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92,少年は聞かない

 テルが逃走したことを除けば、至って平穏な平日を過ごした。放課後は、各自勉強道具を持って調合室で自習をする。図書室で座れないことが多い中、自分達の自習スペースがあることは有り難かった。

「じゃあ、明日はスティックを貸与するからね。採取に相応しい服装で来るんだよ。」

「はい!」

教室を出る時にハルドが皆に声をかけると、ブツブツと何かを呟いていたソラ以外が同時に返事をする。

「はい。」

返事の声を聞いて、きょとんとしたソラが少し遅れた。

「えー、ソラ君本当に大丈夫かい?明らかに聞いてなかったよね…」

「ソラには俺から伝えておくから大丈夫!」

心配そうに眉を下げるハルドに対して、ウインクして親指を立てるテルの耳を冷たい視線を送っているセイリンがグリッと摘んだ。

「先生には敬語を使え!最近、タメ口が目立つぞ!」

「いぃだああい!」

ギャーギャー騒ぐテルを連れて、

「明日はご迷惑おかけします。」

テルが迷惑をかけていることは理解できたソラは頭を下げた。


 気温が上がっている休日の早朝から長袖シャツに着替えて、日除け布がついている帽子をリュックに詰める。リュックの中に、水筒とちょっとした応急手当用品も入れておく。応急手当用品も何人かで持っていた方が怪我をしたときに手当てしやすいと考えた。隣のベッドの上で準備しているテルが髪を首元で結っている。

「いけるか?」

「うん。」

女らしいパステルカラーの水色のリボンを紐の上から結んだテルは、ソラと一緒にロビーで剣を携えたディオンと合流してから、正門でセイリンとリティアを待っていると、

「あ、この前の御者さん!おはようございます!」

馬車が先に到着して、こちらをチラッと見たフードを被った御者にテルが大きく手を振ると、御者も会釈して降りてきたので、ソラも挨拶をすると無言のままで会釈のみ返された。ジッと隣を過ぎ去る相手の顔を見ると、少し伸びている白髪が顔を隠して表情が読み取れない。

「ギィダンさん、おはようございます。本日もよろしくお願いします。」

セイリンと一緒にパタパタと小走りで走ってきたリティアは、背負ったリュック以外に両腕で頭が3つも生えている黒い犬を抱えていた。

「ば、化け物…」

「ソラァ、一昨日教えてもらったケルベロスだよ?まさか聞いてなかったの?」

ギョッとして目を大きく開くと、テルからヤレヤレと首を横に振った。ケルベロスはハッハッと舌を出してこちらに視線を送っていたが、テルの背中に隠れるように先に馬車に乗り込んだ。

「あ、そうなんですね。」

リティアが御者と話しているように見えるが、御者の声は聞こえてこなかった。御者に促されるようにディオンとリティアに挟まれるように席に座ったセイリンの後からテルが乗り込んで、馬車が動き出すと、リティアがケルベロスを膝に乗せながら、

