マリエンタール8
1-035
――マリエンタール8――
「おかえりなさいあなた」
「ただいまオーベル。ジャマルの方から大事な連絡が有ってね君に報告をしなくてはならない重要事項なのですよ」
「何が有ったのかしらあなた?まさか娘の事じゃ無いでしょうね」
な、なんという勘の鋭さ!
内心の驚愕を全く表情に出すことも無くラングは続ける。
「2つ有ります、ドゥングの領主がジャマルの方に来訪に来たようです。」
「はい、存じております。私の方にもジャマル訪問の依頼が届いていましたから、それにしても新しい領主は竜神様なのでしょう?やはり飛んでいらしたのですか?」
「は?いえいえ竜神と言っても竜の嫁ですからまだ子供だという事でしたが?」
「子供?でもやはりそれなりに大きいのでしょう」
「私の聞いた話では人間の子供並と聞いております」
「あらやだ、そんなに小さい竜神様なのですか?」
そんな子供と言う事であればまともな為政を行う事など出来る筈もない誰か黒幕がいるのだろう。
兎族の多いドゥングならそれも十分あり得る事だとオベールは考えを切り替える。
「やはり高炉に興味がおありなのでしょうか?」
この時オベールが高炉と発言したのは鉄の生産、すなわち武器の輸出の事を考えての発言である。
元々ドゥングはエルドレッドの植民地のような状態が続いておりそれが今回竜の嫁に領主を禅譲したというので大きな話題になっていたのだ。
それは竜の権威を傘に着た独立運動なのか?はてまたただの責任転嫁なのかまではわからなかったがエルドレッドと対峙する姿勢を見せたのである。
あの臆病が服を着ているような兎族がである。
その領主がジャマルの視察を願い出た事はあるいは武器の調達を考えての事かもしれないと考えをめぐらすのも当然と言えよう。
領地とは領主の権力の源泉ではある物の同時にそれは領民に対する責任でもあるのだ、その事を理解しない交代制の領主など禄なものでは無い。
「それはわかりませんがこの竜の嫁が領主となる際の切り札としたのが魔獣スープでした。」
「はい、兎耳族の病気を治したと聞いておりますが、それがなにか?」
リリトが奇跡を成したことはすでに近隣諸国にとっては衝撃的なニュースとして知れ渡っていた。
社が積極的に噂を広めるのであるから当然である。
そう言ったうわさの一つ一つが社の権威を高め自らの立場を確固たる物へと変えていく手段である。
社に取っては檀家が全てであり檀家の信仰心こそが社の力の源泉であるからだ。
その点では領地経営も似た様な物であり領地は領主の全てである。
先祖が切り開いた土地を守り領民が飢えないようにするの事こそが領地を守る事であり領主の責任である。
アウグスト家は代々その責任を全うしてきておりオベールもまたその責任を引き継いでいる。
封建制とは独裁制ではない。責任の分担であり権威には大きな責任が伴うのである。
発展せずとも良いのだ。領地が侵略を受けずに領民を食わせる方法が確立できれば良い。
その上で如何に変化に対応し柔軟に領地経営を変えていくかである。
実際の所そうは考えずに領主は権力をもてあそぶだけの者になり果てる場合が多いのが現実ではある
ラングのしてくれたことは領地を豊かにしてはくれたがそれは必ずしも永続的なものでは無い。
感謝はしているがそれにのめり込むのは危険すぎる。
領主の家に生まれ領地の経営を運命づけられたオベールは常に2歩先を読まなくてはならないのだ。
「それは魔獣スープの成分を濃縮したものだそうですがそれを作るのに電気の魔法を使う獅子族を利用したと聞いています。」
「電気の魔法?それではもしかして?」
「今の所そこまではわかりません、しかし竜の嫁はニンゲンの所で育てられていますから我々の知らない技術を持っているのかもしれません。」
そう言ったラングの顔がにへらと笑う。
「あなたすごく悪い顔をなさっていますよ。」
慌てて表情を取り繕うラング。
ああやっぱりこの人はサブリと同類の技術馬鹿なんだわと思うオベールである。
技術を使い獣人を幸せに出来ると信じている、しかしそれは使い方を誤れば大きな災いともなる。
経営とはあらゆる予測の選択肢を用意しそれに出来る限り準備を行いもっともリスクの少ない道を選ぶことに過ぎないのである。
