25,少年は泳げない
学校の屋内プールは、水泳をするためではなく、魔術による模擬戦闘授業で地形利用として使用したり、溺れた人や、流されていく物を魔術で引き寄せるまたは救助の練習場にしたり、採取の授業で水中探索練習に使ったりするようだ。基本的に夏休みでもない限り、借りる生徒も少ない。今日はハルドから課題を出された1回目の土曜日。午前中からプールを貸し切り状態で使っている。
「頑張れー!」
「大変申し訳ございません!早めに泳げるようになりますので!」
テルが、ディオンと向かい合いながら両手を繋いでリードする。ディオンが懸命に足をバタつかせるも前に進まず、テルの手がなければ、そのまま沈んでいったことがこの時間だけで5回。ゆっくりな彼らの隣を並走するように、セイリンが泳いでいる。そんな3人にプールサイドから声をかけるのは、ソラとリティアだ。
「そろそろ水を飲んだほうがいい。」
「お疲れ様です。皆で休憩しましょう?」
レモンの輪切りが氷と一緒に浮いている縦長のガラスポットと、人数分のコップを持ってきていた。難なく目標距離を泳げた2人は、すぐに制服に着替えて、本を片手にサポートに回っていた。
「俺と代われよー!」
ディオンにハシゴを掴まらせたテルは、ハシゴを使わず、プールサイドに上がり、ソラにぐいぐいと迫る。セイリンは、ディオンが昇りきるまで水の中で待っている。
「やだ。そんなことしたら、午後からのランニングで倒れるだろう。」
本に水がつくから近寄るなと、嫌そうな顔をしてリティアに本を渡す。渡された本を後ろのベンチに置いて、代わりに置いてあったタオルを持ってくる。それをセイリンが1番最初に受け取って顔を拭く。
「ディオン、私がリードしようか?」
「いえ、そういうわけには…。このままテルさんにお願いしたいのですが…。」
続いて残りの2人も受け取る。ディオンは、髪についた水が飛び散らないように小さく横に顔を振ると、口角を上げて白い歯がしっかり見えるように笑顔になるテル。
「明後日の昼飯はディッ君が作ってくれるならいいよ!」
「はい、任せてください。」
やったね!とグッと拳を高く持ち上げるテルの顔に、ソラは無理やりコップを押し付けた。セイリンもコップをリティアから受け取り、蜂蜜の柔らかい甘みとレモンのさっぱりとした風味を楽しむ。テルもごくごくと乾いた喉を潤した。
「ディッ君が泳げないということは、貴族って中等学校には通わないって本当だったんだねー。」
庶民は、初等学校、中等学校を経て働きに出るのが一般的だ。高等学校まで通うとなると、親に結構な稼ぎがないと難しく、この学校は身内からの援助を受けて通う生徒も多く在籍している。
「通うとなると、護衛がかなりの人数つくから、一般生徒は窮屈するぞ。」
そう言いながら、セイリンがグラスポットに手を伸ばすと、リティアが代わりに注いでくれた。顔を合わせては、ニコニコと微笑んでいる。
「セイリンさんが泳げるのは、お屋敷にプールあるってこと?」
テルは首を傾げと、セイリンは2杯目を口に含みながら、顔を横に振った。
「ない。領地持ちだから、領地内にある大きくはないが漁場のある湖があって、親が仕事をしているときに地元の子ども達と泳いでいたくらいだ。」
「セイリンさんならやりそう!じゃあ何でディッ君は、泳げないの…?」
「それはっ」
ディオンの言葉が詰まった。子供の頃から一緒にいたとしてもそれとこれは別だと心が叫ぶ。
「ディオンは、炎天下の中、タオルや着替え、水、軽食とかを一式持って待っていたんだよ。今も考えれば一緒に泳いだら楽しかったかもな。」
セイリンは、ディオンの空になったコップに水を注ごうとして、またリティアが代わりに注いでくれる。
「ありがとうございます。」
ディオンは、リティアの目を見つめながらお礼を言う。その瞬間、リティアが微かに頬を赤く染めていて、テルの視線がディオンに刺さる。
「なるほど!今からでも遅くないから頑張ろうなー!ねー?」
ディオンの肩を強く握りながら、テルは圧をかけてくる。
「勿論、来月までに泳げるようになります。」
