喰らいは――
『キャはッ』
まるで、子供の笑い声のようだった。
片手に握っていたレオを、躊躇いもなく放り投げる。
「なっ!?」
シルヴィアは驚愕のあまり一瞬硬直する。
一瞬、雪絵は迷った。今のシルヴィアの立ち位置的に、彼がレオの救助に行けば、今度はシルヴィアが間違いなくやられる。迷った末に、雪絵はレオの身の安全を優先した。彼の周囲に防護障壁を張り、ひとまず安全を確保する。
だが、その判断は甘かったのだ。
こうなると予測していたかのように、屍喰らいは雪絵に襲いかかった。
「雪絵――!!!」
「……え、」
自動で展開している防護障壁が、奴の攻撃を防ぐ。目の前に、ニタニタと笑う奴がいる。シルヴィアの叫び声が聞こえる。全てがスローモーションのようにゆっくりと進み。
奴の拳が何度も叩きつけられ、障壁が割れた。ガラスの破片のように、砕けた欠片が舞う。修正する時間はない。次の瞬間、屍喰らいの攻撃が雪絵を――
「ゆきえッ!!!」
目の前に、紺碧の瞳があった。
全身を強く抱きしめられる。暖かな体温が、雪絵を庇うように胸の内に抱き、
ドゴン。
鈍い打撃音が聞こえた。




