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新23話 蠢く闇②

 怪我をしているらしく、包帯をあちこちに巻いているリナリーは、「狭いが落ち着く店じゃのう」と店内を眺め回している。

 一方、偶然居合わせたハインツとニナは、突然のエルフ姫の登場に大興奮の様子だった。


「エルフのお姫様がロンダルクに⁈ マジかよ!」

「ノエル、知り合いなん⁈ なんで⁈」

「前、ロッコウ領のツァイスさんのお店で……」

「そなたが茶を淹れて来ると言いながら、姿をくらまして以来じゃな」

「そ、その節は申し訳ございませんでした……」


ノエルは、気まずい表情でリナリーに頭を下げる。

しかし、リナリーはノエルの顎に指を当て、グイと無理矢理頭を上げさせて――。


「妾からも謝らねばならぬことがある故、おあいこで頼めるかの」


 にこりと可愛らしい笑みが逆に怪しく、ノエルは思わず「えっ」と身構えてしまう。

 そして二人の遣り取りを見たからか、ヴァレンが気を利かせてハインツとニナの首根っこをひょいと捕まえた。どうやら人払いを買って出てくれたらしい。


「エルフ姫さん。道案内の料金は、後でもらいに来るよ。さぁ、撤退撤退~」

「えっ、ちょ……、兄さん! ノエルとエルフのお姫様の話、気になる……」

「うわぁ! 放しぃや! ノエルー、また後でなぁ!」

「うん、ごめんね。また後で」


ヴァレンにずりずりと引きずられていくハインツとニナ。そんな友人三人を見送るノエルの肩で、セサミが「きゅう」と警戒気味に鳴いた。


「お話、お伺いしてもよろしいでしょうか」


 胸騒ぎが止まらないが、いつまでも話を聞かないわけにはいかない。

しかし、身構えていたノエルの耳に飛び込んできたのは、想像以上の言葉だった。


「ランスロットを常闇に封じた」

「え――」


 リナリーの言っている意味が分からず、ノエルはその場で気を失いそうになってしまった。ぐらりと揺れたノエルをリナリーが支え、近くの椅子に座らされるが、手足に力が入らない。


「どういうことですか。なんでランスロットさんを……」

「順を追って話すが……。そなたにも心当たりがあるのではないか?」

「…………っ!」

 動揺を隠しきれないノエルを見抜いたらしく、リナリーは「やはりな」とため息をひとつ吐いた。

 そして、ノエルの向かいの椅子に腰かけ、語り始めた。

 闇の魔物の話を――。

 昨夜のことだった。

異常な魔力を感じ取ったリナリーは、ロッコウ領の草原を訪れていた。

それは、この世にあってはならないもの。因縁深き憎むべきもの。闇に堕とすべきものの魔力――。


「さすがに驚いた」


リナリーの視線の先にいたのは、鎧兜姿のランスロットだった。錆びた色の鎖がジャリリと嫌な音を立てて近づいてくるのだが、その一歩一歩が禍々しさを帯びている。闇を具現化したかのような黒く底のない存在に、リナリーは圧倒されかけてしまう。


「ランスロットを返す気はないのじゃろうな」

「この男の身体は俺が支配した。大戦の続きをしようではないか。エルフ姫」


 兜の下の表情は見えない。しかし、晴天の槍を旋回させ、リナリーに向かって構えるその姿からは、どす黒い殺意がにじみ出ている。

 戦いは避けられないようだと、リナリーはごくりと唾を吞み込んだ。


「いつからランスロットの内に潜んでおった? ユリウスを殺めたのは貴様じゃったのか?」

「死にゆく者に答える必要はない」


 言うや否や、ランスロットは神速の勢いで槍を繰り出してきた。リナリーは氷の精霊による氷壁でそれを防ぐが、太陽の精霊の力を借りた熱風魔法に煽られ、彼方へと吹き飛ばされてしまった。そしてなお、闇を纏った聖騎士は、「痛い」と叫ぶ隙すら与えてはくれない。

