85,少女は魔獣を食す
ハエ取りリンゴは植物系魔獣である。リンゴの木の中に本物のリンゴと一緒に混じって、強烈な甘い香りでハエをおびき出し、蜘蛛の糸のような細い舌で相手を絡め取って食べるのだ。人間が誤って皮剥きすると、とてもグロテスクで食べられたものではないと本に記載もあった。ラドはそのリンゴに枝を刺して、藻草鮎と一緒に焚き火で焼いていて、それが終わると、顎岩魚の出っ張っている岩顎を左手でもぎ取って普通の魚と同様に下処理をしていく。ラドのジャケットの上に座らせてもらっているリティアも真似をしようと、顎を引っ張るがびくともしない。
「餌を擦り潰すこの頑丈な顎をよく取れますね…?」
「リティア様、適材適所です。鮎の焼き加減をお願い致します。」
ラドはそう言うと、リティアの手にあった顎岩魚を掴むと、いとも簡単に顎を外してしまう。リティアは言われた通りに、火に直に当てないように気をつけながら藻草鮎の向きを変えていくと、その間にハエ取りリンゴがべギャべギャと断末魔を上げて焼かれていく。ラドは顎岩魚を枝に刺して焚き火で焼く間に、血吸出目金魚を拾い上げて手の中に炎を発生させて丸焼きにしていく。
「カリカリしてて美味しいですよ。」
焼き上がった出目金魚をポイっとリティアへと投げると、空中を飛ばされた出目金魚を長い舌が巻き取ってムシャっと食べてしまった。もぐもぐしているヒメがラドのそばでくるくると回り、ラドが滝壺に向けて出目金魚を投げるとヒュンと舌が伸び、その直後にリティアに渡そうとして小さめの手に乗せようとすると、ヒメの他の舌が盗んでいく。
「…あ、ヒメさんが好きな物みたいなので、私は大丈夫ですよ!」
「すみません…普段ヒメはこの魚を食べることがないのですが、リティア様に嫉妬しているようですね。」
慌てて横に手を振ると、ラドは項垂れながらため息をついた。
「嫉妬…?」
「さて如何しましょうか。」
きょとんとリティアが首を傾げると、ラドはブツブツと呟きながら、打ち上げられた出目金魚を拾っては丸焼きにして、その1つを自らの口に運び、バキッと折ったらリティアの隣に座る。勿論、次の獲物を狙うためにヒメも座ったラドの頭上に顔を出す。
「リティア様、口を開けてください。」
「あ、はい…」
ラドは食べていたものを咀嚼しながら、リティアに口を開けさせて、もう一口とラドが口に運び、自然な動作でリティアの唇に自らの唇を重ねた。えええええ!?とリティアは心の中で絶叫しながら、口から口へと良い具合に焼き上がった出目金魚が移動された。
《リティ!どうしたの!?》
不意にハルドの声が脳内に響き、ハッとして首からかけているネックレスに手を伸ばす。こんなに遠方に届く魔法ってどういう仕組みだろうと思いつつも、今のを何と説明していいのか悩む。こうしている間に、ラドからまた口渡しがあった。リティアは頑張って出目金魚を噛むが味は全く分からない。
《返事して!そこにラドはいる!?》
ハルドの慌てた声が入ってきて、リティアは目を大きく開いて全身に力を入れながら、
《ら、ラド先生います!危ないことは起きてませんので大丈夫です…。で、デメキン…》
頑張って念じるが、ラドと出目金魚のことは口が裂けても言えなかった。
《素揚げの出目金魚を口渡しされたかい…?》
ハルドの声が一変して、静かに響く。いつもと異なるこの感じが、ハルドの怒りを表している。
《どうしてそれを…》
《後で叱っておくからね。もし良ければビンタでもしてやって。》
何故、ハルドが分かったのかが全く理解できないが、とりあえず次の口移しは阻止したいリティアは、必死に顔の前で両手でバツを作ると、迫ってきていたラドの顔がそこで停止する。
「失礼しました。あまりお口に合いませんでしたか?」
