24,隊長は癒やされる
「え、魔術士養成高等学校からのダンスパーティーの招待状?」
「そのようです。参加申し込みの期間が短く、王都と学園都市での手紙のやり取りが困難だったようで、ハルドが勝手に申し込んだようです。日にちは、9月29日となりますので、大分先ではありますが、他の予定を入れられる前にと赤い付箋を付けさせていただきました。」
リグレスは、送られた理由を知っていたらしい。リルドの前で卓上カレンダーをパラパラとめくり、その該当日に丸をつける。リティにどんなドレスを贈ろうかと今すぐ店を探したいくらいに心が躍る。その紙を両手でしっかり持ち、ソワソワしながら、
「リティと踊れる…?」
「それは彼女次第かと。」
絶対とは言ってはくれないようだ。リグレスも行くだろう?と聞くと、遠慮しますと首を横に振る。リティの『お披露目』が何事もなく終わっていれば婚約者候補だったからか、どうも会うことに消極的だ。どう連れて行ってやろうかと頭の片隅に考えることとして置いておこう。でもその前に、
「絶対に魔獣を討伐する。」
魔獣にこれ以上街を襲わせてなるものかと決意を固める。
「それは皆で成し遂げましょう。では、こちらが此度の轟牙の森における討伐報告書となります。」
本日もお疲れ様でした、とまるでご褒美のように頭の上でひらひらさせながら渡される。早速封筒の紐を解き、中身を確認し始める。ウミヘビが2体棲んでいたこと、討伐完了していることが最初の一文に記載がある。その次の行からは詳細な内容が書かれている。
「リティ、同行していたのか…!しかもその友人が彼女を守って負傷したなんて。いくら治療したからと言っても!」
報告書の上部を読んだだけで、卒倒しそうだ。リグレスも身を乗り出して、報告書を覗く。
「ああ、これは騎士貴族ルーシェ家の従者の名前ですね。結構有名な少年ですよ。ラドは、あの剣を譲ったようですね。」
リグレスは報告書にある名前を指さして、彼に関する説明を始める。
「ディオン・ラグリード。漆喰の狼『クレイジードレインウルフ』から唯一生還した少年で、あの地域の狩猟民族の生き残りとなります。ルーシェ家に仕えていた小貴族ラグリード家が養子に迎え、そこからルーシェ家のご令嬢の元へ従者として差し出しました。」
「貴族同士のそれはよくあることだね。しかし、あの狼から逃げられるなんて、かなり困難を極めていないか?」
貴族同士の繋がりや、服従の意をこめて、養子に迎え入れた子を奉公に出すことは日常茶飯事だ。遠縁であるリグレスが、リルドの従者であることもそれが理由である。それにしてもルーシェ家の従者とは…。魔術士養成高等学校に出向いた時、リティを隠すように前に出た少年も、ルーシェ家の従者と言っていた気がする。となれば、彼か。リグレスからの説明の中で、静かに1人納得した。
「そうなんです、しかしあの当時幼かった本人に聞いてもよく分からず。ただ、『黄色いお友達』を追いかけていたら、女の子にぶつかったと話していて、魔法士の間では『精霊の抜け道』を使ったのではと噂されています。女の子はルーシェ家のご令嬢が、討伐に行った団員達の後ろを勝手についてきていたようでしたので、そちらかと。」
当時まだ6歳くらいだった少年は、見たこともない大人達に質問の嵐をぶつけられて、怯えながら、どれだけ言語化出来たのだろうか。狩猟民族となると、大人になっても文字に触れていない者も多く、言語での説明を得意としないことが多くある。
「抜け道か、特定の精霊に導かれたかだね。稀に見えもしない人間にくっつく精霊もいるし、その可能性も捨てきれないね。」
瞼を閉じて、どのような状況か考える。大人の肩まで隠れるほどに生い茂る草花が多数繁殖している地域だ。6歳の子どもは、頭すらも隠されているだろう。植物に視界は遮られていて、道は見つけられなかったはずだ。それが、上手い具合に団員の近くまで行けるものだろうか。もし、精霊が見えている少年ならば、魔術士の域を越えて、魔法士としての素質があるということでもあった。その人間が、入学して数日でリティのそばにいるのか。リティと共に森に採取に行っていたのか、彼女のことを知ってか知らぬかは想像の域を出ないのだが。
「…自分のところのご令嬢ではなく、リティを守るって。まさか、可愛いリティの恋人…?」
「あの方に限って色恋沙汰にうつつを抜かさないので、先を読み進めてください。それだと手紙に辿り着きませんよ。」
「失礼な。リティだってお年頃だ。」
