新24話 蒼の騎士、紅の魔王①
ノエルは、闇の世界を歩いていた。
色のないモノクロな景色だが、それらはノエルが見たことのある場所だった。アプラス領、 舞踏会の大広間、酒場、平原、ナイトランド領のルブラン――。
ランスロットの記憶の欠片で垣間見てきた思い出の地が、歪に縫い合わされた空間として広がっていたのだ。
そしていつでもノエルに襲いかからんと、その地に蠢く闇の異形たちが潜んでいた。
(あれは何……? 冷たくて、おぞましくて、怖い……。囚われたら、二度と逃げられない気がする……)
闇の異形は、人の姿にも見え、バケモノのようにも見えた。そうかと思えば形を失い、どろどろと地面を覆う沼のようにも見えた。
けれど、ノエルに近づいてくることは決してなかった。太陽石のネックレスが温かい光を放っており、闇の異形はそれを嫌っているかのようだった。
(太陽の精霊よ。私をランスロットさんのところに導いて――)
ノエルが胸の中で精霊に語りかけると、ネックレスの石がひときわ明るい輝きを放った。
もうすぐ、あの人に会える……! ノエルはそう確信し、愛する騎士を捜してひた走った。
太陽の神殿、黄昏の丘、王都の処刑台、そして――。
遥か続く螺旋階段を降りていくと、たどり着いた場所はロンダルク領のルブランのドアの前だった。モノクロの店の前に横たわる光色をした槍が、ノエルに彼の居場所を教えてくれたのだ。
そこにいたのは、独りうずくまる鎧の聖騎士だった。
「……お店に入らないんですか?」
ノエルは聖騎士にそっと近づき声をかけると、彼の兜を優しく取り上げた。
「何故来てしまったんだ」
兜の下から現れたのは、大好きな蒼い瞳だった。
ノエルは泣き出しそうなその顔を見て、釣られて涙ぐんでしまう。けれど、自分が泣いてはダメだと言い聞かせ、不器用な笑顔を彼に向けた。
「会いたくて来ちゃいました。ランスロットさん」
「俺は来てほしくなかったというのに……」
「やっぱりランスロットさんだった。あなたはリナリー姫の前で魔王のフリをして、自らここに堕ちたんですね」
「お前を傷つけた俺が、これ以上そばにいてはいけないと思った。……怖いんだ。魔王が俺に宿っているのではなく、本当は俺が魔王そのもので、人々を脅かし、仲間たちを欺いていたのだとしたら? それ故、ユリウスを殺めたのではないか? もう、鎖が錆びてしまった故、それを知る術がない。知る勇気もない……」
「独りで悩んでたんですね。すごく疲れた顔、してますよ」
強く勇ましいランスロットの弱った姿が、ノエルの胸を抉る。
目を背けたくなるくらい憔悴しきった彼は、今は一人で立ち上がることができないのだ。
「休んでください、ランスロットさん」
「駄目だ……。気を許すと、魔王に精神を囚われそうになる。一度でも眠れば、俺はもう戻って来れぬかもしれん」
「私がいます。あなたを信じている私を信じてください。だから、安心して。眠ってください」
ノエルはモノクロの地面に座ると、膝をぽんぽんと叩いて微笑んだ。そして、「どうぞ」とランスロットを手招きした。
「膝枕です。ロッコウ行きの馬車の時とは逆ですね」
「ノエル……」
ランスロットは少しためらいながらも、ノエルの膝に頭を預けた。表情が緩み、涙が頬に伝う。
「あぁ……。不思議だな。お前といると、すべて何とかできる気がしてくる」
「ふふっ。パートナーですから」
ノエルがランスロットの頭を静かに撫でていると、ランスロットはゆっくりと眠りに落ちていくのが分かった。深い、深い眠りに――。
「大丈夫ですよ。後で必ず、私が起こしにいきます」
「ありがとう、ノエル……」
ランスロットのホッとしたような寝顔を見守りながら、ノエルは彼の涙のあとを拭った。
(目覚めた時には、笑顔でいられるように――)
その直後だった。眠っているはずのランスロットの手が伸びてきて、ノエルを乱暴に地面に押し倒した。そして首を締め上げようと、力を込めてくる。
『気安く触れるな、小娘……!』
紅い瞳がノエルを睨みつけ、勝ち誇ったように笑っていた。
『聖騎士め。常闇に我を封じたつもりか? 小賢しい。さらなる絶望を与え、二度と逆らえぬようにしてくれる』
「う……、ぐ……。だから……、今の……うちに、私を殺そう、と……? 魔王って、……案外、卑怯なのね」
『小娘如きが……!』
ノエルが挑発じみた言葉を放つと、魔王は怒りを滲ませた。そして、ノエルの首から手を放すと、闇色の槍を手にして立ち上がる。その槍の先は、ノエルの胸元にある太陽石のネックレスを指していた。
『貴様、その首飾りのまじないで、我を討つ気だったのだろう? 剣にでも槍にでも変え、向かって来るがいい。たとえ退魔の太陽石とて、小娘如きには何もできんだろうがな』
魔王に憎悪と殺意を向けられ、本当ならば怖くてたまらないはずだった。仮にノエルがまじないでランスロットの晴天の槍を再現したとしても、魔王に叶う未来など微塵も想像できないのだから。
しかし、ノエルは凛とした態度を崩さずに、魔王をまっすぐな瞳で見つめていた。
すでに、ノエルの中で答えは出ていた。
「私は武器では戦わない。私は、英雄じゃない。お客様の心に寄り添う魔法料理人。私は料理であなたに打ち勝ち、あの人を取り戻す!」
ノエルのネックレスとランスロットの槍が共鳴し、眩い光を放つ。
導きの灯。世界を照らす暖かな太陽の光。それは――。
(私に必要なものは、武器じゃない。今、私に必要なものは――)
ノエルが広げた手の中に現れたものは、光色の鍵だった。
初めて手にする鍵だ。けれど、しっかりと手になじむ、思い出の詰まった鍵だった。
ノエルはそれを使い、色のないベーカリーカフェルブランの扉を開く。
『小娘……。いったい何を……』
「さっき、言いましたよ。私は、魔法料理人なんです」
警戒する魔王にノエルは穏やかに笑いかけた。
すると、店の扉がゆっくりと開き――、色を失った闇の世界に灯るのは、一軒のカフェの店明かりだった。
「いらっしゃいませ。ベーカリーカフェルブランにようこそ。魔王様」




