64,教師は挨拶に行く
生徒達を調合室で待たせて、ラドを連れて4階の聖堂の扉を開くと、既にアギーも帰っていたようで、白い装束の男性が静かに佇んでいる。ハルドもラドも、一歩入れば二人揃って黙礼をした。
「リファラルさん、ありがとうございました。」
「いえ、大したことはしておりませんよ。それよりもリティア嬢ちゃんには何て伝えたのですか?」
ハルドが丁寧に礼をすれば、リファラルから返ってくる声は優しく、2人に自ら歩み寄る。
「それは『聖者の手』を持つ者が治療をしてくれますよと事前に伝えました。」
「それはリルド坊っちゃんの異名ですので、老いた『聖者の手』とでも言っておきましょうかね。」
もう結構な歳ですからねと、ふふっと笑うリファラルに釣られて、ハルドも陽気に返す。
「リティは、そこらは気にならないかと。白い装束で仮面を被っているリグも、気がついてしまったようですから、リファラルさんが勘付かれるのも時間の問題ですかね。」
「リティア嬢ちゃんは、よく他人の細部を見ておりますから仕方ありませんね。しかし、まさか彼女がマーキングされるとは。」
笑っていたリファラルの声のトーンは落ち、2人は背筋を限界まで伸ばし、指の先まで力を入れる。
「それに関して報告しておきたいことがございます。リティは、マインドコントロールを受けていないようで、夜中に歌が聴こえたときに、『不快』と感じたようです。また、リティアは、調理室の窯の魔術で発動させた炎でセイレーンを燃やそうとして、蔓は燃えても花は燃えきらないまま、花だけで飛んできて、喰らおうとしました。」
ハルドが上司に報告をするように、ハキハキとリティアからの情報も合わせて話すと、リファラルは、仮面の上から折り曲げた人差し指を当てる。
「…、おかしいですね。誘惑の音を使っておびき寄せる魔獣が、わざわざ嫌われる音を奏でますか。ましてや花は口、栄養を流したい蔓なしに食べるなど。」
「自分もそう思います。これは野生種の魂喰いセイレーンではなく、旧校舎で人為的に作られた亜種かと。」
既に旧校舎の中にもデンキナマズの亜種、ラドも見たことのない魔獣が居たくらいだ。魂喰いセイレーンの亜種がいてもおかしくない。作られた理由が何なのか、それは旧校舎内にあった資料を燃やされていた為、分かっていない。
「亜種ですか。では、ここには野生種と亜種が共存していると。交配でもされたら面倒ですね。」
その言葉に、ゾッと背筋が凍る2人。リファラルは思案をしているようでそれ以降言葉を発することなく、長い沈黙が流れた後、ラドが意を決して口を開く。
「この話とは異なるのですが、私からも良いでしょうか?」
「ラド殿、どうぞ。」
ハルドより一歩前に踏み出して、上司への報告を始める。
「精霊の異常発生を起こしている場所が学校敷地内に増えました。発見したのは昨日の15時頃で、場所はグラウンド傍の倉庫の内部となります。」
「ではやはり、もう結界は壊れかけているということですね。あの危険な魔獣達が街に溢れ出す前に始末しなくては。今後、団はどう動くか聞いておりますか?」
リファラルは、仮面の上から顔を右手のみで覆い、2人に悩んでいる仕草を見せる。
「まだこのことを報告しておりませんので、また変わると思いますが、この前のリグレス隊長補佐の話ですと、生徒達の夏休暇に調査団を派遣するように手続きを行うようです。」
「ふむ。やはりあの団を動かすには時間がかかりますね。仕方ありませんね、引退した身ではありますがこの老体にもう一度鞭を入れましょう。」
リファラルのまさかの発言に、ハルドとラドの声が被る。
「何をおっしゃいますか!危険ですので」
