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87,少女は動揺する

 胸ぐらを掴んでいるセイリンの手を包み込むようにラドが大きな両手を添えた。無理やり外されると思っていたセイリンは、彼の顔とその手に何度も目が動く。

「もしもヒメに捕食されるのであれば、私は幼い頃に死んでいるはずです。ヒメとはそのくらい長い付き合いですので、セイリン君が怖がることはありませんよ。現にリティア君はヒメの背中に乗っています。」

ね?と、ヒメと呼んでいる魔獣にラドが微笑みかけると、ヒメは彼の方に顔を乗せて舌を2本動かしながらセイリンの目の奥を覗き込む。

「リティが…?いえ、リティのことよりも…。何故、ラド先生は魔獣と一緒に居ようとなんて思ったのですか!?相手が何考えているか分からないのに!」

魔獣の生態、討伐方法の本で得られる知識を頭に叩き込んでいるリティアが魔獣と仲良くしているなど、セイリンにはにわかに信じがたいが、それよりもまず魔獣を飼っているという愚行が理解できなくて、猛犬のように噛みつきにかかる。

「何故と言われましても…ヒメはね、他のマテンポニーとは異なるのです。私と一緒で、いつも仲間外れにされて、いつの間にか一緒に過ごすことが多くなりました。全てを理解できなくても分かっているつもりですよ。」

ラドの顔に顔を擦り付けるヒメと、それを快く受け止めているラドの信頼関係が構築されていることは、セイリンから見ても分かる。ヒメと共にラドが向けてくる眼差しは、まるでセイリンを哀れんでいるように見えて不快に思えた。セイリンは表情に出さないように顔面に力を入れて唇をきつく締める。

「この関係性って、私達は当たり前に持っているではありませんか。魔獣だから駄目というのは、セイリン君の偏見でしかありません。」

ラドは、セイリンの指を1つずつ外してシワのついたシャツをパンパンと叩く。

「へ、偏見だというのですか!多くの人が殺されてきているというのに!」

セイリンは外された拳を感情に任せて振り下ろし、自らの腿を音を立てて叩いた。ディオンの一族のことを始め、魔獣に襲われた街の惨劇を思い出して、生温い涙を溢しながらラドを睨みつける。

「私達は、他人との関係を始め、動物や植物とも心を通わせます。まさにその動植物から見た人間は捕食者そのものです。その中で出来上がる信頼関係が、何故魔獣との間に築けないと決めつけるのですか?」

小さく息を吐いたラドがポケットからハンカチを渡してきたが、セイリンの腿に打ち付けた右手が反射的に弾いた。衝撃でラドの手から落ちるハンカチは、ヒメの長い舌が伸びてラドへと返却する。今のセイリンの行いに対して、ラドの感情が揺さぶられる様子もなく、ただただ教師としての顔を向けられていて、それがセイリンには気持ち悪く思える。…感情を持たない人形とでも話している気分だと思いながらも、ラドに言われた事を考えるが、やはり納得がいかない。

「そ、それは…」

「その考え方を改めない限り、貴女は過ちを起こすでしょう。」

ヒメからハンカチを受け取ったラドは、ヒメの顔と頭を優しくマッサージしている。ラドに考え方を否定されたセイリンは、唇を強く噛んで血を滲ませた。

「どういうことですか…?」

「高い知能を持つ古代魔獣や、私達の知らないところで様々な生命を守る魔獣もいるのですよ。彼らの存在は公にされておりませんから、ご自分の伝手を使って自力で調べてください。」

