第22話「夜明けの戦陣」
目黒の訓練所に迫る影。
お咲を救うため、いよいよ本格的な戦いの火蓋が切られる──
仲間たちとの連携、そして新たな敵の出現。
静香の力は、この戦いを切り抜けることができるのか。
※本編をお楽しみいただく前に、これまでの話もご覧ください。
1.「緊迫の刻」
夕焼けの空の下、目黒の訓練所には異様な緊張が漂っていた。時折吹き
抜ける涼やかな夕風が、わずかな安らぎをもたらすものの、それすらも
次の戦いへの予感に変わっていく。
静香は一人、井戸のそばで水桶を覗き込んでいた。水面に映る夕陽が揺らめ
き、まるで不忍池の月光のように思えた。手のひらに宿る陽炎の力が、
不安定に脈打つのを感じる。
(不忍池の水は、月を映す鏡……されど、鏡は曇るもの……)
千代婆の言葉が何度も脳裏をよぎる。揺らめく水鏡に映る自分の顔に、
これまでの戦いの記憶が重なっていく。最初の襲撃で受けた月の光の痛み、
復興舞台での屈辱、そして何より――お咲を失った悔しさ。すべてが闇の中
へと溶け込んでいくようだった。
「姉さんならきっと勝てますぜぃ」
耳に入ったその声に、静は振り返った。土蔵の影から、千代婆の目を
かいくぐって近づいて来た六だった。手には半分組み上がった花火が握られ
ている。
「六……」
「なんとなくそう思うんすよ。
阿片で人を操る連中より、姉さんの方が絶対強ぇでさぁ! 」
風李家の無い、ただ純粋な信頼の言葉だった。
「ありがと……」
静香はそう答えようとしたが、
近くから千代婆の声が響く。
「六! その花火はどうした? 」
「へ、へい! すいやせん! 」
六は慌てて千代婆の元へ駆け戻る。その後ろ姿に、静香は思わず微笑んだ。
すると胸元のお守りが仄かに暖かくなる。
「永遠を求めるものと、変化を受け入れるものか……」
サルタヒコの声が静香に響く。
「あいつらは『永遠』や『不変』を求めてる。でもおまえさんは違う。
自分を変えていける。それこそが……」
「陽炎の本質。そして私の切り開く道筋」
胸元のお守りが光り、静香の掌も熱が灯るのを感じた。
一方、土蔵の隅では半次が地図を広げたまま、不忍池の風を計っていた。
時折目を閉じ、風向きを確かめる仕草に、並々ならぬ緊張が漂う。
体術練習場からは、不協和音とも言える音が漏れ聞こえてくる。百合の
三味線と小太郎の太鼓が、互いを打ち消すように、あるいは補完するように
鳴り響く。
「違う、もっと低く」
小太郎の声が飛ぶ。
「こうですか? 」
百合の三味線が音を下げる。
「まだ足りん。敵の技を封じるには、もっと深く、地の底から響くような
音が必要だ」
「小太郎さん」
百合が撥を止め、一の糸を確認しながら、
「私たちの音で、神楽院の舞を止められると? 」
「ああ」
小太郎は太鼓の面を撫でながら答えた。
「奴の舞が人を魅了するのは、型の完璧さ故だ。だがそれは逆に弱点になる。
完璧すぎる音は、少しの狂いで崩れる」
練習を再会する二人の音が、夕暮れの空に染み込む。静香は再び水面を
見つめた。底に映る自分の瞳に、もはや迷いは無かった。
風が運んでくる火薬の匂いと、百合の三味線の音が、静に夜の帳
へと溶けていく。明後日の戦いに向けて、それぞれが己の役目と向き合う
音と気配が、訓練所の敷地を満たしていた。やがて夜空に現れる月は、
不忍池の決戦の場所を照らすことになる。その時までに、全ての準備を
整えなければならない。
2.「散る花火」
静香は夢の中でお咲の声を聞いた。
「姉様、助けて……」
暗闇の中、お咲の姿が遠ざかっていく。お咲の手を掴もうと伸ばした腕が、
まるで鉛のように重い。
「お咲! 待って! 私には届かない…… 」
その時、風の流れが変わった。虫の声が一斉に止み、妙な静けさに違和感を