うちの子を子ども扱いしないでくれと言わんばかりにむくれるリルドを見て、こめかみに手を添えてため息をつくリグレス。
「では、お年頃なので手を取って踊ってはもらえませんね。」
「ああああ…」
リティから、皆に見られて恥ずかしいからお兄ちゃんとはやだと言われたら…と想像してしまうと、呻きながら頭を抱えて、机に突っ伏した。頭が書類の山にぶつかり、床に数枚落とした。
「はいはい。次にラドの報告ですと、やはり見つかっていないようですね。」
リグレスは、力尽くで下敷きになった報告書を引っこ抜く。ラドとハルドは別の仕事を頼んであり、今回はハルドの報告書だったため、欄外に軽く書かれただけだ。
「それに関しては旧校舎にあるのかもしれない。また行ったときに話を詳しく聞こう。」
打撃を受けたまま、のっそりと顔を上げるリルドは、振られた話にしっかり返答する。とりあえず、今度行くときは内部を歩かせてもらわねば。
「これで報告書は終わりですね。では、手紙の中身は見ませんので、先にお暇させていただきます。おやすみなさい。」
はーいと軽く手を振ると、隊長室からリグレスはとっとと退出した。報告書をめくると、後ろには便箋が数枚くっついている。親愛なるリルお兄ちゃんへ、と書かれているだけで、口元が緩む。
10歳も離れた妹だ。一族内の婚姻が多かったために血が近く、産まれても身体が弱くて数日すら生きられなかった兄弟もいた中、奇跡的に健康児で産まれ、盛大に祝ったことを今でも憶えている。一族の長になるべくして、子供の頃から大人達の期待に応える為に、日々厳しい稽古を受けていたリルドにとって、1日一回でも彼女に会えたら、それだけで癒やされた。どれだけ叱責されて落ち込んでも、赤ん坊の彼女がニコニコと手を伸ばしてくれるだけで、嫌な気持ちも晴れたくらいだ。女の子は生涯にわたって一度も外に出してもらえることはない。リティはその常識を破った。本人も成り行き上とはいえ、相当堪えただろうと思う。
「生まれて初めて身内以外の友人が出来たか…」
学校に通うことは今回が初めてとなる。14歳で祖母宅から連れ帰ってからは、家庭教師をつけて高等学校に通えるように勉強をさせた。これは、16歳で一族の独身男性と婚姻を結ばせるつもりだった両親の反対を押し切って、俺と祖母で入学の流れを作った。もともと、人と話すよりも1人で本を読むことが好きなリティだ。家庭教師も驚くくらいの成果が出た。そんなリティに、友人か…感慨深い。手紙の中に友人の名前を書いてくれたようで、
「セイリン・ルーシェか。彼女の友人としてならば、その従者が守ってもおかしくはないな。」
よりによって、あの一族かと思う。セイリン・ルーシェ自体は噂を聞く限りでも、騎士を目指す気の強いご令嬢ということは分かっている。ルーシェ家は、リティアにとってあまり関係を深くは持たないほうが安全な一族である。一族内に、リティアを血脈作りに利用したい輩が現れる。魔法士の一族の血が、喉から手が出るほど欲しい貴族の中にルーシェ家のご隠居の意向がある。彼は今も一族内で権力を持つ。これに関しても追々考えねばと、グラスの氷が溶け始めた冷たい水で喉を潤す。更に読み進めれば、
「『ハルさんのところでアルバイトしてお小遣いがもらったから、今度お兄ちゃんと一緒にケーキが食べたい』って…」
可愛いすぎる。この感じなら、ダンスは踊れると確信できた。今度は、週末を挟むように訪問しようと考え、カレンダーをめくる。しかし、当分の予定は詰まっている。カレンダーとそのメモを見て現実に引き戻された。
「ああ…可愛い俺の妹。リティ…」
世界がこんな形で回ってなければ、俺とリティは、祖父母と暮らしていたかもしれない。あそこにいるときは本当に幸せだった。稀に用事で行くときは数日余裕を持たせて、祖母の手伝いを一生懸命している小さなリティがいて、魔獣退治を生業にしていた祖父に稽古つけてもらって、夕方には4人で食卓を囲んで…。はぁ。とため息をつく。現実を見なくては駄目だ。明日もやることが多いのだから。便箋を最後までめくってしまったようで、続きが読みたくてもなかった。引き出しに仕舞おうと、誤って開けられてもすぐ読まれないように裏返したら、
『いつもお仕事お疲れ様。お兄ちゃんに何かあったら私は悲しくなってしまうので、体には気をつけてね。』
と書いてあった。俺は心臓を押さえて、そのまま机に頭から倒れこんだ。6時半に部屋に入ってきたリグレスに叩き起こされるまで、そのまま気を失っていたようだ。せっかく、リグレスが整理整頓してくれていた書類の山を台無しにして。