55,教師は首輪をつけられる
ハルドの近くの机に教科書や、図書室で借りたであろう本が積まれていき、当たり前のように5人は椅子に腰掛けてノートを開く姿を片手で頭を抱えながらハルドが見ている。勉強を始めようとどの科目をやるか話し合いが始まると、ハルドの大きなため息が聞こえてきた。
「君達、まだ採取サークルを立ち上げていないというのにこの教室で勉強するのは如何なものかな?」
「え、可愛いリティにまだ日が照っているベンチで勉強しろというのですか?」
セイリンがリティアの頭をひたすら撫でると、リティアはエッ!?と慌てふためく。
「セイリンちゃん、何を言っているのですか!?」
「…セイリン君の神経は図太いとは思っていたけどここまでとは。前回のお茶会で既成事実を作ったと。」
ハルドは席から立ち上がり、テルに強制的に本を片付けさせると、セイリンは勢いよく立ち上がってハルドに食って掛かる。テルがせっせと片付けている間、ソラは立ち上がった2人を視界に入れながら船を漕ぐ。
「ハルド先生、よく考えてくださいよ。既に課題にあった長距離走に関しては、今日の出来事で全員が合格しているんですよ。」
「は、はぁ。」
ディオンにセイリンの前にあったノートとペンを渡しながらも、一応セイリンの主張を聞く。
「湖で泳ぐとのことでしたが、今やコオロギの死骸で埋まっていますので泳げませんよ、ね?」
「なるほど…、期限前に合格にしろと言うんだね。」
勝ち誇った笑みを浮かべたセイリンがもう一声と、リティアを軽く肘でつついて発言を促す。
「泳ぐだけならプールでも出来ますよ…?」
「リティもセイリン君の肩を持つと。」
リティアからの提案に、ハルドはガクッと項垂れた。そうしている間にもディオンとテルは、テキパキと片付けて、眠たそうにしているソラを両方向から支えて立ち上がりやすいように配慮している。
「…まあ、郡民コオロギの件があるから、再来週の旧聖教会への入場許可も降りないかもしれないからね…。」
「ということは!?」
思案する様子を見せるハルドに、目を輝かせたセイリンはグッと距離を詰めたが、ハルドから鋭い眼差しを向けられることになる。
「いや、今は合格とはしません。」
「なっ!?」
欲しい答えが返ってこなかったことで、セイリンはふらふらと後ろの机に尻をぶつける。
「来週の土曜日にプールで泳ぎを見せてほしい。1週間早い形になるけど、それから正式に発足させよう。」
「今からでも良いですよ!?」
「皆がセイリン君みたいに体力オバケではないんだよ。ソラ君の瞼はくっつきそうなので、ここで勉強しないで寮へ帰って休むこと。」
ハイ、解散!とハルドに帰るように促され、セイリンは若干不服そうに外へ出され、ソラはテルに手を引かれながら教室を出ていった。リティアがまだ座っていたが、
「紙は明日で良いから皆と一緒に帰りなよ。」
「ハルさん、困らせてしまってすみません…」
ハルドに帰るように促され、リティアは今にも泣きそうな表情になりながら、深く頭を下げて謝る。
「困ってないよ、君達の成長を楽しみにしている。」
贈られたブレスレットを着用している左手で、その下がった頭を髪を梳くようにハルドは優しく撫でた。
生徒を追い出して静寂に包まれた調合室で、ハルドは見えない空間から取り出した新しい飛龍牙の微調整をしていた。元々、飛龍牙自体はそれほど珍しい武器ではなく、武器屋がインテリアとして飾ることもある代物だ。扱える人間は限られてくるので、売り物にはならないケースが多く、ハルドはそういう飛龍牙を友人の伝手だったり、魔法士団からの支給としてだったり、飛龍牙を鍛えることが可能な鍛冶職人に頼んだりと、予備をいくつも持つようにしていた。デンキナマズに溶かされた飛龍牙は、自分の中に眠る飛龍の牙で、その死骸から既に牙を抜いて魔法士団の倉庫に保管されていた。バカでかい犬歯を削って形にするため、一体から4つまでしか手に入らない上に、その個体によって特徴が異なるため、手に馴染ませるまでに結構な時間を要する。
