77,少女は抱きしめる
ケルベロス。リティアはその顔を見た瞬間に判断できた。獰猛な瞳は黄金に輝き、口を開ければ人間は簡単に飲み込めるほどに大きい。ギィダンは静かに頭を垂れた為、リティアも慌ててそれに合わせて頭を下げる。
《ギィダン、何故、その娘は私達に頭を下げる?》
「私の動きに合わせただけかと。リティア様、お顔を上げてください。」
「は、はい!?」
ギィダンに顔を上げるよう促されて、目の前の古代魔獣に緊張したリティアは声が上擦り、背中が反り返る。ケルベロスは瞬きをする。
《聖女ではないか。》
「本当によく似ておられますが、別人です。」
《…うむ。折角の客人だ、相手をしてやる。娘よ、お前は何を望む?》
ギィダンがふるふると顔を横に振ると、ケルベロスはリティアの顔に鼻を近づけ、大きな鼻息をかける。リティアは瞬時にギュッと目を瞑り、息も止めた。大きな鼻息がかからなくなってからリティアは恐る恐る口を開く。
「私は、強い魔獣を倒せるようになりたいです…。」
《…それは何故だ。》
3つの頭は、狭そうな空間で同じ方向に首を傾げる。理由を問われたリティアは、何を言うか迷った。セイリンのあの苦しそうな顔を見たくないという理由もあるが、今はそれ以上に、
「魔法が使えなくても、お兄ちゃんのお役に立ちたいのです…。」
《可笑しいことを言う!何だ、この娘は!》
リティアが一生懸命伝えた言葉は、ガハハと笑われ、
「リティア様でございます。」
ギィダンも笑われたリティアを庇うことはなく、ケルベロスの質問に答えるだけだ。
《聖女がこの娘を例えるならば、発掘したての原石だな。面白い。》
「原石ですか…?そんな磨けば光るものではございません。私を例えるなら発芽しなかった種です。」
そんな大層なものではない。ケルベロスに笑われたり、過大評価されたりしたリティアは酷く困惑して、涙ぐむ。
《ええい、発芽しないと決めつけるな。先程から卑下するのは何故だ。その考え方は好かん。我らが直々に教育してやる。》
「ええ!?」
突如、ケルベロスの巨大な身体を覆い尽くすほどの色とりどりの精霊が群がり、リティアはあまりの眩しさに、両腕で目を隠すようにしゃがみ込んで目を瞑った。巨大な力で何されるのか分からないまま、恐怖で身体がガタガタと震えていると、ペロンと腕を何かに舐められて顔を上げれば、
《さあ、我らを連れて行け。》
両手で抱えられるサイズのケルベロスが、可愛らしくハッハッと口を開いていて、尻にフリフリと揺れている尻尾が3本あり、その真ん中の尻尾には親玉にホワイトムーンストーンがついたチェーンブレスレットがつけられていた。その可愛さにキューンと心を奪われたリティアは、とても良い笑顔で順番に3頭の頭を撫でる。
「尻尾にブレスレットつけてて可愛いですね!」
《頭を撫でるな!地上へ連れて行けー!》
先程までの威厳を感じない為か、リティアはぬいぐるみを抱くように、ケルベロスを思いっきり抱きしめた。ふわふわもこもこで顔を埋めたい衝動に駆られる。
「リティア様、やはりこの部屋には精霊人形の棺桶はございません。ケルベロス殿を連れて、ハルド様の援護に回りましょう。」
ギィダンの言葉に、ケルベロスを抱きしめていたリティアは、今いる空間を慌てて見渡して何もない四角い箱であることを認知した。それからギィダンを見上げて頷き、ケルベロスを抱えたまま階段を2人で昇っていく。狭い階段を昇っている間、リティアの手とケルベロスの間に精霊がいくつも吸収されていった為、リティアは理由を考える。
「ケルベロスさんは、怪我でもなさってますか?」
《いや、全く。娘よ、何故そう思った?》
階段を昇りきって、ステンドガラスの色鮮やかな光に照らされながら、リティアが触れたところからハルド達の傷を治してくれた精霊のことを想起する。
「私の手が触れているところからケルベロスさんに精霊達が吸収されているので、精霊が怪我でも治してくれているのかと思いました。」
