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嫁にしたい男。

 静まり返ったオフィスに響くタイピングと紙が擦れる音。


「小窪めぇ…」

 チッと舌打ちしながら優がつぶやくと、はす向かいに座った新人の安井がビクッと身体を震わせた。



 小窪というのは、優の下につけられた今年短大を卒業したばかりの新人、小窪紗綾のことだ。今日は有休でいない。

 いつも丁寧に巻かれた髪に、完成度の高いナチュラルメイク、ネイルも欠かさない雑誌から抜け出てきたような子。

 人当たりが良く、素直でかわいい、とおじさん連中には評判がいいが、優は小窪のことが嫌いだった。

 見た目や、皆に愛されるキャラが羨ましいというのも、全くないわけではない。

 何より仕事への態度が許せないのだ。


 小窪は平気で遅刻する。5分10分はざらだし、時間ちょうどであればいいと思っている節がある。

 そして、仕事はケアレスミスが多い。単純な足し算を間違えたり、人の名前――江本と榎本だとか――をよく混同する。身内なら笑って済ませられるが、相手が顧客だったこともある。


 優の勤める小さな会社は薬品の卸をしている。製薬会社から買った薬品を病院や研究機関に売るのが主な仕事だ。小窪がするミスはどれも、会社としてあってはならないこと。その都度優は説明してきた。

