56,少年は心配をする
いつも通りの月曜日。歴史と数学の一般科目の授業は1,2限で行われ、3限の体育はグラウンドを使用してのサッカーをすることになっていて、2限の授業が終わり次第、ソラもテルも生徒用玄関横の男子更衣室で着替えて2人分の着替えを1つのロッカーに放り込み、鍵はテルのズボンのポケットに仕舞われる。
「ソラ、グラウンドまで勝負しよ!」
「ああ。」
他の生徒よりも早く飛び出して、グラウンドまで競走をする双子は、先にグラウンドにサッカーコートの線を引いて用意しているラドの目に映った。
「ソラ君とテル君、申し訳ないのですが階段を降りたら手伝って頂けますか。」
「はーい!」
「はい!」
階段を結構な速度で降りてくる2人は、とても良い返事を返した。入学当初とは見違えるほどに体力がついたようで息切れもせず、ラドの傍に駆け寄り、ソラが口を開く。
「何をすればいいですか?」
「倉庫にあるサッカーボールのカゴを4つ持ってきてくれると助かります。」
「分かりました!ソラ、早く行こー!」
ラドの指示を受けて、楽しそうに笑うテルがソラの手を引っ張ると、ソラもテルの隣を走って温室植物園よりも手前にある倉庫に入っていく。その姿に目を細めて、
「入学当初よりも兄弟間の距離も近づいたようでよかった。」
ラドは右頬にえくぼを作り、自然と口角を上げていた。
「このカゴ重い!腕抜ける!」
「1人で持たなくていいだろ!片側は俺が持つから!」
双子は、楽しそうに肩の高さまであるカゴを2人で持ち上げて戻ってくる。ラドはその間に、続々と降りてくる男子生徒達に倉庫横に置いてあるサッカーゴールを複数人で運ぶように指示を出した。
「あと3つ!」
「今行く。」
ラドが引いたサッカーコートの外にカゴを置いたら、また走って倉庫へ向かう。そうしている間に授業開始を告げる鐘が響き、男子生徒は素早く整列して点呼を始めた。
「ラド先生、アギーがまだ来てないみたいです。」
男子生徒の1人が、ラドにここにいない生徒の名前を報告しにきた。アギーは魂喰いセイレーンの被害者であり、まだ体調も万全ではないだろうがここ数回の体育には出ていた。ラドは、とりあえず他の生徒達に準備体操を促し、階段へ向おうとすると、
「ラド先生!俺がアギーを探しに行ってきます!」
「テル君…。ではお願いできますか?」
「はーい!」
と、元気良く手を挙げたテルは猛ダッシュで長い階段を駆け上がっていった。
テルが駆け足で生徒用玄関に戻り、キョロキョロと見渡して、男子更衣室もチラッと覗くが誰もいない。んー。と頭をひねりながら2階の教室へと戻ってみる。2限は移動教室ではなかったため、そのままいるとするなら5組の教室だ。静かに教室の扉を開き、床に倒れている可能性も考慮して教室内を歩くが、アギーの姿は見つからない。こてんこてんと左右に頭を傾けて悩むテル。
「何処だー?」
《噴水》
どこから聞こえてきたか分からない女性の声に、全身に緊張が走り、素早く周りを見渡すが、先程見た通り、誰もいなかった。それでも、緊張を解かず、体勢を低くしてこまめに周辺の様子を窺いながら、教室を出る。もう一度見返しても、やはり誰も居なかった。ゾゾゾと背筋が凍る感覚に見舞われ、階段を猛スピードで駆け下りる。
「噴水…」
階段を降りきったテルは小さく呟く。確かにそう言っていた。疑心暗鬼になりつつもテルが、1階の接続通路脇の扉から中庭に出ると、噴水の受け皿に顔を沈ませている男子生徒がいて、テルは血の気が引きながらも駆け寄り、シャツの襟を掴み、力任せに顔を引き上げる。引っ張られた勢いで身体のバランスを崩し後ろに倒れ込んだアギーは、ピンク色の髪から水を滴り落として放心している。テルは青ざめたまま、心ここにあらずのアギーの肩を強く揺さぶり、何度も他の階まで届きそうな声で名前を呼ぶ。
「あれ…テル君…?」
「アギー君!良かったあうあわああん!」
