84,少女は手を引かれる
ラドに着替えてくるように言われて部屋に戻ってから、ケルベロスを起こさないように気をつけながら、勉強机にイヤリングを置いてクローゼットを開ける。入学当初は祖母が贈ってくれた探索用の服と数枚の普段着、寝間着、制服しか入ってなかったが、今はリルドからの服がぎゅうぎゅうに詰まっている。ぬぬぬと悩みつつ、臙脂色のAラインワンピースを引き抜くと、白いセーラーカラーの下にフリルリボンタイがついていたので、一度戻す。
《何が気に食わんのだ》
大欠伸をしながら顔を起こしたケルベロスが、リティアの脳内に話しかけてきて、リティアは服を掴んだまま振り返った。
「そ、それはフリルが子どもっぽいので…」
《子どもが何言う》
少し頬を膨らましながら俯くと、ケルベロスは興味なさそうに右の頭のみ起こして、あと2つは布団に降ろした。
「それはそうですが…」
自分の胸や脇腹をペタペタと触って若干涙目になり、諦めて手に取ったワンピースを着ることにする。いくつ歳をとってもセイリンみたいな身体つきにはならないだろうと思いながら、手際よく着替える。普段使いできる靴はブーツだけなので、それに履き替えたら、小さめの黒いショルダーバッグに必要なものを詰め込んで、
「行ってきます。」
《ああ、いってらっしゃい》
右の頭も布団に戻しつつも返事をしてくれるケルベロスの頭を撫でたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えて寮を出た。寮前に誰もいなかったため、玄関に出つつ、キョロキョロと探してもラドは見当たらない。職員用玄関に回るべきかと左へ足の向きを変えると、ドドドと何か大きなものが走る音が近づいてきて、すぐさま後ろを振り返ると黒馬が鼻の穴を大きく広げてものすごい速度で向かってきている。身に纏う精霊達がその速度についていけていることに目を張るが、反射的に横飛して走行進路から外れて真横を通り過ぎる黒馬を見送ると、
ピィィイ
女子寮の建物の向こう側から指笛が聞こえてくると、疾走していた黒馬が突然徐行し始めて寮の建物にぐるんと回り込むと、指笛の音が消えた。
「俺のおてんば姫、嬉しそうだな。」
恐らく職員用玄関から出てきたであろうラドが、手綱を握りながら先程の黒馬を連れて帰ってくる。
「ラド先生のお馬さんなのですね。」
「ええ、ご迷惑おかけしました。この子はマテンポニーで、ヒメと呼ばれています。」
リティアがラドの頭より顔一つ分上に出ている黒馬を見上げると、ラドは恭しく頭を下げて馬の紹介をしてくれたが、
「ま、マテンポニーってあの…」
まさかの凶暴な魔獣であったことにリティアは冷や汗をかいたが、ラドが平然とヒメの顔を撫でると、ヒメも気持ち良さそうに目を細める。
「では参りましょう。ヒメも久々のピクニックで喜ぶはずです。」
ラドは当然のようにリティアの手を引き、ヒメの背中へとひょいっと持ち上げる。リティアの身体がふわっと宙に浮かび、慌ててヒメの鬣にしがみついた。ラドが、その後ろに桁外れな跳躍力で座って手綱を握れば、ヒメはブルルと嘶き、速度を上げながら正門を潜って街の中を風の如く疾走していく。どんどん変わっていく景色に目が追いつかないリティアは気分が悪くなっていくが、舌を噛みそうで下手に口を開けられなかった。ヒメは街を飛び出し、煉瓦の道などお構いなしに自由に走り続ける。草むらに潜んでいる小物の魔獣達が大慌てで逃げると、ヒメの口から細長い舌が5本伸びて、小物達を絡めては順番に口に運んでいく。マテンポニーを見ること自体はこれが初めてで、リティアはその光景から目が離せない。見た目は草食動物の馬によく似ているがマテンポニーは肉食で、超大型になると、あの舌で人間を捉えて口に運ぶのだ。