ローリスク、ローリターンこそが領地経営の極意であり正道であるとオベールは信じていた。
領民に被害が最も少なく普通に食べていかれるだけの禄を上げる方法を選ぶのが領主の務めなのである。
ラングもそれはわかっているのだろうが技術馬鹿の血がそれをさせないでいる。
魔獣スープが本当に効果のあるものだとすれば大変な利権になる。
その大量生産にジャマルの施設を利用したいのであればこれはエルドレッドとマリエンタールの戦争に発展する可能性があるのだ。
獅子族を多く抱えるエルドレッドは電気魔法の使い手も多い、当然量産を考えるだろう。それに対抗できるのはこのマリエンタールだけである。
しかしそれをやればエルドレッドの逆鱗に触れることになる。
それでも夫はそれをやりたいと考えている。
実際技術馬鹿はその先にある国同士の争いには無頓着なのだ。
「あなたの言う事が正しいとするならば我が国は大きな岐路に立っていると思えますね」
「エルドレッドとの戦争も覚悟しなくてはならないとお考えですか?」
「私としてはなるべくその様な状況は避けたいと考えております」
戦争を回避するのはラングでは駄目なのである、ラングは領主の夫でありマリエンタールの領主はオベールなのである。
最近になってエルドレッドから軍事顧問として狩猟軍に教官が送り込まれて来ている。
ラングが創設した魔獣狩りの為だけの国営組織すなわち軍である。
それまで個人経営だった狩人を組織的企業として成立さえたのである。
魔獣を狩りその肉と毛皮と臓器を加工し販売する、個人で行ってきたそれらの事を国として企業体を作ったのである。
それはたちまち周辺の個人の狩人を一掃してしまった。
無論狩人達の大半は危険、汚い、きついの個人狩人を捨て安定職場の狩猟軍に移籍してきた。
ごく一部の腕の良い猟師はそれを嫌って個人での狩りを継続していた。
それすらもラングは組織に取り込み金銭を支払う事により彼らの自由な狩りを保証した。
狩猟ギルドがそれぞれの活動を調整し諍いが起きないように調整してはいるがやはりそれなりに問題は起きる。
獲物の取り合いで揉めることも多いが獲物の引き取り加工を一手に行ってくれる狩猟ギルドは個人にもかなり魅力のある組織の様である。
同時にベテランで引退した人間には狩猟学校の教官を、古参の人間には実務の指導と働く場を提供し安定した生活を約束した。
おかげで瞬く間にこの制度は体制が確立し狩人全員にとって好ましい方向に進んでいた。
その狩猟学校に獅子族の軍人が教官として送り込まれてきた、正確には押し付けられたといって良い。
実際にその教官の教えていることは対人戦闘訓練でありそれは狩りでは役に立つ技術ではない。
魔獣は剣や槍を持って戦う事は無いのだ、そもその剣を使って魔獣を殺せるなどと言うのは獅子族以外にあり得ないので犬耳族の多いこのマリエンタールでは無用の技術であった。
その理由が竜の失踪に有るということがわかってきたのである。
つまりエルドレッドはマリエンタールの狩猟部隊を兵士として使用したいと考えているのだろう。
その上でマリエンタールからエルドレッドへの鉄製品の輸出に関してかなりの増加を要求してきている。
その為に内政に対して圧力をかけてきているのである。
具体的に言えば鉄製の胸当てとヘルメット、それに槍の穂先の注文が増えていると言う事である。
槍に関しては柄の加工無しに穂先のみとなっている、つまり柄の方はエルドレッドで加工するということなのだろう。
狩猟用の短槍であればそんなことはするまい、明らかに対人戦用の長槍を考えていると言う事だろう。
「遠からず戦争になるとお考えでしょうか?」
竜を失ったエルドレッドに権威は無い、しかし獅子族を中心とした軍隊はこの国では協力無比である。
そうであるからこそエルドレッドは自ら王国を宣言し周辺4か国を自治領と定めたのである。
自治を認めながら王国への搬出金を求めるのである。
これまではその理由付けに竜がいた、しかしその竜が失われた今エルドレッドに大儀は無い。
権威が無くなれば残りは武力と言う事になる、一人の獅子族と戦うのには犬耳族や猫耳族族では最低3人は必要である。
