竜神4
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――竜神4――
リリトがエルガラの将来の愛の巣作りに協力している間にもエルドレッドでの情勢は風雲急を告げていた。
国境の近くで成竜を見かけたと言う情報がサビーヌの耳にも入った。
もしかしたらリリトはその成竜と共に行ってしまったのかもしれないと言う噂が流れる。
しかしサビーヌを置いてリリトが行ってしまうなどとはとても思えなかった。
ニャゲーティアにいる時のリリトはとても優しかったのだ。
しばらくリリトの帰りを待っていたサビーヌであった。
しかしエルドレッドが陣を張り橋を挟んでニャゲーティアと対峙を始めた頃サビーヌはガウルに尋ねた。
「ガウルさま、何故人は戦をするのでしょうか?」
「そうさなあ、様々な理由がある、金だったり名誉だったり権力だったり……」
「どうすれば戦を止められるでしょう」
「それはお前の考える事ではない、お前は家に帰って安全な場所に隠れているのが仕事なのだからな」
ガウルはサビーヌにドゥングに帰る事を勧めた。
サビーヌはガウルの顔を見る。
「子供は戦の有る場所にいるべきではない、戦のよってその残る人生を縮めるようなことが有ってはならないのだ」
ガウルはサビーヌの前にしゃがむとサビーヌの頭に手を乗せる。
よくリリトに対してそれをするように。
「リリト様はとてもお優しい方です。今回の失踪は人々が諍いを始めたからではないのでしょうか?」
「じゃがお主は子供じゃ、子供が大人の戦争に関わるべきではない」
「私は巫女です、竜神様と獣人の間を取り持つ使命を持った巫女の娘です」
サビーヌの言葉は強く、明瞭で、真剣であった、この少女が何をしたいのかガウルには理解が出来た。
「ワシにエルドレッドに連れて行って欲しいと言うのか?」
「はい、このままでは戦争が始まってしまいます、私はエルドレッドの巫女様に会ってお話をしたいと思っているのです」
巫女補とは言えサビーヌはまだ子供である、大人の政治の事がわかる年齢ではない。
「この戦争はエルドレッドの社が焚き付けておるのだぞ、その意味がおわかりなのか?」
「管史のヴァトー様ですね、しかし巫女のメランダ様は平和主義者だと聞いています。彼女ならきっと力になってくれると思います。」
「ほうっ」とガウルは思った。幼い割には状況を良く把握している、意外と母親の教育の成果だろうか?
エルドレッドのガジス・ゲルハルト・ガウアーは有能とは言えないまでも愚かな男ではない。
竜がいなくなり魔獣の供給が先細りで食料危機が訪れかねないのが現在のエルドレッドである。
周辺4国を統一し中央集権を確立しなければエルドレッド自身が存亡の危機に至る事は目に見えていた。
周辺諸国を平定出来るのは今を置いて他には無いと考えるのも理解の出来る事では有る。
しかしそれが社の宮司長に煽られて武力に訴えるようでは仕方がない。
建前としては宮司長の上に巫女が存在しているのでは有るが実権は宮司長がすべてを仕切っているのがエルドレッドの現実である。
サビーヌが頑張ったところで果たしてエルドレッドの巫女が動くであろうか?
「よろしいんじゃ御座いませんか?私も同行させていただきますから」
クリーネがしゃしゃり出てくる、また面倒な奴に聞かれてしまったとガウルは思う。
「領主であるリリト様がご不在の折は執務上私が代行することが認められております」
この残念兎が…実はそんなに偉い立場の人間だったのか?
「わ、私も護衛に同行したいと思います…」
ヴィエルニお前もか、次々と揉め事を持ち込むんじゃない!ガウルは心の中で悲鳴を上げる。
どうもワシは女運が悪いようだ。
3人に詰め寄られて仕方なく出かけることにする。
馬車はドゥングの物を使用すれば国境で無用なトラブルも無いだろう。
渋々と言った面持ちで出発するガウルであるがちゃんと犬族の護衛も一緒についてくる。
どう見ても勝算の低い行動である。社の巫女を味方に出来ても果たして戦争を止められるのだろうか?
ガウル自身が死ぬのは大した損失ではない、どのみちのたれ死ぬ運命の傭兵である。
しかしこの3人に何かが有ったらリリトが怒るだろう……いや怒るだけならまだ良いが多分泣くだろうな。
それにしてもリリトよ、お主一体どこに行ってしまったのだ?この騒動の落とし前どうやって付けるつもりなのだ?
ボヤきながら重い心でエルドレッドを目指すガウルである。
「ようこそいらっしゃいました、ドゥングのサビーヌ様」
エルドレッドの社の巫女のメランダは快くサビーヌを迎え入れた、サビーヌの母親よりは少し年上であろうか?