ぼんやりしていたアギーの視界がしっかりとテルを捉えられたことに安堵したテルは、幼い子どもが泣きじゃくるように大声で泣き始めた。ボロボロと大粒の雨をアギーの顔の上に落とし、その姿にギョッとするアギーは、
「テル君大丈夫…?」
テルのことを心配そうに眉を下げて見守っている。顔を涙でぐちゃぐちゃにしているテルは、
「よかったぁ、生きてて良かったああ…」
自分の袖で涙を拭い、
「ガンドンおじさんみたいに死ななくて良かった…」
押し殺した声で吐き出した。視界がクリアになった瞳でアギーを凝視すると、自分より小さい肩がビクッと跳ね上がる。テルはそれを確認すると、右腕を大きく振り上げて怯えているアギーの頬を引っ叩いて、
「二度と自殺なんてしないで!」
「べ、別に死にたかったわけじゃ…」
怒鳴り声に、こもった声で反論するアギーの姿に普段のテルからは想像もできない口調が飛び出しだ。
「こんなことしておいて、ふざけたこと抜かすな!」
「ひぃ!」
ガタガタと怯えるアギーの腕を無理やり引っ張って、グラウンドではなく医務室へ連れて行く。
「ゴーフル先生いますか!!」
「そんな大声出さなくても聞こえておるよ。どうした、喧嘩でもしたのか?ここまで響いてきて、薬を持ってきてくれていたハルド先生まで驚いていたぞ。」
テルが勢いよく扉を開けると、医務室の机で書き物をしているゴーフル、その後ろの棚に瓶や軟膏
つぼを仕舞っているハルドがテルに注目していた。
「すみません、アギーが!アギーが噴水に顔を突っ込んでました!」
今にも噴火でもするのかと思えるほどの勢いで、水に濡れたまま青ざめているアギーを引っ張りながら、ゴーフルの机まで突進するテル。獣のような鼻遣いのテルを目の前に身体を反射的に反らすゴーフルに代わって、ハルドがテルと向き合って、テルの勢いを殺すようにゆっくりとアギーとテルの間に入り、アギーの頭に白いタオルを乗せる。
「…そうだったのかい?テル君が気がついてくれて良かったね。アギー君、良ければこの後ここで話を聞いてもよいかな?」
「え…はい。でも、死にたかったわけでは…」
「それについても詳しく聞かせてほしい。テル君は、放課後に調合室においで。」
ハルドは、おどおどと話すアギーに椅子に座るように促し、怒りの収まらぬテルの頭をポンポンと軽く撫でる。
「ハイ…」
「テル君、君を怒ることはないよ。友人を救ったんだ、立派じゃないか。」
萎れる花のように鎮火していくテルの肩に手を置き、微笑みながら称賛を与えると、
「ハルドせんせぇ…大好きい!!」
「あはは、ありがとうね。」
甘える幼い子どものように無邪気にハルドに抱きついて頬ずりをしてきたため、一定のリズムで軽く背中を叩く。暫く抱きついていたら、興味をひくことがあったのか、突然ハルドの服をクンクンと嗅ぎ始めた。
「香水…?」
「つけているよ、かっこいい大人の身だしなみだからね。」
にこーっと笑顔を作ると、テルもニカーッと笑った。椅子に座っているゴーフルもアギーも二人のやり取りを静かに見ているだけだ。アギーはまだテルに対して怯えた表情を見せている。
「じゃあ、俺もかっこいいね!香水つけてるし!」
「そうだね。じゃあそろそろ、授業戻りなー。」
「はーい!!」
ハルドは、上機嫌になったテルの頭をもう一度撫でて、元気に挨拶を返したテルを医務室から退出させると、今度はアギーへと振り返る。その瞬間、アギーの肩がビクッと上がった。
「アギー君は怖かったかもしれないけど、テル君はとても君を心配しているんだよ。」
これ以上怖がらせないように微笑みながら、ゴーフルの机を間借りして1枚の紙をアギーの前に差し出す。その紙には罫線が引かれているだけで他には何も書いていない。ただ、上部に不思議な空欄がある。
「この紙に最近起きたことを書いてほしいんだ。君の体調を治した聖者様にお伝えするから。」
「あ…。分かりました。」
アギーは先程まで怯えていたことが嘘のように、ゴーフルからペンを自主的にもらい、サラサラと書き始めた。