戦争となればマリエンタールはエルドレッドに勝ち目がないであろう。
獅子族に対抗しうるのが熊族の多いクロアーンではあるが狩人の殆どは犬族や猫族であり熊族は農夫や鍛冶屋を営んでいる。
体力で獅子族に勝る熊族は争いを好ま無いうえあまり素早くも無いので猟師には向かない。
武器を振り回すのも人を傷付けるのも嫌いな種族である、争うことも無く淡々と自分の仕事をこなす。
獅子族に反旗を翻さないのと言うよりは相手にしたくないと言う事でもある。
ラングの問いにオベールはしばらく考えていた、この様な政治絡みの事は彼女のほうが遥かに思慮が深い。
自国と戦争を企んでいる相手に対して武器輸出を行うほど馬鹿な国はいない。
しかしそれはエルドレッドに対する明確な反旗ともとらえられかねないのだ。
ドゥングは完全にエルドレッドの属国化しているが、マリエンタールはジャマルのお陰でエルドレッドとの友好国としての立場以上には至っていない。
クロアーンはエルドレッドにも穀物を輸出していたがあくまでも中立の立場を保っていた。
不穏な動きが有るのがニャゲーティアであるというのがオベールの読みであった。
オーベルの考えによればエルドレッドとマリエンタールの連合軍でニャゲーティアを攻めニャゲーティアを平定したあとエルドレッドはマリエンタールに属国化を迫る考えである。
その先はエルドレッドによる中央集権国家の樹立であろう。
クロアーンも4カ国を抑えられれば同意せざるを得ないだろう。
竜を失った今魔獣との戦いを継続するためには中央集権が欠かせない事はわかる。
しかしこれまでも竜を保持して税金を徴収しながら周辺諸国に対する魔獣討伐の助成を行ってこなかったエルドレッドである。
中央集権が確立されればおそらく周辺諸国はひどく貧しい生活を強いられることになるだろう。
そこに竜の嫁が兎族の福音たる魔獣スープを引っ提げて登場してきたのである。
竜の嫁は竜とはいっても子供であるからそれ程の脅威ではない。
むしろ成人の竜と結婚した場合には大きな問題となる、それ自身が権力だ。
各国政府と社が竜の嫁を狙っている、その竜の嫁が兎族の救世主とも言える魔獣スープを開発した。
これをエルドレッドが量産すればドゥングはもうエルドレッドには逆らえない。
しかしこれをマリエンタールが量産を行えばどうなるか?
魔法を使用せず機械がそのスープの濃縮を行うのである、コスト的にエルドレッドにも太刀打ちはできない。
現在の世界では兎耳族はその脆弱さゆえに逆に知恵を絞って各国の主導的立場にいる、つまり知恵袋である。
つまりマリエンタールがこの国の主導権んを握れることになる。
そんな事をエルドレッドが許すはずもない、マリエンタールに侵攻し発電機の製造元を抑えにかかるだろう。
「その竜のお嫁さんは何故そんな火種を撒き散らすような真似をするのでしょうか?」
「わかりません、子供だからかも知れませんがどうもそれだけでは無いような気がします。いずれにせよ私は数日以内にジャマルに行ってドゥングの領主にお会いして相手の真意を探ってまいります。」
「先走った行動は是非おやめください、後の事は私が処理いたしますから。」
「お任せいたしますよ、そう言ったことは私には荷が重いですから。」
ラングはにっこり笑うとオベールに口づけをする、夫婦の信頼の証である。
「それとヴィエルニの様子も見てきてくださいねあの娘が危ない事をしているんじゃないかと心配で。」
あ~っ、しっかり信頼を裏切っているな~、と自己嫌悪に至るラングである。
その日の夕食は4人で取ることになった。
長男のロメールは既に執政官として母親の手伝いをしている。
次男のブーケは15歳になったので騎士学校に入学し成績次第ではケルトリア国にある大学に行きたいと言っていた。
ロメールは優秀では有るが少し融通が効かない所が有る、ブーケはむしろ学問の道に進みたいと思っているようだ。
娘も含めてオベールの子供達は素直育ってくれた事に感謝している。
ヴィェルニを政争の道具として使う目論見も今の状況ではあまり意味のない事になってきた、この子達の統べるこの国の将来が今はまだ見えない。
せめて自分がこの国の将来を展望の開ける国にしたいと願っていた。