 灼熱の連撃を空から降らせ、瞬時にリナリーを炎で包み込んでしまう。

 しかし、世界一の魔道の使い手は、魔法攻撃においては無敵だった。


「悪いが、すべての精霊は妾の僕じゃ」


 炎を蹴り一つで消し去ると、リナリーは【サモンズアーム】で魔杖を召喚した。リスダール王国に伝わる神器であり、これを使うのは大戦以来。だが、魔杖を振るう腕は落ちていなかった。

 リナリーが魔杖を天に掲げると、周囲の全精霊が彼女のもとに集まっていく。無論、ランスロットの元に残る精霊はおらず――。


「魔法を封じただけで、勝ったと思うな。エルフ姫――!」


吠えるランスロットに、「さすが、妾の元仲間じゃな」と、リナリーは舌を巻いた。

ランスロットは、魔法がなくとも鋭い槍撃でリナリーを追い詰めていく。火、水、風、雷と、次々に放たれる大魔法をかわし、斬り払い、盾で弾き返し、反撃に転じて来るその様は、鬼神――いや、まさしく魔王の如し。

リナリーが彼の気迫に呑まれかけ、晴天の槍が魔法の防御壁を打ち砕いた時――。


見間違いだろうかと、リナリーは目を疑った。

防御壁の破片がランスロットの兜を抉り、彼の悲壮な表情を暴いたのだった。紅色と蒼色の瞳がこちらを見つめており、リナリーは迷っている時間はないと悟った。


「く……! 嫌な役回りを押し付けよって……!」


魔杖を構え、一族に伝わる禁呪を唱えると、ランスロットの足元に闇色の魔法陣が浮かんだ。リスダール王国の王族のみが使用を許された古代魔法――異空間転移の魔法だ。


『貴様、何をする気だ!』

「妾にかかれば、闇の世界の開門など、容易いということじゃ!」


 危険を感じたランスロットが、素早く晴天の槍をリナリーに向けて投げ打つ。

 けれど、リナリーの魔法の方が早かった。


「開け、魔の檻。堕ちよ、常闇――!」


古代語の刻まれた重い扉が地の底に向かって開かれ、ランスロット――魔王を身に宿した、紅い瞳の聖騎士を呑み込んでいく。

もはや、語られぬ真実を知る術は残されていないが――。


「また、愛しき者を置いていくのじゃな。阿呆め……」


聖騎士ランスロットは、魔王バルハルトと共に闇の世界に堕とされたのだった。

リナリーから語られた出来事に、ノエルは息が止まりそうになった。

大好きなランスロットの内に蝕む魔王バルハルト。そして、そのランスロットは自ら常闇に堕ちることを望み、もうこの世にはいない――。


「ランスロットさん……。ランスロットさんを返して……」

「アンジュの子孫よ。それは妾に言うておるのか? それとも、魔王にか?」

「う……っ」


大粒の涙をこぼしながら、ノエルは声をくぐもらせる。

なぜ、気が付いてあげられなかったのだろう。

サーティスの屋敷で見た彼が放つ狂気と闇の炎。病院で見た、紅い瞳。

きっと、ランスロットは一人で悩み、苦しんでいただろう。

想像するだけで、ノエルの胸は張り裂けそうに痛くなった。


「あれが、魔王だったなんて……。きっとランスロットさんは気づいて……」

「記憶を失っていた奴自身にも、魔王がいつから潜んでおったのか分からぬじゃろう。もしかすれば、三百年前……、かつて勇者が討ち取った魔王は傀儡で、ランスロットこそが魔王の本体であった可能性も――」

「そんなわけない……! あの優しいランスロットさんが、魔王なわけが……!」

「落ち着けい。ユリウスを殺めたのがランスロットである以上、その線も捨てられんのじゃ」


 リナリーはセサミを抱きしめて涙を流すノエルを見て、「そなたの泣き顔は見たくない」とつらそうな声で言った。


「妾が常闇に封じたのは、魔王じゃ。今は亡き仲間たちに代わり、世界を守るために。不完全な状態とはいえ、アレをこの世に解き放つ訳にはいかぬ。三百年前の悲劇を繰り返してはならぬ」

「でも……! それじゃランスロットさんが!」

「もう、あの男のことは忘れて生きよ。どの道、真実は語られぬ。銀の鎖が錆びておったではないか。もう、記憶の戻らぬ男からは、【勇者殺し】の真相も魔王の正体も聞くことができぬ」