《うむ…。この精霊は我らの餌になって、身体の一部になるのだ。》
器用に3つの首を同じタイミングで横に振る姿に、密かに感心しながら、
「精霊がご飯なのですか。消化器官ってどうなっているのですか?」
気になることを質問すると、ケルベロスからは返答が返ってこず、代わりにリードしているギィダンがリティアに話しかける。
「リティア様、気になることが多いかとは思いますが、聖堂を出ましょう。」
「す、すみません…。」
興味がつきなさそうな古代魔獣を両腕に抱えながら聖堂を飛び出すと、触角と脚が1本ずつなくなっている郡民コオロギの巨大なキングが聖堂の目の前まで迫ってきていた。
ケルベロスを地面に降ろしたリティアは、スティックを構える。通常のキングより遥かに大きいキングはこちらを襲おうと突進してくるが、マクナム聖堂には通常なら見えない壁、結界が張られているようで、透けた虹色の壁に何度もぶつかっている。その背後からは、飛龍牙が空中を踊るように飛び交い、キングの羽根を傷つけて飛べないようにしているようだ。
「ハルさん、私も戦います!」
馬車の中で言わせてもらえなかった言葉を宣言するリティアに、合わせるようにギィダンも指を剣にして、結界の外へと走り抜けてキングに斬りかかる。リティアも結界から出て、小瓶に詰まった粉を撒けば、虫系魔獣の小物達はその散布箇所から距離を取り、リティアはその上に乗ってスティックで魔術陣を描き、キングへと炎の槍を投げつけると、キングの口から唾液のような液体が噴射されて槍が消されてしまう。リティアは諦めずに出来るだけ発動タイミングを早めて、複数の槍を発動させると、ハルドがキングの頭上へと飛龍牙を投げ、ギィダンは10本の細い剣で右足を斬り落としにいく。キングが羽同士を擦り合わせて音を鳴らすと、何処からか大量の郡民コオロギが現れ、槍に飛び込んでキングの身代りになる者、飛龍牙の直撃位置に山積みになってキングの盾になる者、自ら剣に刺さりに行って殉死する者で溢れ返る。これではまるでクイーンを守る騎士のようだ。
「このキングは何でクイーンの権限を使えるのです!?」
「リティ!このキングは、先程俺が倒したクイーンを喰ったんだ。権限の譲渡が起きたのだと思う。」
リティアが驚いて声を張り上げると、飛龍牙をもう一度投げるハルドが説明をしてくれた。権限の譲渡なんて初めて聞くリティアは、冷や汗をかいたが、攻撃の手を緩めるわけにはいかない。何度郡民コオロギが飛び込んでこようが、槍を投げ続けた。ギィダンも刺さってくるコオロギを抜いてはまた刺さりに向かってくるコオロギ達の対応に追われていた。
《生温いことをして遊んでいるのか、飛龍?》
ケルベロスの声が響くと、キングを見下ろすほど巨大になったケルベロスが現れる。それを見たキングが警戒の羽音を鳴らすと、ケルベロスに向かって集まってきていた全てのコオロギ達が一斉にケルベロスの身体に喰いつくが、ケルベロスが煙たそうにブルンと身体を震わせると、コオロギ達は水滴が飛ばされるように空中に放り投げられて、黒い前足がキングを踏みつけて…
バキバキ
そのままキングの表皮の装甲ごと潰した。器用に肉球の間に2つの魔石を挟んで、リティアの目の前まで歩き、ボトッと地面に落とした為、リティアは急いで拾い上げる。キングを失った民は次のキングを探す為に、飛び上がったところを空中を回転している飛龍牙によって粉々に粉砕されて、黒い雨を降らせた。ハルドは獣のような鋭い目つきでケルベロスを見据える。戻ってきた飛龍牙を携えて、大股で大きくなったケルベロスに近づき、
《ケルベロスの目も遂に老いたのか。誰がこんな雑魚と遊ぶと思う。》
ゴォォォと暴風が吹き荒れ始め、草原に棲息している虫系魔獣は本人の意志と関わらず宙を舞い、リティアも耐える為に慌ててしゃがみ込んだが、風の力に勝てずに草むらに倒れ込んだ。