29,教師は飛び降りる
「リティも、ディオンも嘘つくとは思えない!」
調合室には、グラスポットを沸騰させてから、2人分のカップに珈琲を入れながら、声を荒らげるハルドと、耳を塞ぐラドがいた。
「そうだな。結界内だから外に音は漏れないが、俺の耳に響いて煩いから、少し声量を下げて喚け。」
「と、とりあえず、今後は生徒が寮に戻るまで、接続通路で見張りをすることになった…」
ハルドの声は、ラドに注意されたら途端に沈んでいき、ラドは軽く返事をする。
「そうだな。」
淹れたての珈琲の香りを楽しみながら、口に含む。ハルドの方は、カップをただ揺らして水面を眺める。
「…。」
長い沈黙が流れ、ラドのカップは空になったが、ハルドのカップは半分も減っていない。ハァとため息をついたラドは、話を切り出す。
「聞きたい話はそれではなく、ディオンが精霊を見ていたということなんだが。」
空になったカップをラドがトントンと叩くと、白湯ができる。それを見たハルドは明らかに嫌そうな顔をして、珈琲ドリッパーを白湯の入ったカップに乗せて、少し力を込めて数秒待つと、珈琲の香りが漂う。ドリッパーを外すと、白湯は珈琲に変わっていた。
「ああ。あの噴水が虹色に見えたと言っていた。リティは、見えておかしくないし、仕組みに気がついたようで月が映っているはずの水面に手を伸ばしていた。」
あの噴水は魔法でカモフラージュされていて、魔法士でない者が見れば、普通の噴水でしかないし、興味を示さないようにマインドコントロールする魔法も上乗せしている。ディオンが見たという虹色の光は精霊そのものだ。怪訝そうな顔をしながら珈琲を口に含み、言葉を続ける。
「けれど、ディオンは俺の指から発生させた精霊には気が付かなかった…」
魔法士の素質さえあれば、見える程度の精霊を浮遊させたが、眼球は動かなかったと付け足す。2杯目の珈琲で唇を潤わせながら、ラドは少しだけ思案し、瞼を閉じる。
「彼が精霊付きである可能性は?」
たまにではあるが、昔から人間でも動植物でも、特定の精霊が傍を離れない現象が報告されている。ここから、精霊には意思があるのではないかと議論に花が咲いた。魔獣にも、魔法士にも、精霊の意思の有無は関係なく力を行使できる。弱い魔石付きスティックの使用や、魔石を介さない魔術は影響を受けると考えられている。ハルドも、眉間に数本の指先を当てて唸った。
「ラドだって見たことあるだろう。俺は精霊がついているように見えない。けど、この目で見えていない精霊も存在するのは分かる。」
「俺達に見えないくらいに、かなりの弱小精霊なら可能性はある。何かしらの注意を促す為に『見せた』か。」
どういうつもりで見せたかは分からないが…と、珈琲を飲み干し、再び白湯を作る。そうすると、至近距離にいるハルドから珈琲豆が入ったガラス瓶を投げられる。顔色を変えないラドは、指の腹に緑色の精霊を集め、吸着させるように受け取った。蓋を開けて豆を数粒だけ取り出し、白湯の上で落とす。白湯に到達する前に、豆が独りでに粉砕していった。
「ああ…なるほどな。しかし、俺の目で『見て』も彼に魔法は使えない。やはり、こちら側ではない。」
「そうだな。」
不要になった瓶を机の上でスライドさせて、ハルドに返す。ハルドが一瞥すると、収納ケースの定位置に戻っていった。
「今回の事を考えても、せめてリティには早めに防御魔術を教えるべきか。彼女が1番引き寄せられるというか、呼ばれてしまう。」
ハルドは、冷めきっている珈琲に自分ではなく、リルドとリティアの顔を映し出しては、ゆっくりとマドラーでかき混ぜる。そして、はあとゆっくりため息をつく。
「最初から教えるつもりだっただろう。元々、お前はそばに来るように仕組んだじゃないか。そっちはどうなっているんだ?」