「…。」
ハルドは集中して削りの甘い箇所を細かく金属製のヤスリで削っていく。両端までしっかり左右対称になるように細心の注意を払い、どこを掴んでも投げられるように持ちやすい形にしていく。
「あー、いつからいたんだい?」
「生徒達と入れ替わりくらいか??」
「もう少し後だろ、そのタイミングなら削りをしないから。」
扉に寄りかかるラドは、真剣に削っていたハルドに声をかけることなく、静かに佇んでいた。
「また魔獣の大量発生があったようだ。旧聖教会の周りは1ヶ月保たなかったな。」
「近年、彼らは異常なほどに活発になっているね。旧校舎内も同様だ。瞼に傷を持つ飛行型魔獣もあの夜襲から姿を暗ましているし、嫌な感じだね。」
ハルドがやすりカスがあまりついていない左手をラドに差し出すと、扉から離れてその手の上に右手を軽く乗せる。ラドの視界に今日の喫茶店での昼食時の光景が広がる。リティアが以前にハルドの記憶を見せてもらった時と異なり、声音がラドの耳に鮮明に届く。「郡民コオロギに襲われた」「数だけ見るなら3つの集団」とセイリンとリティアの声が聞こえてくる。
「…彼女達は既に巻き込まれたか。セイリンにはこの前、魔獣が活発になっているようだから、街道に出る時は気をつけるようにと注意したというのに。」
ラドは、目頭を押さえて小さく唸る。ナマズにやられたハルドの重症をセイリンには見せないように、リティアだけハルドの元へ行けるようにと、セイリンが興味をひくであろう最近の魔獣動向を伝えてやったのに。
「サークル発足の為の課題を、旧聖教会へ走って辿り着くことにしていた俺が悪いんだよ。きっと彼女達は勇敢に戦ったのだろう。明日にでもリティから目撃情報の紙が提出されるはずだ。」
そう言うとハルドは、ヤスリがけの道具を箱に片付けて飛龍牙も空間を歪ませて仕舞ってから、良い笑顔でラドに左手首のブレスレットをチラつかせる。
「リティがくれたんだ。かなり高性能なお守りだろ。」
「…良かったな。魔力増強ではなく、治癒特化を選ぶとは彼女らしいと言うべきか。」
ラドの目で視ると、結構な数の精霊がブレスレットの中に詰まっているように映り、しかも色の比率としては、攻撃象徴の赤や黒ではなく、治癒に関係しやすい緑、白が高い。上機嫌なハルドは、ブレスレットを手首のスナップをきかせてクルクルと回す。
「ディオンも貰っていたよ。しかも既に使われた跡もあった。コオロギ戦で波に飲まれたとも言っていたから、喰われたんだろうね。」
「…そうか。それでお前も、中の飛龍も、リティア様からの首輪を授けられたと。」
リティアの為に淹れた珈琲を流し台で捨てる為に浮遊させていたカップをラドの言葉で落として割りそうになった。ラドの咄嗟の魔法で難を逃れたが。
「ブレスレットをよく見てみろ。以前治癒魔法をかけてくださった時に感じたリティア様特有の魔力が微量ではあるが備わっている。」
「ああ…本当だ。先程は嬉しいだけで気が付かなかったな。そうか、もしかしたら今度はルナ様のマインドコントロールを弾けるかもしれないんだな。」
ラドに指摘されて、改めてまじまじとブレスレットを眺めるハルド。
「積極的にリティア様から魔力を譲り受けるといい。」
「教えてくれてありがとう。じゃあ、リグも帰ってきているだろうし、喫茶スインキーに行かないとね。」
ハルドは流し台で先程のカップを洗ってから、ラドと共に夕暮れ時の街にスーツ姿の男性2人が繰り出していった。