ヒメに指示出しを全くする感じのないラドに手綱を握られていて、ヒメもどんどん進んでいく為、遠くに城壁に囲まれた他の街と森林が見えてくる。あの街の中も駆け回るのかなと思うと、サーッとリティアの血の気が引いてしまう。あっという間に目の前まで街が迫ってくると、ラドがここにきて手綱を左に引っ張り、ヒメの走行角度が変わった。街に入ることなく、小さめの森林へと突っ込んでいく。あまり魔獣が出てこない森のようで、ヒメが進む木々の間から大きく綺麗な滝が見えてくると速度が更に上がり、滝の一歩手前で地面を強く蹴って飛び上がった。反動で手が離れたリティアが鬣にしがみつこうとすると、その手を後ろから強く引かれて、身体が空に投げ出される。すぐさま身体を丸めて受け身の体勢を取ると、ラドがヒメの背中を蹴って、宙に浮いたリティアの身体を抱き上げて、軽々と片足で地面に着地すると、
ザッバーン
盛大に水飛沫を上げて水中に落ちたヒメは楽しそうに泳いでいた。ラドに降ろしてもらったリティアは、力が抜けて地面に尻もちをつくことなく、水中に顔を潜らせるヒメの姿をじーっと凝視する。
「リティア様、ヒメが食べられそうな魚系魔獣を取ってくれますので、火を起こしましょう。」
「え!?わ、分かりました…」
何の説明もなく連れてこられて、昼食は魔獣の肉になることを理解したリティアは、言ってくれればもう少し動きやすい格好で来たのにと思ったが、口に出さずに手頃な枝を拾う。ラドは、枝を拾っているリティアから離れて、木々の中へと紛れていった。ヒメの舌に絡めた魚系の小型魔獣が陸に揚げられていき、その中でもリティアが下処理の仕方を知っている藻草鮎は、肉食ではないので安心して触ることができる。枝を表皮を削って鋭利にしてから、鮎の下処理と同じ要領で行って滝壺で綺麗に洗い、枝に刺す。焼く為に火が欲しいけれども、火打ち石は持ってきていないリティアは、下処理した藻草鮎の枝部分を地面に刺していった。食べ方の分からない顎岩魚、血吸出目金魚は、近づかないように気をつけていると、ヒメが陸に上がってきて、ブルブルと身体を振って水を飛ばした。
「ヒメさん、魚を取ってくださりありがとうございます。」
リティアが立ち上がってヒメの頭に手を伸ばすと、少し開いている口から舌が2本チョロチョロと動いているのが見えた。これは『警戒』、3本なら『威嚇』であると図鑑に書いてあったことを思い出す。何も害を加えるつもりはないことの意思表示にヒメの鼻に手の甲を当てる。スー!と大きく空気を吸うヒメは、リティアと目を合わせながら、舌を1本仕舞った。これは『友好』、ヒメは見せなかったが、舌4本で『標的』、5本で『捕食』の意味となるらしいので相手をしっかり観察することは大切だと思う。リティアは舌が1本になったことを確認してから、再度頭に手を伸ばしてゆっくりと撫でると、ヒメは瞼を閉じていく。
「お待たせ致しました。おや、ヒメと仲良くなったのですね。」
ラドの腕には、どこから摘んできたか分からない大きなリンゴがいくつも抱えられていて、今にも落ちそうだった。
「ラド先生、ヒメさんは凄いお馬さんですね。こちらの言葉を理解しているように思います。」
「ええ、とても賢い娘なのです。」
リティアがパチンと両手を合わせれば、ラドは目を細めてヒメの口の前にリンゴを差し出すと、ヒメは3本の舌を器用に使って落とさないように口に放り込む。
べギャッ!
普通のリンゴからは聞こえない音が響き、リティアの撫でていた手が止まる。
「まさかと思いますが、そのリンゴってハエ取りリンゴ?」
リティアがヒメから手を離して恐る恐る質問すると、ラドは処理が終わった藻草鮎のそばに炎を発生させながら無言で頷いた。