感じた。百合が跳ね起きた気配。小太郎の足音。幻のように消えていく
お咲の姿を目で追いながら、静香は目を開けた。闇を切り裂く小太郎の声。
「来たな」
昨夜の会議で決めた役割分担が、頭の中で瞬時に蘇る。立ち上がった静香に
千代婆が刺すように指示を出す。その声には、わずかな緊張が滲む。
「あの寝ぼすけ達を起こして、支度させな! 半次、光玉を上げて敵様の数を
心得るんだよ! 」
小太郎が迅速に采配を振るう。
「百合は屋根へ、お静は屋敷裏、半次が光玉を上げ、それぞれ敵の人数を
認め、武器庫に来てくれ」
「承知! 」
全員が一斉に音もなく動く。慣れた動作、何度も訓練した配置。ただ、
奉行所の二人がオロオロと支度している。
「ヒュッ」
光玉が上がる直前の音がした刹那。静香は黒い頭巾で目を覆った。
花火と違い、大きな音はしないが、闇は一瞬にして真昼の光に塗り替え
られた。静香の口元がつり上がる。焔影一族とて、このような奇策を想定
出来ず、目をやられ、しばらく動けまい。
「ぐっ……! 」
不意を突かれた焔影一族は、暗闇になれた瞳を灼かれ、動きを止める。
屋根の上、木々の間、塀の影。光玉に照らし出された黒装束の姿が、
まるで墨絵のように浮かび上がる。百合は素早く指を折り、
「十三……いえ十四」と囁いた。
火薬の匂いと土埃の味が、静香の鼻孔をくすぐる。頭巾を元に戻し、裏の
垣根向こうの敵を数え、武器庫に向かって走り続けた。昨夜の作戦会議が
頭をよぎる。政五郎は奉行所へ、千代婆と六は花火の調達に向かわねば。
その時間稼ぎが、今の自分たちの役目だ。
武器庫前では、半次が手際よく武器を配っている。
「まあ、お前さん達はでぇ丈夫だと思うが、毒玉・しびれ玉・光玉・煙幕を
色々外に撃つから、そのつもりでいてくれ」
続けて小太郎が、体を寄せるように全員に告げる。
「百合の三味線と俺の太鼓で、クラクラする音を出すから、聞こえぬよう
水遁の時みてぇに、耳抜きをしておいてくれ」
静香は頷き、状況を報告する。
「裏は六人です」
百合が眉をひそめる。
「そうすると全部で二十人ってとこね。しかし、なんでここに攻めてきたんで
しょう? 」
半次が手元の玉を確認しながら答える。
「大方、お静を一人にするため、俺たちを脅してるのかもな」
その言葉に小太郎が頷く。
「もしくは、俺たちをさっさと片付けた方が手っ取り早いと思ったんだろう」
「……それなら、奴らを利用してやるまでの事さね! 」
(さすが、百合姉さん。豪胆だわ…… )
百合の軽やかな言葉に、一瞬の緊張が緩む。
小太郎が素早く作戦を示す。
「では、俺と百合で引きつけ、半次が外に向かって玉を打ち、お静は裏手で
脱出の道を作ってくれ、政五郎と六、千代婆をそこから送り出す手はずで」
静香は頷きながら、気炎を吐いた。
「思いっ切り、ぶっ飛ばしてきます」
その言葉が鼓舞するように、皆の口元をキュッと上がった。夜明け前の
闇の中、それぞれの瞳が決意を宿している。
「散! 」
小太郎の言葉に全員が走り出した。月光を背に受け、影は八つに分かれ、
それぞれの持ち場へと消えていく。
3. 「鉄壁の守り」
三味線の音が、地平の明け初めと共に暗闇を切り裂く。光玉でよろめく敵の
頭上に、半次の毒玉が雨のように降り注ぐ。百合の弦と小太郎の太鼓が
呼応し、焔影一族の足取りを更に重くしていく。舞い散る毒の粉が、夜明け
の風に乗って渦を巻く。
「ぬっ! 」
そこここで、困惑する呻き声がする。静香の耳に、敵の狼狽ぶりが手に取る
様に伝わってきた。
(やっぱり、みんなすごいわね! )
静香は陽炎の力をじんわりと脚に矯め、電光石火の如く走り始めた。
千代婆と政五郎、六の影が月光の下で堀を越えるのを確認し、安堵の息を