「そうではなくてっ!とりあえず出目金魚はごちそうさまでした。他のが焦げてしまいますので!」
リティアが顔を真っ赤にしながら横に振ると、ラドの手の中にあった出目金魚は上へと投げられ、ヒメがタイミングよくキャッチしていった。
「承知しました。まず、このリンゴの食べ方をご存知ですか?」
リティアが否定の首振りをすると、ラドがナイフでリンゴに浅く切り込みを入れて、ベリベリと皮を外す。リンゴの形の頭蓋骨が露わになり、ラドがヒメの口に押し込むと美味しそうにむしゃむしゃとヒメが口を動かす。リティアには切り離した皮を渡してきたので、恐る恐る口に入れてみると口の中でふわぁと焼きリンゴの香りが広がり、噛めば噛むほどキャラメルのように溶けていく。
「お、美味しいです!」
「まだありますよ。」
ラドが手渡そうとしたリンゴの皮は、上から長い舌が引ったくっていき、ため息をつきながら次のリンゴへと手を伸ばす。ラドの手より速くパシッと4つの舌が絡めて攫っていき、リティアが食べるリンゴはなくなったため、リティアはヒメを警戒しつつ、藻草鮎を食べることにした。鮎よりも小ぶりで二口三口で食べられる藻草鮎は、口の中で磯の香りが広がる。リティアがもぐもぐと1匹食べている間に、既にラドは3匹も食べていて、ヒメは欲張りすぎたリンゴに苦戦していた。
「顎岩魚の食べ方は、岩顎を外した顎の跡から親指を入れると綺麗に2つに裂けますので、硬い骨を抜いてから皮を残して食べてください。」
「分かりました。」
藻草鮎が食べ終わってしまい、リティアがなかなか手を付けなかった顎岩魚の食べ方をラドが実演しながら教えてくれたので、リティアもラドに習ってやってみる。岩顎が外された部位は、他の鱗より柔らかくて両親指でぐいっと押すと簡単に身が離れていき、ある程度離れたら、身を押さえて尾ヒレから頭へと引っ張ると綺麗に骨が取れた。皮を指で摘んで身に食いつく。リティアには弾力があってなかなか咀嚼できないため、1匹食べ終わる頃には次を食べようとは思えなかった。まだ食べているラドに譲って、滝壺でしゃがんで手を洗う。こんなに森の中に魔獣が居ないのに水の中にはいるのかと、水面を覗き込むと、澄んだ水であるのに底が見えない。泳いでいたヒメも何かに食いつかれた感じもなく、穏やかな滝壺かと思えば、魚系魔獣がかなり多く打ち上げられた。不意に水面が揺れて、水が色を帯びで、重装備を身に纏い、鎧のように重甲な槍を魔獣の群れに向けて構えている短髪のセイリンの姿が映し出された。見るからに劣勢だ。その隣に背の高い騎士が同じように槍を構えているがその顔はぼやけていてよく分からない。ただ、この光景はリティアに魔法士スインキーが壊した時空を超える水鏡を想起させた。
「セイリンちゃん!?」
リティアが、咄嗟に身を乗り出して手を伸ばせば、その鏡に吸い込まれ…ることはなく、後ろから腹部に逞しい腕を回され、リティアの身体が水から離されるように持ち上げられる。
「リティア様、それは魔獣の罠です。心を揺れ動かすだけの知能があるこの森の魔獣は、全てこの罠にハマって食い尽くされたのです。」
「え…」
「ヒメは思いっきり水面を蹴ったことで水中の魔獣を食せました。このように石を投げて、あの幻を消すと罠は消えます。」
ラドは冷静に説明をしながら、いつの間にか左手に握っている小石を滝壺に投げ込むと、リティアが見ていたセイリンの姿は一瞬で消えて、代わりに大きな目が2つ、水中からこちらを睨んでいる。
「あれは…?」
「滝壺の水中のみに棲息する壺大亀となります。あれに関してはかなり大型で、今は倒す術がございません。帰りましょう。」
ラドは有無も言わさずにヒメの背中にリティアを乗せてから、ジャケットを拾いつつ火を消す。リティアの背中を覆う形で手綱を握れば、行きと同じようにヒメは街に向けて疾走した。




