新25話 蒼の騎士、紅の魔王②
闇の世界に浮かぶベーカリーカフェルブランは、ノエルが床を歩き、カーテンを開け、テーブルクロスを整えていくと、その場所から順番に色を取り戻していった。
ランスロットと共に大掃除をして、新しい家具を買いに行き、お客をもてなした記憶がよみがえり――、まるでそれらがノエルに力を与えたかのようだった。
「料理ができるまで、掛けてお待ちください」
『ふざけるな!』
「私は真剣です。店に立つ時は、いつだって。……私をすぐに殺せると思うのなら、少しくらい待てますよね。魔王様?」
『貴様……!』
魔王が低い声で唸る姿を見届けると、ノエルは彼に微笑みかけ、キッチンへと入っていった。
不思議だが、とても心が凪いでいる。魔王がランスロットの姿をしているからだろうか。彼のために作る料理だと思うと、わくわくと胸が躍る気持ちさえしてくるのだ。
(ありがとう。手伝ってくれるのね)
ノエルは太陽の精霊と心を通わせると、エプロンを踊るように纏った。
★
「お待たせいたしました」
ノエルが魔王の目前に置いたものは、アフタヌーンティースタンドとそれを飾る色鮮やかなドルチェとセイボリーだった。
「お茶をしましょう? 大事な話は、美味しいものを食べながらするのがルブラン流です」
《ベーカリーカフェルブランの思い出のアフタヌーンティー~光の魔法を添えて~》
【上段】
ハッピーベリーのプチタルト
ヴァニラカスタードプリン~ルブラン風~
エフェルの花のジェラート
ダークチェリーのコンポート入りチョコレート
【中段】
ルブランスコーン~ブルーベリージャムと共に~
黒ゴマ香るプチドーナツ
わがままクリームの一口パンケーキ
【下段】
ルビートマトとモツァレラチーズのカプレーゼ
ロッコウビーフサンドイッチ
ナイトバードのソテーアプラス風
野菜たっぷりミニタルティーヌ
蕪とオリーブのピクルス
【ドリンク】
月光花の紅茶
エフェルの花のハーブティ
ナイトランドブレンドコーヒー
「アフタヌーンティーは下段から食べるのがマナーなんですが、ルブランでは気にせず自由にどうぞ。楽しく食べることが一番ですから」
『我に楽しいなどという感情は存在しない。無駄なことを』
魔王はフンと鼻で笑った。
けれどノエルは気に留めずに、「では、『美味しい』はどうですか?」と、黒ゴマを練りこんだ小さなドーナツを魔王の口に放り込んだ。
『むぐ……! 何をする……!』
「ふふっ。意外と隙だらけですね。本当は食べたかったんじゃないですか? 私とランスロットさんの可愛い家族をイメージしたドーナツですよ」
ノエルの挑戦的な物言いに、魔王の眉が吊り上がる。
そして、何の力もないはずの小娘にいいようにされているのが許せないようで、彼自らアフタヌーンティースタンドに並ぶ料理や菓子に手を伸ばした。
『む……。これは何だ』
「それは、ナイトバードのソテーです。ランスロットさんの故郷の味で、初めて一緒に作った料理です」
『これは?』
「エフェルの花で作ったジェラートです。お祭りの夜に食べて、二人でワルツを踊りました」
『これは何の肉だ』
「ロッコウビーフです。私の幼馴染のハインツが開店祝いにプレゼントしてくれた、美味しいお肉です」
『知っているぞ。これは苺という果実だろう』
「はい! ハッピーベリーです。タルトに仕上げました。友達のニナの頼みで、畑を荒らすモンスター退治をしたんですけど、ランスロットさんが強すぎて……」
『甘くとろけたぞ。何という名の菓子だ』
「ヴァニラカスタードプリンですよ。傭兵のヴァレンさんのご実家のプリンを真似てみました。あの時は恋人のフリをさせられて大変でした」