しかし心なしか少しやつれた感じのする兎族の女性であった。
サビーヌは日頃からは考えられないほどの情熱をもってエルドレッドの巫女の説得に当たっていた。
メランダもまたこの戦争に関して非常に心を痛めていたようである。
「宮司長ヴァトーの暴走を抑えられなかったのは私の力不足が故です。彼は非常に有能で実務を任せっきりにしたのが間違いでした、いつの間にか国王に取り入って国政にまで口を出すようになってしまったのです」
やつれて見えたのはどうやらその心労によるものなのだろう。
「私がヴァトーの言う事を信じずに竜神様にお使えしていればこの様な事態には至らなかったのでしょう、全ては私の責任でも有るのです」
エルドレッドの竜を間近に接してきた巫女が後悔の言葉を口にした。
「竜神様がよく巣を留守にしておいででしたがその事を深く考える事なく過ごしてまいりました。竜神様がお心を痛めておいでであった事に気が付かなかったのは私の不徳の致す所です」
竜が失踪した原因については一つでは無いと思うにせよ結局は政情の不安定さと貧しい人を救わない政府と社に対して嫌気がさしたのではないかと巫女は言っていた。
死ぬことのない竜は逆に人が死ぬのをひどく恐れる物だということにその時初めて気がついたと言う。
自分と交流を持った人間は必ず自分より先に死ぬのである、その事に耐えて生きて行ける者のほうがおかしいのである。
それ故に社の巫女は代を変えても変わることなく竜の心の安定を保たねばならないのだ。
しかし社はその役割を忘れ竜を自らの権益のために利用してしまった。
始祖竜のエルギオスが竜の嫁を作った意味を理解することは出来なかったのだ。
それでも多くの巫女は竜を敬愛しておりその存在故に社の巫女が在る事の意味を理解していた。
しかし魚は頭から腐るものである、竜を迎え発展した街は竜は既得権の象徴でしか無かったのだ。
「もう戦争は止められないのでしょうか?」
「国王がヴァトーを信頼している限りは…」
「逆に言えばのう、国王のように決断をしなくてはならない立場の人間は何かしらの拠り所が欲しいのじゃ。そこに甘い言葉をかけられればついその甘言に乗ってしまいやすいのが人間じゃからな」
「ヴァトー殿を止める訳には行かないのでしょうか?」
「事がここまで来た以上仮にヴァトーを止めたとしても国王はそうは行かないでしょう。そもそも途中で兵を引いたとなればそれこそ面子が立ちませんからな」
「面子とはそれ程大切な物なのでしょうか?」
「サビーヌ殿、国民に死んで来いと言う国王の言葉の責任はとてつもなく大きい、戦争に負ければ自らの命と引き換えなくてはならない程のものなのですからな」
「左様でございます。戦争で負けても責任を取る必要のない人間はいくらでも戦争を激賞いたします。故にその様な者の発言に為政者は惑わされてはならないのです」
「しかし人間は弱いものでしてな、ついその様な扇動者の無責任な発言に負けてしまうものなのです」
「そうは申しましてもこのままという訳にもまいりません、なんとか話し合いのテーブルに付けなくては。メランダ様のお力では無理なのでしょうか?」
「わかりました、幸いにもここにはドゥングの筆頭秘書のクリーネ様、マリエンタール領主の娘であられるヴィエルニ様がおられます。まずは情報の共有から始めましょう。」
そう言って各国の現状と領主の意向というものを全員で話し合った。
実はこの時点でメランダはヴァトーの息のかかっていない者を集め情報の収集を行っていたのである。
この巫女も奥の院で嘆いているだけの存在では無かった、巫女とはそれだけの責任が有る立場なのである。
したがって国の状況と合わせ各国の立場は掌握は出来ていたのである。
問題は和平交渉のタイミングと落とし所である。
全員の面子を潰さないように社の意向を強く押し出さなくてはならないのだ。
エルドレッドの社は竜の存在していた社でありこの国の本山である、したがって多くの宮司を要し組織の規模も大きかった。
常に各地に対し情報収集の為に人間が配されていた。
ヴァトーは社の中で力を持ってはいたが巫女であるメランダに対して表立って敵対するような行動は取ってはいない。
メランダはあくまでも神輿であり象徴であれば良かったのである。
逆にメランダがヴァトーの邪魔にならないように彼女の周囲を囲って情報を封鎖していたのだ。
さらに逆に言えばそれ以外の人間はヴァトーを嫌っており巫女に味方する勢力であった事にヴァトーは気付いていない。
この時の話し合いの結果ヴィエルニはマリエンタール領主のオベールを説得しクリーネは護衛と共にクロアーンの領主を説得しに行くことに決まった。
クロアーンにも社は有るが政治的発言はしないとの事であった。クリーネはこれまでもクロアーン領主との面識は有り説得できる自信が有るとの事である。