「御者の方、ギィダンさんって仰るのですが、ハルさんは一足先に轟牙の森に行っているとのことです。」

「との事だ、ソラ。最近、人の話を聞いていないことが増えていないか?」

リティアの説明の後に、セイリンが大きく息を吐いて肩を落とす。

「すみません…期末テストに向けての勉強量が多くてなかなか終わらないので、頭の中で反復学習しているのです。」

「まだ中間テストすらしてないのにか…?」

聞いていない理由を説明すると、セイリンが怪訝そうな顔を向けてくる。

「俺はテルのように頭は良くないので、長い時間かけないと身につきません。」

ふわぁと大きな欠伸が出てしまい、慌てて手で押さえる。

「ええ!?ソラの方が頭良いよ!俺なんか」

「すぐテルは俺を引き立てようとするのですが、コイツ1回読んだ小説の内容とか忘れないんですよ。」

テルの声が裏返って反発してきたが最後まで言わせず、ソラは言葉を被せた。

「凄いですね!いつでもどこでも物語の世界に飛び込めるなんて素敵です!」

「そ、そうかな…?」

キラキラした瞳のリティアが両手を叩いて絶賛すると、ソラより頭が悪いアピールしようとしたテルの口元が緩み、耳まで赤くしながら俯く。

「…ふむ。リティ、ディオン、帰宅したら少しだけ勉強を教えてくれないか?」

「私で良ければ。」

「では、どこの範囲をやるのかを決めておいて下さい。」

セイリンが話を振ると、ディオンもリティアも快く承諾する。俺もそうやって頼めれば良いのだが…と思いながら、ソラの視線が下に落ちると、ケルベロスがリティアの膝を蹴り、ソラの頭に腹から着地する。

「降ろしてくれ!テル!」

「ええ、ケルベロス可愛いよぉ?」

降ろす気がないテルの明るい返答に、セイリンはため息をついてケルベロスを片手で引き取ってくれた。

「私もケルベロスが苦手だったが、こいつは良い奴だ。ソラも慣れるといい。」

「…。」

セイリンに撫でられて目を細めるケルベロスを同じ目線まで顔を下げて眺める。3つもある顔は全て犬だが、首が長い気がするし、こちらを上目遣いで見てきて、テルがよく他人にやるみたいに…

「まるでテルみたいだ。」

「ソラ、それどういう意味!?俺の首はそんなに無いよ!!」

ソラは直感的に感じたことを述べただけだが、テルがギャーギャーとその肩を大きく揺らし、その光景を愉快そうにセイリンとディオンが眺めている。揺れる視界に心配そうに眉間にシワを寄せてリティアの青くなっていく顔を映せば、ルナと名乗ったあの少女を錯覚させるが、それよりもどんどん気分が悪くなってきた。

「テルさんやめてあげてください!ソラさんの顔が青くなってます!」

リティアが馬車の中で声を張り上げると、ピタッとテルの揺さぶりが止まった。

「うぷっ」

ソラは朝食が戻ってくる感覚に襲われて、リティアが素早く紙袋を渡してくれた。


 馬車は程なくして森の入口に到着した。先に来ているハルドの待ち合わせ場所なので、誰もそこから動かないが各自で準備体操やストレッチをしている。ソラのみが、地面に腰を下ろしていた。早めにストレッチを切り上げてから馬車を往復してきたリティアが、ぐったりしているソラの隣りに座ってきて、

「体調どうですか…?ギィダンさんがもしよければ中で横になりませんかって。」

「あ…ああ。それは有り難いかもしれない。」

リティアの提案に力なく答えるソラは、背もたれにしている木から離れるように立ち上がろうとすると、ふらふらと足がぶれて力が入らず、また座り込む。

「どうしたの?」

頭上から声をかけられ、ギョッとして上を見上げると、ハルドが飛龍牙を片手に抱えて見下ろしていた。

「なっ!?足音が聞こえなかったぞ!ディオンは?」

「私は聞こえていましたよ。本当に静かで草が擦れる音かと錯覚するくらいでした。」

ソラより早く準備体操をしていたセイリンが驚き、ディオンは微笑みながらハルドへと会釈し、テルは飛び跳ねながら手を振っている。一番近くにいるリティアが説明をすると、ハルドは考える素振りも見せず、

「ソラ君は馬車で休んでもらうよ。」

他のメンバーにそう伝えて、立ち上がれないソラをお姫様抱っこで馬車に連れていき、馬車の付近で待機していたギィダンが扉を開けてくれて、そのまま椅子に転がされる。

「喋れないほど辛い?」

「いえ、抵抗する気力がなかっただけです…」

「そうか。じゃあ、ゆっくり休んで。テル君には注意を入れておくから。」

ハルドは椅子の下の引き出しから毛布を出してソラにかけ、

「それと、これ。何かあったときには自分の身を守れるように。」

「あ、ありがとうございます…」

横になっているソラの手にスティックをしっかり握らせて、扉を静かに閉めた。少し遠くからテルの元気な声が暫く聞こえてきていたが、段々とソラの瞼が重くなり、音も聞こえなくなっていた。

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