 リナリーの言葉が、ノエルに重くのしかかる。今の今まで目を逸らしてきたが、記憶が記憶の鎖が錆びてしまったということは、もう彼の無罪を証明できないことに他ならない。


(分かってる。私みたいな特別な武器も強い魔力も持たない小娘には、何もできないことくらい。世界を救った英雄に盾突くことが、間違ってることくらい。でも――)


「世界はランスロットさんを許さないかもしれない。でも、あの人は世界を愛していた」

「おぬし、その言葉は……」

「二人で始めた新しいルブランは、みんなが笑顔になれる温かい場所なんです。戦いしかできないと嘆いていたあの人が、お客様と言葉を交わして、食材のことを学んで、少しずつ料理の練習をして、大事に作ってきた場所です。私は魔王大戦の旅をなぞったアンジュのように、広い世界は知りません……。でも、このルブランの生活を慈しむランスロットさんのことは、誰よりも近くで見てきました。とてもちっぽけな世界かもしれないけれど、私はこれからも、その世界を一緒に愛して守っていきたい……。だから、私、ランスロットさんを迎えに行かなきゃ」


 ノエルは涙をぐしぐしと拭い、立ち上がった。もう、心は決まっていた。


「アンジュのように待つ訳でも無いというのか」

「待ちません! だって、一緒にルブランに帰るって約束しましたから」

「まったく。とんでもない子孫じゃ。妾は昔から、この顔に弱くて困るのう……」


 リナリーは色々と言いたそうだったが、諦めたようだった。やれやれと肩を竦め、「【サモンズアーム】」と小声で唱える。


「リナリー姫様……⁈」


 目を見開いて驚くノエルの前で、リナリーは背丈ほどもある魔杖を亜空間から取り出すと、その場でくるくると大きく回して見せた。その神々しさに、ノエルは思わず息を吞まずにはいられない。


「武器召喚術は、あの堅物の専売特許ではないからの。……どうせ、闇の世界への行き方なぞ、考えてはおらんかったじゃろう? 異空間転移魔法で、そなたを闇の世界に送ってやろう。片道切符じゃが」

「でも、それは……」

「リスダール王国の抱える門外不出の古代魔法じゃが、三百年の研究で、コレを使えるようにしたのは妾に他ならぬ。きっと、妾はこの日のために――。いや、柄ではないの」

 リナリーは、不安そうなノエルの髪を手に取り、優しく指で梳いた。彼女の瞳は優しく笑っていた。

そしてリナリーが古代語の呪文を唱えて魔杖を振ると、店の床に闇色の魔法陣が現れ、大きな口を開けた。


(この下が、闇の世界……。ここにランスロットさんが……)


 ノエルが震えを隠して唇をかんでいると、リナリーはそれに気が付いたらしい。「共に行けず、すまぬ」と言いながら、白く美しい指先でノエルのネックレスの石に触れた。


「身の危険を感じた時には、迷わず魔王を討つのじゃ。その首飾りにまじないをかけておくゆえ、いざとなれば、そなたに相応しい武器となる」

「私が、魔王を……?」

「そうならずに済むことを祈っておるがな」


 ノエルはまじないのかかった太陽石のネックレスを握りしめ、その温かさで震えが収まっていくのを感じた。


 もう、光溢れるこの世界には戻って来れないかもしれない。大事な友人たちには会えなくなるし、もちろん、料理もできない。想像できないくらいの痛みや苦しみが待っているかもしれないし、死よりも恐ろしい何かがあるのかもしれないと、そんな恐怖が心と体を蝕む。

 けれど――。


(ランスロットさんの隣が私の居場所。私がランスロットさんを信じるって決めたんだから! 今度は、私がランスロットさんを助ける番!)


「ありがとう、リナリー姫様。私、行きます! 帰って来たら、お礼にハンバーガーを作りますね!」

「あぁ。待っておる。この闇ザラシとな!」

「きゅきゅう!」


 ノエルは笑顔でリナリーと彼女に抱えられているセサミに手を振ると、闇の世界に飛び込んでいったのだった。





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