接触
「うぇ……吐きそう」
顔を青くしたレオが嘔吐く。
「……大丈夫?」
「え、あ、はい。どうぞ……お構いなく」
雪絵が声をかけると、さらに顔を青くして距離を置かれる。教育係がこれで大丈夫なのか、と些か不安にはなるが、レミリアがいる手前余計な詮索はやめた。
腐った土は、文字通り腐った臭いを発する。より詳しく言えば、死体を煮詰めて庭に撒いたような……つまりは濃厚な死の臭いがする。一度嗅いだら最後、鼻の奥にへばりついて取れない悪臭は、常人にはさぞかし堪えることだろう。
黒く染まった大地に枯れた草木。緑は一切咲くことなく、ただただ焦土のような景色だけが延々と続いている。バリケードを超えた途端、異世界に来てしまったのかと見紛うような光景が広がっていた。
「まったく、いつ見ても酷い有様ね」
心底嫌そうにレミリアが独りごちる。彼女の気持ちは雪絵にもよく分かった。花霞で鬼を狩っていた頃は、何度も何度もこの景色を目の当たりにし、その度に辟易していたものだ。
隣にいるシルヴィアも眉をひそめ、鼻を覆う。
「今回はいつもより臭いがきついですね。隊長、体調は大丈夫ですか?」
一拍置いて、シルヴィアはハッとする。
「いえ別に、今のは狙って言った訳では……」
「……」
「あの、隊長」
「……」
「無視はちょっと……やめて頂けると……」
「……」
「……レオぉ〜!」
「俺に振んなよ!!」
教育係から致命傷を貰い、シルヴィアはべそをかく。地面がこれでなければ、物理的には撃沈していたことだろう。
ふざける余裕のあるシルヴィアとは対照的に、レオの顔色は優れないままだ。青い顔のまま、袖で冷や汗を拭う。
「逆にお前なんで平気なの?……俺ですら結構きついのに」
鬼狩りという立場にいる以上、シルヴィアよりは現場に慣れているつもりだったのだろう。
「レオとは素質が違うからね」
「いっぺん表出ろやテメェ」
「わはははは〜」
愉快な掛け合いを他所に、一行は進んでいく。
開墾地であっただろう平地を抜け、森であったものの中を探索する。葉は全て抜け落ち、木であった残骸だけが取り残されていた。幹を人差し指でつつくと、雪崩が起きるように崩れ落ちる。生きていたはずの緑は、灰の塊となって消える。
ここに息づいていた生命が、憐れでならなかった。
雪絵は静かに息を吐く。
「雪絵さん、鬼の反応はある?」
「……少し、待ってて」
レミリアに尋ねられ、雪絵は首の術式を起動した。
探知術式は作っていなかったので、一から組み立てていく。対象を鬼の生命反応に限定、広さはムジナ村周辺に指定。あらかたの処理を終えたら即座に起動。
目を閉じる。目蓋の裏にモノクロに透き通った世界が映し出された。何もない空間の中、赤黒い塊が1つ、2つ。とりわけ大きなものが1つ。炎のようにゆらゆら揺れている。
再び目を開く。
「西側、奥にいるのが屍喰らい。あと北に1匹、こっちに向かってる奴が1匹」
「……自分で聞いといてなんだけど、あなた何でもできるのね」
やや呆れ混じりにレミリアが言った。隣でレオがこれまたドン引き顔で雪絵を見ていた。頼まれたから答えただけなのに、酷い反応である。
「……どうする?3手に分かれる?」
「いえ。とりあえずはこっちに来てる雑魚を片付けましょう」
レミリアは白杖を構えた。シルヴィアもどこから出したのか黒杖を既に構えている。2人に倣い、レオも慌てて杖を出した。
雪絵は周囲を警戒しつつ、再び目を閉じる。
ゆらゆら揺れているのは、赤い魂。そのひとつが雪絵達の目と鼻の先まで迫っている。
恐怖も驚愕も感じなかった。それは、雪絵にとっての当たり前だったから。
乾いた風が、4人の間を静かに吹き抜けた。
「来る」
雪絵が告げると同時に。
『ギャウッッ!!!』
死の臭いを纏った黒い影が4人の眼前に躍り出た。
一目見ると犬のようだが、実態は大きく異なる。黒い塵のようなものが体中を覆い、4対の瞳はこちらを睨み付け、爛々と殺意をぶつけてくる。口らしきものからは鋭い牙が覗き、端からは唾液のような液体が垂れ流されていた。
「獣型か」
『グオオオオ!!!』
いち早く反応したのはレミリア。
黒い獣が咆哮をあげるやいなや、地面を蹴り一気に距離を詰める。獣の眼前に身を踊らせ、杖を突きつけ術式を起動。紅の陣が展開する。
「爆ぜろっ!」