いつの間にか、魔王は料理のことを尋ねずにいられなくなっていた。一口味わうごとに脳裏に浮かぶ、鮮やかな記憶がそうさせていたのだ。
夕日のなかを走る馬車。幽霊退治に出かけた夜。星空の下のワルツ。看病をした雨の日に、窓から覗く爽やかな晴天の空……。
ベーカリーカフェルブランで過ごしたノエルとランスロットの記憶が、料理を介して、魔王の空虚な胸に温かく流れ込んでいたのだった。
『何だ、この感情は……? 何なのだ、この熱は……?』
初めて感じる得体の知れない熱に、魔王は動揺の声を上げずにはいられなかった。
そんな魔王のために、ノエルは紅茶を新しく淹れ直した。月光をいっぱいに浴びた花の紅茶を。
「初めて会った時、ランスロットさんが言ってくれました。私の料理は、お客様の心に寄り添っているって。スコーンが、自分の心に熱を与えてくれたって」
『く……っ! 我に心など存在せぬ。我は全てを呪い、壊すのみ……!』
「あるじゃない、心が。誰かを呪いたい。壊したいという感情は、あなただけのもの。あなたは、自我や心を持たない殺戮の魔物なんかじゃない」
ノエルの凛とした声が響き、魔王の紅い瞳が揺らぐ。
この人格は、ランスロットの内にある記憶から写し取ったものだ。己は破壊そのもの。それは断じて心や感情ではない――はずなのに。
『我を理解した気になるな……』
「そうね。全部は分からない。でも、あなたが『美味しい』と感じてくれたことは分かる。だって、私は料理人だもの」
魔王の怒りと戸惑いの感情を包み込み、ノエルは微笑んだ。
「魔王バルハルト。あなたがランスロットさんの記憶を奪い、心を殺そうとしても、私はそれを阻んでみせる」
『小娘ごときが我を滅ぼすというのか』
「私はお客様を傷つける料理は作らない。これは、あなたの奥底で眠るランスロットさんのための料理――闇に打ち勝つためのスコーンよ」
ノエルはスコーンを小皿に取り分け、彼の前にそっと差し出した。ブルーベリージャムをたっぷりと添えて。
「どうぞ、召し上がれ。ルブラン、自慢のスコーンです」
それは、ランスロットの大好物。初めて出会った日に彼が頼んだ思い出のお菓子。記憶を取り戻す旅が始まった、運命の一皿――。
「ランスロットさんと私は、何度も一緒に料理をした。美味しい料理をたくさん食べて、たくさん笑って、たくさん『好き』を重ねた。だから、私には分かる。ランスロットさんの心は強い。自分が持っていない物を妬んで欲しがっているだけのあなたになんて、絶対に負けない!」
「う……」
スコーンを一口食べた魔王の紅の瞳が大きく見開かれ、動きが止まった。ある言葉を必死に堪えている――、そんな表情を浮かべて唇を引き結んでいる。
だが、ついに魔王は口を開いた。
「うまい」、と。
そしてノエルは、目を閉じて静かにスコーンを味わう魔王に向かって呼びかけた。
「起きてください、ランスロットさん。お茶の時間ですよ」
ノエルがそう言うと、魔王が静かに目を開き――。
「おはよう……。ノエル」
蒼の瞳がノエルを見つめ、微笑んでいた。
「約束通り、起こしに来ました」
「あぁ。ありがとう。本当に」
「うぅ……っ、ランスロットさん……。良かった……!」
ランスロットの優しい笑顔を見た途端、ノエルは堪えていた感情を抑えきれなくなってしまい、泣きながら彼の胸に抱き着いた。世界を脅かす魔王を目の前に、十六歳の少女が怖くないわけがなかったのだ。
ランスロットはそんなノエルを愛おしそうに左手で抱き上げると、反対の手で晴天の槍を召喚し、天に――光の世界に向かって大きく掲げた。
「本当に不思議だな。お前といると、すべて何とかできる気がしてくる」
その言葉と共に、晴天の槍は闇の世界の扉を突き破ったのだった。
大好きなアフタヌーンティーをルブランでしてみました。




