遅刻の花
加藤が目覚めたにはもう、午前八時二十六分だった。学校の始業は八時半。完全な寝坊である。時計の時刻を見て加藤は跳ね起きる。
どうしてこんな時間に? 目覚まし時計はどうした? 加藤は目覚まし時計の裏を確認する。そして目覚ましのセットがオフになっていることを見て取る。昨日スイッチを入れ忘れたか、寝ぼけて切ってそれからまた寝るかしたのだろう。
加藤は一階へ駆け下りた。
「お母さん、どうして起こしてくれなかったの?」
「あんた、学校休みって言ってたじゃない!」
「言ってないよ、そんなこと」
「言ったわよ、目覚まし鳴ってるのに全然起きないから起こしに行ったら、今日は学校休みだって」
母が嘘を言うはずもなく、してみると加藤は本当にそう言ったわけである。寝たい一心で寝ぼけながら嘘をついたのか。そうだとすれば、見下げ果てたバカである。
どうして寝坊なんぞしたのか、原因はわかっている。今日の午前四時まで起きていたからだ。推しのVTUBERの生配信に付き合ってずっと起きていたのだ。
『明日学校だけど大丈夫、ちょっと寝てすぐ起きていけばなんとかなる』
などとチャットにコメントしていた過去の自分が恨めしい。過去に戻れるのなら午後十時に殴り倒してたっぷり睡眠をとらせているところだ。
加藤は時短のために食パンをくわえながら制服を着始める。ところが食パンを食べていると制服が着られず、制服を着ていると食パンが食べられない。なんだかかえって支度が遅くなっている気がする。
慌てふためきながらもどうにか支度を終えて、加藤はカバンをもって家から出る。
「いってきます!」
「忘れ物はない?」
「ない」
たいして確認もせず加藤はそう言い放つ。実際は何を持っていくかさえ頭にない状況だ。
加藤は学校へと急ぐ道中、自分の高校の制服を着ている女子を見かける。その女の子は小中学生と言っても通りそうなほど小さく、髪をロングヘア―にしている。彼女は加藤の前をゆうゆうと歩いている。もちろん、彼女も遅刻しているはずなのだが。
彼女の姿を見て、加藤は安心感を覚える。遅刻している事実は変わらないし先生に怒られるのは間違いないのに、自分以外にも遅刻している奴がいると思うと気持ちが楽になってくる。孤独感が消えたからかもしれない。
加藤は少女の横を通り過ぎていく。
「ねえなんでそんな急いでるの?」
加藤はうしろにいる少女から声を掛けられる。それで加藤は足を止め、振り向く。
「もうどうせ間に合わないんだから、ゆっくり行けばいーじゃん。疲れるしさ」
そういわれて加藤はなぜ急がなければならないのかを考える。しかし考えれば考えるほど理由がない。理由がないのに走っていたのだ。これまで遅刻だからとりあえず走らなければならないのだと意味も考えずに思っていた。
「一緒に行こうよ。ひとりで歩いて行っても退屈でしょ」
加藤はその提案にどぎまぎしながらも、少女の隣に並んだ。加藤は女子への耐性というものが著しく低い。これまで一度も彼女ができたことは当然ないし、女の子と一緒に登校したことすらない。いや、それは間違いだ。小学生の頃にやっていた集団登校でなら女の子と一緒だった。それでも女の子への耐性はつかなかったが。
「なんで遅刻したの?」
「お、推しのVTUBERの配信を見てて。午前四時まで」
「あはは、わたしと一緒だ。わたしもね推しの配信五時まで見てた」
「君もか」
「うんだから今めっちゃ眠いの」
彼女は笑う。その笑顔はかわいい。そこで初めて彼女の顔を直視した加藤は彼女が美人であることに気づく。
「そうなんだ」
それから彼らは推しの話で盛り上がり、道中ずっと楽しく会話している。その最中に加藤は彼女の名前が吉田であるということを教えてもらう。
会話が途切れたのは、学校の門前に来た時だった。
「そろそろ静かにして、急いで来たふりしないと。さすがに怒られる」
確かにその通りだと加藤は思う。遅刻しておいて楽しくおしゃべりしながらやってくるのを見た先生は烈火のごとく怒るだろう。
そして加藤と彼女はそれぞれ、自分のクラスへ向かう。吉田と別れ、そこで加藤は大きな喪失感に襲われる。吉田ともっと一緒にいたかった。そこで初めて加藤は自分が吉田に恋をしてしまっているのだと気づく。