つく。だが、その安堵はつかの間。裏手の垣根には、敵が今にも乗り超え
ようとしていた。
(これはまずいわね……)
「ハーッ! 」
仏像をなぎ倒した時の感覚が、体の奥底から湧き上がる。術の力が全身を
駆け巡り、垣根もろとも敵を弾き飛ばした。
「バキバキッ、ドーン」
前衛三人は驚愕の表情のまま、為す術も無く明け方の月を仰ぎ見た。
しかし、後方に控えていた三人は違った。その動きは明らかに訓練を積んだ
忍の技。さらにその中心には、白地に紺の狩衣を纏い、扇を
持ち、腰には呪具や笏を下げた男が佇んでいた。
その存在だけで、周囲の空気が凍り付くような威圧感を放っている。
(何? この人? 神主? )
とぼけた静香の想像とは裏腹に、人の形をした紙が宙を舞った。空気が
一瞬歪むような感覚と共に、紙から不吉な気配がしみ出してくる。
(何? 何? これ? )
静香の周りをクルクル回ったかと思うと、
「バン! 」と弾け、紫の炎が静香全体を包む。それはすぐに床へと
流れ落ち、影となって広がっていく。地面から黒い触手が這い上がってくる
ような錯覚に、背筋が凍る。
(え? あ、足が……! )
気づいた時には遅かった、静香の足が地面に縫い止められるように硬直して
いく。影が炎に侵されているのだ。前世でホラー映画を見た時の恐怖が、
不意に蘇る。まるで悪夢の中、ベットに縛り付けられたような感覚。
「影封縛の術なり。式符で怯むとは、これが噂の
陽炎の力なのか? 」
陰陽師は烏帽子を直しながら、嘲るように言い放った。その声
には人とは思えない響きが混じっている。
その傲慢な態度に、静香の中で何かが弾けた。
「ほんとに、技名を名告るおバカがいるのね。どう対処したら良いか
バレバレじゃない! 」
遠慮無く前世の言葉使いを披露し、
(どうせ理解出来ないでしょ? ならこっちも好きに言ってやる! )
「ミラージュ・ライトニング」
相手への皮肉を込め、英語の技名を叫ぶと、陰陽師の表情が固まる。その隙
を突くように、陽炎を使って体全体を光らさせた。静香の周囲は一瞬の閃光
で影を飛ばし、拘束を解く。
(よし、このまま脱出してもらえそうだわ)
だが、陰陽師の目が妖しく光る。口元に浮かぶ薄笑いには、何か底知れぬ
魔性の気配が漂う。これは始まりに過ぎないことを、静香の直感が警鐘を
鳴らしていた。
すかさず敵をまとめて掴み、垣根の向こうに投げ飛ばす。そして、垣根に
手をつき気を込める。
(さぁ、もう一発分からない技名で混乱してちょうだい! )
「スティール・フォートレス」
堀、塀などを含め、全て鉄化すべく陽炎の力が、静香の掌から大地へと
染み出し、目黒の訓練所を無双の要塞のように変えていく。
陰陽師の眉間に僅かな皺が寄る。謎めいた言葉の意味は分からずとも、
その効果は目の当たりにしている。
昇り行く朝日に照らされ、石垣は鉄壁となって光りを帯びる。半次の毒玉や
シビレ玉が、鉄の要塞から雨のように降り注ぐ。だが、陰陽師の表情に浮か
ぶ余裕の笑みは消えない。その手に握られた扇に、不気味な紋様が現れ始め
た。静香は背筋に走る悪寒を感じながら、次なる一手を探っていた。
▼登場人物紹介▼
◆静香(玉響)
江戸時代に転生した主人公。陽炎の力を宿し、仲間たちと共に戦う。
◆小太郎
冷静沈着な忍者の先輩。太鼓の音で敵の術を封じる術の使い手。
◆百合
美しく凛とした女忍者。三味線の音で戦う実力者。
◆半次
武器の扱いに長けた忍者。光玉や毒玉など、多彩な技を操る。
◆六
南町奉行所の下っ引。素直で純粋な性格の持ち主。
◆政五郎
南町奉行所の岡っ引。頼りになる存在。
◆千代婆
静香の師匠。長年の経験を活かし、作戦を指揮する。
次回もお楽しみに!