「リティは、難なく合格するさ。精霊に観察させている感じだと、他のメンバーに難しそうなのがいるから、サークル発足になるか怪しい。ここ近辺は海や湖がないから、泳ぎの練習に時間取られるかと思えば、20km走れないほどに体力がないのが居るなんて思わなかった。」
と、ハルドは嘆く。馬車を利用できる人間は、民の中でも一部だ。貴族でもない双子は、日常的に長距離歩いていてもおかしくなかった。しかし、その片方がどうも怪しい。
「しっかりしてくれ。手伝えることは手伝ってやるから。ある程度落ち着いたら、リティア様を守るように他の生徒を誘導しろよ。」
3杯目の珈琲の上澄みだけ飲み、カップの底に役目の終わった珈琲豆を残す。ハルドもやっと1杯を飲んだ。
「勿論。俺がずっと傍で守るわけではないし。けれど、リティを奪われるわけにはいかない。」
ハルドは、机の上で拳を作り力を込めた。それを見たラドは立ち上がり、ハルドの足元にあるトランクを引きずり出す。
「それで彼女は、自分が祖母宅から実家に戻された理由を知っているのか?」
トランクを開けば、純白のマントが2着。その下には、胸当て、肘当ての軽装備が仕舞ってあった。自分の物を確認して、2人分を分けていく。
「恐らく表向きだけかと。」
話しながらもラドに手渡された装備一式を受け取り、身につけていく。
「承知した。まあ、幼いリティア様がお前を救ったことも今の彼女は知らないだろうな。」
装着を先に終えたラドは、天井に向けて手のひらをかざす。その途端、空間が歪み、槍が手の上に降りてくる。その十字の刃には鱗の模様が浮かび上がっている。
「…。いつか、また見つけてくれると信じているんだ。」
ハルドも物思いにふけながら、飛龍牙を隣の空間から取り出す。
「そうだな。そしていつか、彼女はこの歪さに気がついてしまうんだろうな。」
「今はまだその時じゃない。」
話しながらも互いに指差して、ほつれがないか、破損がないかを確認をする。
「…死人と捕食者か。」
フッとラドが笑う。
《そうだな。》
ハルドはもう口を開かない。その代わり、ラドの頭に直接話しかける。ラドは、では、と一度口を閉じ、1拍おいてから、
「仕事だ。」
向かった先は扉ではなく、窓を大きく開き、ハルドから先に飛び降りる。輝きを放ち続ける噴水に向かって。ハルドが目の前の空間から消えたことを確認してから、ラドも飛び降りた。これから『怪異討伐班』としての任務が開始されるのだ。
世界がひっくり返ったみたいだ。リティアは、ベッドに潜ってから少しすると、不思議な感覚に囚われた。ぐるんと、身体だけではなく、目の前に映るもの全てが半回転した。それでも、何も落ちることなく、ただその形を保ったままで止まっている。天井にくっついているベッドで眠っているみたいだ。外からどよめきも聞こえてこないため、自分だけなのかと考えるが、空間に歪みが見つけられないため、恐らくはこの建物全体で起きている。立てるのか疑問に思い、布団を取ろうとすると、抵抗する力を感じる。精霊達の浮遊の感じは変化がない。ということは…
「こうなるように最初から設計されている…?」
何かを隠した噴水、魔術士養成高等学校に何故かいる魔法士団所属のお兄ちゃんの隊員達。それだけではない。入学して数日間の特別教室内に書かれている『精霊文字』たち。魔法士にしか読めない文字をわざわざここで使用するのは何故か。魔術士団の団長が挨拶するだけの時間のために、どうして父とお兄ちゃんは学校にいたのか。
「…何か、何かが蠢いている。」
リティアの知らないところで、今も何かがこの学校内で暴れているような感覚に襲われる。
「怖い…怖いよ。」
ベッドから降りることを諦め、その代わりに頭まで布団の中に隠した。両手で耳を塞ぎ、自分の感覚を遮断するよう強く目を閉じた。