子どもぽく目で訴えかけてくる彼、ここは敢えて分からないふりをして、ディオンの意志を伝えた。飲み終えたら、ストレッチをして再びプールに戻って、溺れる。テルは、コップの水が跳び上がる力で床に置いて、沈みゆくディオンの近くまで泳いでいった。
昼は、各々食事を摂り、14時にグランドへ集合した。ディオンとソラ、テルは、新しく作った飲み物をグラスポットに入れた4本と、コップを持ってきた。リティアは、セイリンと一緒にタオルを両手に抱えてきている。グラウンドの邪魔にならない芝の上にまとめるように置いて、アキレス腱を伸ばしていく。平日も学校が終わってから走っていたので、準備運動もしっかり行えるようになった。前屈する時は、ソラは体が硬いようで、テルがゆっくり背中を押して伸ばしている。屈伸する時は、リティアは本人の意志に関わらず、しゃがむとそのまま前転していたが、今日は、回ってしまわないように耐えている。一度冷えていた体が温まったところで、セイリンが、空に向かうように頭の上で両腕を組んで体を伸ばす。
「リティって身体が柔らかいし、Y字バランス出来そうだな。」
「それ、何ですか?」
「私は出来ないが、片足を頭の横に持っていき、両手で押さえるんだ。」
んー…と頭をひねりながら、斜め前方向から右足を上げていき、重心がぐらついたところで右手で足首あたりを掴み、耳の近くまで持ち上げた。
「軽々とやれるんだな。」
「セイリンちゃん、これで合っているってことですか?」
リティアは形をキープしたまま、上げた足と反対方向に首を傾げた。セイリンがパチパチと手を叩けば、おおっ…!と男子達も拍手する。目を大きく開き、頬から耳にかけて赤く染まったリティアは、慌てて手を離し、足を地面に戻した。
「本当にすごいね!」
「あ、あ、ありがとうございます…!」
大輪が咲いたような笑顔になっているテルからも称賛され、リティアの顔はぽっぽっと熱くなり、その熱を振り切るように走り始める。
「もう始めるのか?」
リティアの後を追うようにセイリンも走り始め、じゃあ俺もー!と、その後を元気よくテルが追う。
「今から3時間くらい走るのか…」
それを見ているだけでげんなりするソラは、ガクッと肩を落とす。
「ソラさんは休みながらで大丈夫ですから、無理なさらないで下さいね。」
では、お先にとディオンも輪に入る。20kmも走れる人間はセイリンとディオンだけではないか…?と思いながらも、渋々ランニングに加わった。リティアは、5周目に入るところで減速し始め、結構後ろを走っていたテルと並走するようになる。ディオンは、セイリンに追いつき、余裕を持って隣を走っている。まだ3周目のソラは、外目から4人を見る形になる。テルの走りがバタついているように見えて、本人は大変そうだ。体調でも悪いのかと心配になる。そうすると、セイリンがトラックのカーブを曲がりながら、横目でテルを一瞥し、
「おい、テル!ふざけて走ると怪我するぞ!」
怒鳴った。リティアもテルもビクッと肩を跳ね上げ、リティアと少しずつ距離が開く形で、落ち着いたフォームに戻り、そのフォームのまま10周は走っていた。4人が10周走る頃には、ソラはまだ5周で、差が大きく開いていた。普段はあまり走る機会のないため、ゼーハーゼーハーと息を切らしながら、手は汗だくだ。鉛のように重くなった足を抱えながら、躓くように体勢を崩し始める。
「リティ、そろそろ一度休憩を入れよう。」
ソラのぐらついた肩をディオンの手が押さえて、これ以上傾かないように後ろへ重心を引いた。
「あ、俺も休憩するー!」
テルはトラックをスキップしながら横切り、誰よりも先にタオルを取りに行く。
「では、皆でとりましょう。」
トラックのカーブを減速させながら走った後は、ゆっくりと歩きながら休憩場所に向かうリティア。ソラの体のぐらつきが落ち着いたら、ディオンが半歩前に出て、顔だけで振り向く。
「ソラさん、肩を貸しましょう。」
「あ、ありがとう。」
ディオンの左肩の後ろに右手を置かせてもらい、倒れないように足元を用心深く見ながら、休憩に向かった。