ドゥングに対しては指示書を送り付け和平会議終了までの全ての決定事項を凍結させた。
「私の部下には優秀な者が多いですから指示さえ出しておけば的確に行動してくれますわよオーッホッホッ」
きっとそうなのだろう。
そしてサビーヌはガウルと共にニャゲーティアの社を頼って行くことにした。
サビーヌひとりでは到底ニャゲーティア領主を説得することは出来ないと考えたからだ。
問題はメランダである彼女は単独でエルドレッド国王を説得しなくてはならない。
今回の目的は開戦前に社の連合が行こなう5カ国間の和平会議の開催である。
◆
「ガウアー国王殿」
メランダは一人執務中の国王の部屋に面会に来た。
「おお、これは巫女殿おめずらしい、お体の具合はいかがですかな?」
ガジス・ゲルハルト・ガウアー国王は巫女の訪問を笑顔で迎える。
竜がいた間のメランダは竜の面倒を見る事だけをその仕事としていた、竜が失踪してからこれまでの間巫女はその空白を埋め切れる事が出来ずにずっと社に引きこもっていたのだ。
「大変重要なお話が御座いまして」
「おお、そうでしたか。まあこちらへどうぞ」
巫女はニャゲーティアとの和平会談の開催を強く国王に具申した。
終始にこやかに巫女の話を聞いていた国王は和平会談を開催することについては了承する事を巫女に伝える。
うまく国王を説得できた事に巫女は安堵して退出していく。
巫女を送り出した国王の後ろからヴァトーが姿を表す。
「お主の言う通り巫女殿が和平交渉を持ち出して来ましたな。」
「はい、巫女ですからな人々が争うことを良しとしないのが社の立場です。残念ながらタイミングのずれた和平交渉に意味はありません。」
「うむ、結局はニャゲーティアの犯罪に対して検証を行うという名目で軍を侵攻させられればそれで良いのだからな」
「巫女のお心とは逆の結果となるでしょうがこれも国の安定、万民の幸福のためには仕方のない事で御座います」
巫女の望む方向とは逆の方向でエルドレッドは和平会談を了承することになる。
◆
ヴィエルニは家に戻るとすぐに両親の元に行き今回の事を報告した。
領主である母親のオベールは暗い顔をする、父のラングもまた非常に困っていた。
エルドレッドから民兵の供出を要請されていたのである。
エルドレッドはマリエンタールの狩猟軍を前線に立たせ双方を疲弊させたのち戦場を制圧するつもりなのだ。
川をはさんだニャゲーティアと異なりマリエンタールはエルドレッドとは地続きである。
供出を断ればエルドレッドはマリエンタールがニャゲーティアと連合を組むと判断して侵攻してくる可能性が高い。
現実問題として和平会談を行うことはエルドレッド軍にマリエンタール侵攻の為の時間的余裕を与える事になる。
竜の嫁がドゥングの領主になったところで軍事的能力はない、エルドレッドを恐れる長老会は直ちに会議を開いて竜の嫁を罷免して代理の領主を立てるだろう。
そうなればエルドレッドは背後を気にせずにマリエンタールに侵攻し首都を制圧することになるだろう。
マリエールの軍は狩猟軍であり魔獣と戦うための組織である。エルドレッドが対人訓練の教官を送り込んできた時からこの事態は予想されてきた。
既に両国からの書簡は届いておりおそらくクロアーンは動かないのでマリエンタールの出方次第でこの戦争は決着するだろう。
残念ながら獅子族を中核に持つ軍隊としてのエルドレッド軍に犬族を中心とした狩猟軍には対抗が出来ないことは明らかである。
何しろヘル・ファイアの能力を持つ兵士が少なからずいるのである。
その気になれば領主邸にヘル・ファイアを打ち込む事すら可能なのである。
さりとてニャゲーティアと組んだとしても地続きであるマリエンタールが最前線に立たされることは火を見るより明らかである。
外交とは常に周辺の状況を察知しながら自分の領土と領民を如何に守るかの交渉である。
「あなた……」
オベールは頼るようにラングを見つめる。
「わかりました、私の方でもあれの準備を進めます。なるべく大事にならないことを望みますよ、和平会議には私が出席致します」
「しかしこのような国の大事に私が赴かなければ領主としての務めが果たせません」
「この国には私よりもあなたの方が必要です、私が失敗した時にこそあなたの力が必要となるでしょう」
ラングは強くオベールを抱きしめる、どちらの国についてもマリエンタールの被害は免れないだろう。
後はどの位被害を押さえられるかである、国の復興には自分よりオベールの方が能力が有るとのラングの判断である。
マリエンタールもまた和平会談に出席することは決まったがその方針はまだ未定のままであった。
登場人物
ティファン・メランダ エルドレッドの巫女 兎族
ヴァトー エルドレッドの 社の宮司長 猫族