ドゴォォン!激しい衝撃音と、閃光。火薬の臭いと爆風が並のごとく押し寄せ、雪絵の髪を揺らした。
爆撃術式。雪絵との模擬戦でも使用していた、レミリアが最も得意とする術式だ。
「派手にやるなぁ」
シルヴィアが呑気に笑ってる一方、レオは「あんなん食らったら確実に死ぬ……!」と何故か怯えていた。レミリアは敵では無いのだが。
風が黒煙をさらう。煙が晴れた向こうには、既に消えかけの獣の死骸とレミリアがいる。
「拍子抜けね」
飄々とした態度で、レミリアは白杖を肩に担いだ。先端でコツンと獣の死骸を小突く。すると、それはあっさりと黒い塵となって消えてしまった。
「お見事です、姉さん」
「これくらいなんともないわよ」
雪絵たちレミリアの傍に駆け寄る。その頃には、死骸は跡形もなく消えていた。鬼という災害の、呆気ない幕引き。
「雑魚はともかく、問題は本命よ」
特に疲れた様子もなく、次の作戦を練り始めるレミリア。さすがは鬼狩り部隊の隊長を勤めているだけはある、と雪絵は感心した。さっきの流れるような攻撃といい、彼女の動きには一切の無駄も迷いもない。
「雪絵さん、奴に動きはない?」
再び目を閉じる。
透明に映る世界の中、赤黒い炎だけが色濃く見える。レミリアが討伐したのを除いて、あと2匹。屍喰らいの一際大きな炎ともう1匹の炎が揺れている。共に位置は変わっていない――はずだった。
(あれ……何かおかしい)
巨大な炎が、北側に移動している。
レミリアの戦闘は時間にして10数秒。この短時間で、屍喰らいは北に移動したことになる。鬼の通常速度の比ではない、本来であればありえない速さ。
どくん、どくん。2つの炎が胎動する。刹那、屍喰らいの炎が膨れ上がり、逃げるもう1匹の炎を飲み込んだ。残ったのは、さらに巨大化した屍喰らいの炎。
(鬼が……鬼を食った?)
雪絵の頬に一筋の汗が流れ落ちる。そんな話、花霞でも聞いたことはない。全くの未知――雪絵の知らない何かが、すぐそこで蠢いている。
雪絵の混乱など関せず、巨大な炎がこちらの方角を向く。
――ニタリ。
顔の見えない炎が、そう笑った気がした。
「奴が来る!全員備えて!」
口にした瞬間、上空に黒い影が出現。あっけにとられる暇もなく、回避は間に合わないと即座に判断。斜め前方にかけて半球状の防護障壁を展開する。
ドォォオオン!!!
途方もない衝撃と、轟音。黒い影が、膨大な質量を伴って目の前に着地した。荒れ狂う風が雪絵にぶつかる。防護障壁でも勢いまでは殺しきれず、雪絵はあっけなく後方に吹き飛ばされた。体が宙に投げ出される感覚に、心臓がキュッと縮む。
「……ッ、」
「隊長!」
間一髪でシルヴィアの腕が雪絵を掴んだ。そのまま胸に抱きこまれ、別の意味で心臓が縮んだ。緊急事態だ、しょうがないのだ、と自分に言い聞かせつつ、風が止むのを待つ。
しばらくしてシルヴィアの腕が緩み、雪絵は解放された。
「すみません、咄嗟に」
「気にしないで」
もぞり、下で何かが動いた。レオだ。どうやらシルヴィアの下敷きになっていたようで。
「はよどいて……」
「ごめんって」
シルヴィアがレオに手を貸しつつ、立ち上がらせる。2人とも汚れてはいるが、怪我はなさそうだ。
土煙が立ち上り、まだ視界が不明瞭だった。
さっきの衝撃が嘘みたいに、風が静かだった。蠢いていた何かは悠々と姿を表し、笑っている。まるで雪絵たちなど敵では無いと嘲笑っているかのように。静寂がそれを後押しするように場を包む。
雪絵は、腐った大地に足を踏みしめ立ち上がる。
土煙の向こうに、巨大な影が揺らりと動いた。
『ォ……ナか……スイタ』
影が実体をもって、1歩踏み出す。
ズシン。体の奥にまで衝撃音が響き渡る。内蔵が揺さぶられているようだ。
雪絵の思考が、止まった。
「……喋った」
なぜならそれは、ありえないのだ。ありえないはずなのだ。今までそんなことは、一度たりとも起きえなかったのだから。
唖然としたまま巨体を眺める。
黒く丸々と太った胴体の中央には、人の口らしきものが開いていた。上部には人の頭らしきものが5つ、癒着するようについている。ぽっかりと穴の空いた瞳がギョロギョロ蠢く。
胴体の口がニタァ……と笑みを浮かべる。
『オ、ナカ……スいタ!』
でかい図体に似合わない短い腕を掲げ、鬼は笑う。
その手の中には、足を掴まれたレミリアが逆さ吊りになっていた。