こうやって聞いていると、やはりラドの言葉に感情がこもっていないように感じるが、魔獣に詳しそうな口ぶりをしてくることが引っかかる。

「な、何故ラド先生がそのようなことを…」

「この話はこれで終わりとしますが、まず何も危害を加えていないヒメを驚かせたことをヒメに謝ってください。」

セイリンの問いをバッサリと切られた。ラドはこれ以上話をする気はないようで、セイリンから視線を外した。

「…。すみません、私には無理です。先生も本当は魔獣が人の皮を被っているように見えてしまう。」

「それは、あながち間違っていませんね。」

まさかの回答に、セイリンの瞳は大きく揺れて声が漏れる。

「え…」

「人間の皮を被った魔獣なんて見分けられませんからね。グールに引っかからないよう夜道は気をつけてください。」

ニコッと微笑みかけるラドに、からかわれたと確信したセイリンは言葉も出ない。

「私から他に言いたいことがあるとするならば。」

一度言葉を切ってからヒメを放牧し、ラドはセイリンの耳元に顔を近づけてきて、

「弱き者が何をほざいても、世界は変わらないということだ。精進せよ。俺はそうやってのし上がってきた。」

今までと異なるラドの口調に、セイリンの瞳孔が極限まで開いた。


 頭が混乱している。寮に戻ってきて、周りの女子生徒がキャーキャーワーワーと囲んでくる中、無言のセイリンが片手で軽くあしらえば、女子生徒の波が2つに裂ける。いつも通り夕食を食べて…という気分には到底なれず、階段を昇って部屋へ向かう。6人部屋の同居人達と他の部屋の女子生徒が、セイリンのベッドの上で何かをやっているのが目に飛び込んできた。セイリンの元々少ない私物を勝手に広げてキャーキャー言っていた。

「お前ら、何ふざけているんだ?」

疲れている中、こんな下らないことに巻き込まれるとは。セイリンの低い声に一瞬で怯えた女子生徒達は壁に張り付くように逃げていく。ベッドの上には予備の制服、私服、軽装備に使うインナーなどが放り出されていたが、いくらなんでも武器や防具には触れなかったようで、チェーンの絡まりはなさそうだ。使っていた籠に乱雑に放り込んで他に忘れ物がないか確認をしたら、そのまま寮室を出たが、こうなったら交友関係の少ないセイリンの行き場は1つしかない。リティアの部屋の扉をノックする。

「セイリンちゃん、大荷物でどうしたのですか?」

「すまない。部屋代支払うからここに住まわせてもらえないか?」

可愛らしい臙脂色のワンピースを身に纏うセイリンが扉を開けたら、セイリンは深く頭を下げた。

「ワンワン!」

「ケルベロスさんも住んでますが、それでもよろしければ!」

頭を下げたセイリンを下から覗き込むように小型犬に頭が3つついている黒い魔獣が顔を上げて、舌をハッハッと出していた。この前までそんなもの飼っていなかっただろうと、セイリンの心はざわついた。

「魔獣…」

「ケルベロスさんは、聖女ルナ様に仕えていた古代魔獣です。」

聖女ルナが魔獣を数体従えていたという逸話はセイリンでも知っている。だが、それがよりによって何故リティアの元に居るのか、全く理解できない。何とか声を振り絞るが、

「そ、そうか。」

簡単な言葉しか出てこなかったが、廊下で寝るわけにもいかず、リティアの好意に甘えることにした。元々、リティアは2人部屋の為、使っていないベッドと、クローゼット、机を片方ずつ貸してもらう。元気に走り回るケルベロスを横目に収納していけば、頭が3つあるだけでただの犬だなと思えてくる。

「リティ、ラド先生のヒメって魔獣の背中に乗ったって本当か?」

「だ、誰から聞いたのですか!?」

ボンッと一瞬で茹で蛸になったリティアは、セイリンの腕に縋り付く。またその姿に動揺するのはセイリンの方だ。

「ラド先生本人から…」

「な、何を聞きました!?」

少し身体を仰け反るセイリンに迫るリティアの瞳は今にも泣きそうだ。何があったんだと心配になってくる。

「え、マテンポニーの背中に乗ったことを聞いただけだが?」

「ああ…そうだったのですね…。はい、ヒメさんの素晴らしい脚力で遠方の滝までバビューンと!」

先程とは一変して楽しそうに話すリティアを見ると、本当に魔獣に何をされることもなく過ごしたのかと理解できた。先程の慌てっぷりは何だと疑問を残しながら。

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