 社会人として時間前に着いているのは当然だ、遅刻なんてもっての他、もしどうしても間に合わないならなるべく早く連絡しろ。

 書いた書類は必ず確認しろ、一度ではなく最低三回は確認しろ。大切な書類は優か他の先輩や上司に見てもらえ。

 人の名前を間違えるのはとても失礼なことだと認識しなさい。



 優は、すでにしてしまった失敗は仕方ないと思っている。

 過ぎたことはいくら小窪を怒ろうが責めようが戻らない。

 それよりはその失敗に対してどう行動するか、次どうするかが重要だと思っている。


 だが、そんな優の心情は小窪には全く、砂粒ほども通じていないようだ。


 今回は、急に休んだ優が悪かった。小窪にはまだやらせたことがない仕事も、結果任せることになってしまった。

 でも、でもだ。

「ことごとく、この間違いはなんなんだ」

 薬品の発注書の数字があちこち一桁違うのだ。

 今時、倉庫に蓄える在庫はなるべく多くしたくないものだ。

 0を一個間違えるとか、どんな初歩ミス。しかも致命的。

 その上、上司ときたら、「小窪くんは新人なんだから、キミが面倒みてあげないとかわいそうでしょ」とのたまった。


 優の記憶が確かなら、あの上司には新人時代に散々怒鳴られたものだ。新人だということを言い訳にするな、金をもらっているんだから責任を持て、同じ失敗を繰り返すな、と。

 厳しいけれど、ちょっと尊敬してたのに。

 優の中で中年のエロ親父にランクダウンだ。


 今日は焼肉行ってやる!!と固く決心して、優は猛然とキーボードを叩き続けた。





 優の勤める会社から実家の最寄り駅までは電車で二駅。

 座れればラッキーだが、立っていてもさほど気にはならない。

 手すりにつかまってぼんやりと乗客を眺めるうち、見慣れたホームへ電車が滑り込んだ。


 残業をしたら思った以上に疲れてしまった。焼肉屋に行く気力がないし、帰りにコンビニでミミガーとビールでも買って帰ろうか。



「あれ!優じゃん、今帰り?」

 改札を通るところで、急に肩を叩かれた。

 触れられたことにイラつきつつ振り返ると、他人のフリをしたくなるようなチャラ男がいた。


 ブリーチに失敗したようなピンクがかった金髪、重そうな耳たぶ、皮なんだかビニールなんだかよくわからない黒いピチピチの服の男。

 服装なんて、清潔で似合いさえすれば何でも良いと思う優でさえ、センスのなさに呆れてしまう。


「…どちら様」

「ちょっ!マジでわかんねーの?!俺俺!」

 どこの俺だよ、アレか、ちょっと廃れてきたあの詐欺ですか。

 優の冷ややかな視線に男が必死に言いつのる。

「俺だよ、柳田だよ!同中だったろ!」

「柳田…」

 はて、と首をかしげかけた優は、ああ、と思い出す。

「遠足の時、弁当忘れて先生に分けてもらってた柳田」

「ええ!?それ?!」

 いちいちうるさい男だな。お前はリアクション芸人か、と蹴りを入れたくなった。

 久々の出勤でイライラしているのに、あんまり逆撫でするとマジで沈めるぞ。


「優さー、全然変わってねぇのな!すぐわかったぜ」

「あんたは見る影もないくらい変わったね」

 柳田の顔も見ず、ばっさり優は言い切った。

 最近毎日本物の金髪を見ているせいか、この傷んだ金髪が妙にむなしいものに見える。


「いや~!そう?そう?俺的にだいぶ大人しくなったと思うんだよな!」

 優のことばの裏にあるトゲには全く気づかない様子の柳田はご機嫌に頭をかく。


 いっそ、酷いことばを吐き捨てて走って逃げようか。


 元々、優の沸点は低い。あっという間に怒りも恨みも忘れるのだが、ちょっとのことでイラッとしてしまう。

 ただでさえ状態の悪いところに、このチャラ男。

 実家まで堪えきれる自信はなかった。


 頭の中を暴言が駆け巡るのを、優は目を閉じてやり過ごす。

 その間も柳田はマシンガンのようにしゃべりつづけている。


 確か、柳田は実家からすぐの商店街にある電気屋の息子だった。

 うちはずっと他で電気製品を買っているはずだから、もういいか。いいよね?


「あのさ、」

「優!」

 柳田に向き直り、一番ましな台詞を吐こうとした優は、聞こえた声に驚いて振り返った。


 うすぼんやりした街灯にも輝く本物の金髪。にこにこと人懐こい笑みを浮かべたウィルが立っていた。


「優、迎えにきた。帰ろう」

 柳田には気づかないのか、ウィルは優の手を引く。

 こいつは何度やめろと言っても優をエスコートしたがる。女性をリードするのは当然のことだとか言って。日本にそんな習慣はない、と何度も説教したら、手を繋ぐだけで我慢するという訳のわからないところに落ち着いてしまった。


 だから、当然のようにウィルは優の手をとった。握られた方の優も当たり前に受け入れた。


 ポカンと柳田が口を開けるのに気づいたのは一拍遅れてからだ。


「では、失礼」

 にこやかに柳田に言って、ウィルはさっさと歩き始めた。

 手を繋いでいる優も、必然的に進むことになる。

 一瞬、柳田が追ってくるかとも思ったが、立ち尽くしたままで追ってくる様子はなかった。


「ねえ、ウィルは何してたの?」

「迎えにきた。途中で優の好きなおつまみも買った」

 優の手を握ったのと反対の手にはビニール袋。


「あんた気が利くねぇ」

 さっきまでささくれていた気持ちが、撫でるように穏やかになっていく。


 ふふ、とウィルが微笑んだ。それはフリスビーを取ってきたタロウを彷彿とさせた。





 ウィルは缶ビールとミミガーを買ってきてくれていた。ビールの銘柄はちゃんと優の好きなものだ。


「ウィル~!でかした!」


 だいぶ高い位置にある頭をわしゃわしゃかき回す。優の髪でこれをやると鳥の巣になるが、柔らかくコシのあるウィルの髪は少し乱れる程度だ。


「お母さんに教えてもらって、おつまみも作った」

「えっ!」

 ウィルがいそいそと運んできたのは、優が大好きな生春巻きだった。

 海老や大葉、しゃきしゃきのレタスが美しくのぞいている。

他にはイカの一夜干し、夕食の残りらしい煮物。ミミガーもあわせたら、豪華な夕飯だ。



「ウィル、いい嫁になるよ!」

 一口で生春巻きを頬張った優が、機嫌よくビールをあおった。

 ウィルはこたつの隣でホットワインを飲んでいる。


「嫁?嫁は女の人がなるでしょ?男の人は婿?」

「うーあー。嫁にしたいくらい、いい男だってことだよ!」

 まともに聞き返されて、返答に困る。

 適当にごまかした優のことばに、ウィルはポッと頬を染めた。


「…ありがとう、優」


 つまみにしてはやや胃もたれを起こしそうなその微笑みに、慌てて優はビールの残りを飲み込んだ。



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