「その代わり、ハルド殿、ラド殿、私が朽ちたときは心臓を取り除いて下さい。魔獣なぞに死んでもくれてはやれないのでね。」
右手で仮面を少し顔の上部が他人に見える位置まで外し、ハルドとラドを向ける目は鷲のように鋭かった。
リファラルを校門まで見送り、校舎へと戻る最中にハルドが、ラドを軽く肘でどつくと、嫌そうな顔のラドからも返された。
「何だ?」
「早朝の戦い後にセイリンがリティに言ったことを憶えているかい?」
ラドは何のことかと頭を捻って、記憶を辿りながら答える。
「あー。守れなくてすまないっていうあれか。」
「それ。けれどリティは、セイリンと一緒に戦ったって言ったんだ。」
ハルドもラドも、校舎への帰り際にその戦いの場を目視して、魔獣の痕跡がないかを確かめつつも会話を続ける。
「2人の認識の違いだな。セイリンの中では、リティア様を守るべき姫とでも位置づけしているのだろうよ。」
「けれど、リティは共闘する仲間との認識だよ。この認識のズレは必ず衝突することになる。元々、誰にも頼らずに1人でやろうとするリティだ。森での採取も1人で行うことが日常茶飯事だったし、慣れてもいるからね。」
ハルドは体育館の壁に近づき、先程の屋根の上にいた敵は全く視界に入らないことを再認識する。
「いずれ衝突するだろうな。することも勉強だから、見守るしかない。」
「そうだね…、リティがやっと他人を頼れたというのに、また逆戻りするのは嫌だな。」
壁の確認を終えたハルドは、地面の凹凸を踏んで平らにしているラドの隣に戻り、玄関から校舎に入る。
「その時は、お前が導いて差し上げるんだ。」
「あるいは過保護お兄ちゃんのところに返すか。」
自分で言ってプッと笑いを溢すハルドに、ラドは呆れたようにため息をついた。
「1人でやりたいリティア様と、やってあげたい隊長も衝突する可能性があるな。」
「リルが大荒れするのが手に取るようにわかる…」
ハルドは、うわっと声を漏らして頭を抱えることになる。ふらふらとしながらも調理室の扉を開けて、お茶をしている生徒達へと笑顔を向けると、ラドに鍛えている腕っぷしで背中を押され、教室内に押し込まれる。
「ラド!」
「ハルド先生、申し訳ございません。壁が邪魔で入れなかったので、退かさせて頂きました。」
表情をあまり出さないラドから、体育教師としての爽やかな笑顔が繰り出された。テルが大慌てでハルドに駆け寄り、大丈夫ですか!?と背中を心配してくれたものだから、良い子良い子とテルの頭を撫でる。飛び出したテルより少し出遅れたが、ディオンも心配してくれ、ハルドは、苦笑しつつも軽く手を振る。
「ラド先生は、普段どのようなトレーニングをなさってますか?ご教授を願いたいのです。」
「そんなに慌てなくても、後期からはかなりハードな体育になりますから、それを楽しみにしてください。」
ホッと安堵したディオンは、先程の腕力を見せたラドに疑問を投げると、簡単に流されてしまう。
「学校の授業で、ラド先生みたいに腕力だけで大木をへし折れるようにはならないと思うけどなー?」
故意的に発言を避けたラドに、にたーっと口元を上げるハルドが先程のお返しをする。
「え?ラド先生、そんなことが出来るんですか?」
「まさか。ハルド先生の悪ふざけですよ。そんなことできる人間が居たら是非お会いしてみたいですね。」
ディオンではなく、ソラがギョッと目を大きく開きながら反応すると、ニコッと笑顔を浮かべて否定を入れるラド。
「鏡で見せてあげようか?」
「ハルド先生は面白いこと言いますね…」
黒い靄が背後から立ち昇る雰囲気を漂わせながらニコニコと笑顔を作るハルドと、爽やかに微笑みながらも指の骨をゴキッと鳴らすラドの間で、バチバチと火花が飛び散っていた。




